雨は降ったりんだりを繰り返しながら、思いの外、長引いている。火曜日の午後に降り出して、金曜日の夜更けになってもまだまない。
 雨は氷が溶けだしたように冷たく、気温も冷え込んでいた。寝床の布団も冷たい。人肌を寄せ合って眠るにはちょうどいいかもしれないけれど。
「太宰さん――
 寝てますか、と中島は低い声で尋ねてみる。口に出してから、
(なんだか間の抜けた質問だな)
 と思った。本当に寝ていれば答えようもないのだし、「はい」と言われればそれは嘘だ。
 中島の肩先でぐったりと丸まっている太宰は何も答えなかった。規則正しいが、泥を吐くような重い寝息が聞こえる。本当に眠っているようだった。
 太宰の寝息はいささか酒臭い。中島は、太宰が自分の部屋に来る前にどこで何をしていたのか、中原あたりに連れ回されて雨の中飲み屋にいたのか、それとも階下の談話室で無頼を自称する仲間たちと酒や議論を交わしていたのか――というようなことは知らない。尋ねなかった。ただ太宰の寝顔を見ると、
(こんなふうに、ぐったり麻痺まひしたようになりたくてお酒を飲むんですかね)
 と思う。
 中島はさほど酒は飲まない。なんとなく喉が苦しくなるような気がするから。
 酒の巡っている太宰の体はほてっていて温かく、そばで眠るには心地がよかった。建物の屋根をたたくランダムな雨音が眠気を誘う子守唄にもなる――
 一夜明け、薄明に目覚めた。外はようよう空が白み始める頃――のはずだが、相変わらずの雨模様でまだ暗い。
―――
 中島は寝ぼけまなこを寝床の中へ向けた。
―――
 まだ夢の続きを見ているらしく、そこには共寝した太宰の姿はなくて、代わりにさば柄の小さな猫が一匹くつろいでいた。成猫になりたてという感じの、子猫の面影の抜けきらない顔つきだった。よく人に慣れている。首に緋色ひいろの紐が結ばれていた。
「ニャ――
 と慎ましい声で鳴く。
 中島はだんだん頭がハッキリしてきて、目をぱちくりさせながらまじまじと寝床の中の猫を見つめた。どうも夢ではないらしい。掛布団の下から手を出し、猫の前足をちょいとつついてみると、「ニッ」と小さな抗議の声を上げて足を引っ込められた。そればかりで逃げもしない。
「太宰さん――いつの間にそんな可愛らしい姿になってしまったんです」
 と中島は、指先でさば猫の前足を追いながら、言ってみた。別段本気というわけでもないけれど。
「まったく随分変わり果てて――ずっとそのままでもいいですよ」
「ちょっと中島くん」
 不意に抗議の声が挟まれ、中島が顔を上げると、部屋の入り口のところに太宰が立っていた。
 さば猫を連れてきたのは自分だと太宰は言う。
「さっき目が覚めたら二日酔い気味でさ、もー気持ち悪くって。お手洗いに行ったんだよ。そうしたら洗面所の軒下でこいつが雨にれて震えてたもんだから」
「それで、雨の中傘も差さずに走って行ってこの子を助けてあげたわけですか」
「そ、そこまでは言ってないじゃん?」
「太宰さんも髪がれてますよ」
「えっ、あっ――て見えないんじゃないの? この薄暗さだし、眼鏡してないし」
「きっとそうだろうなと思ったんですよ――
 太宰は猫の体を拭いたタオルを絞って戻ってくると、また寝床へ入ってきた。中島の思ったとおり、赤毛の表面がしっとりとれて冷たい。
 中島は太宰の髪をでながら、そっとそちらへ身を寄せようとした。が、ニィニィと鳴いて二人の間に割り込んできたさば猫に阻まれた。飼い猫らしいとはいえ、人に対して警戒心の欠片かけらもない。いっそ心配を覚えてしまうほど。
「お前なー、野生を失いすぎ! もし﹅﹅俺たちが悪い人間だったらお前なんかひとひねりにされちまうんだぞ」
 と太宰が猫を叱っているかたわら中島はにやにや笑っているばかりだった。猫好きたる者、どうしたって猫には甘いのである。

(了)