今年は暖冬とはいえど、たまには体の芯から冷えきるような晩もある。
「うぅ、寒いなぁ――
 中島は寝支度を整えて寝床へもぐりながら、その冷たさに縮み上がった。せっかく風呂にかって温めた体がいっぺんに冷めてしまいそうだった。
 あんかでも借りてくればよかったかも――とは考えど、今から行くのも億劫で、冷えないように掛布団と敷布団の間で手足をもぞもぞ擦り合わせている。
(こんなとき猫が一匹そばにいてくれたら)
 と思う。できれば黒猫がいい。生前に溺愛した思い出がある。

 夜になると、彼は、小学校の時から飼っていた大きな黒猫を抱いて寝た。真黒な獣がゴロゴロと咽喉のどを鳴らすのを聞きながら、その柔かい毛の感触を咽喉のどや顎のあたりに感じながら、彼は毎晩寝に就いた。……

 思い出を温石おんじゃくのように胸に抱いているうちに、やがてとろとろと眠気を兆してきた。眠りのふちにぐっと引きずり込まれそうになり、一度は引き戻して薄目を開けたが、別に拒む理由もない。目をつむり直して、今度はその安らぎの泥沼へと身を投じた。


 夜半。
 ふと中島は目覚めた。はっきりと覚醒したわけでなく、夢現ゆめうつつだった。しかし頭のどこか一部分はハッキリえてもいるような、おかしな感覚がある。
(“僕”じゃない、“あなた”ですか――
 “彼”が目を覚ましているのかしら――と中島は意識の水面みなもを漂いながら思った。
 もう一人の自分は五感を遠くまで巡らせて、じっと感覚を研ぎ澄ましているようだ、と思った。寝ぼけている中島にもその刺すように鋭敏な知覚の一部が流れ込んでくる。“彼”と“僕”とは根元でつながった不完全な対のようだと夢想する。
 “彼”が緊張の糸を張りながら、といってしかし何か行動を起こそうとするわけでもないので、中島は安心しきっていた。別段危険はないらしい。
 しばらくすると、“彼”の緊張の原因が姿を現した。
 寝室のドアを細く押し開け、その隙間をこするようにしながら室内へ忍び込んできた気配があった。
(ああ、猫だったらいいな)
 と中島は思った。
 なるほど人の部屋の中を我が物顔で歩き回っているらしい気配は猫らしくもあった。だが、やがて中島の寝床へ足の方から入ってきたそれはやたら図体も大きく、手足も長く、おまけに風呂上がりの石鹸せっけんの匂いがした。
「ぷは」
 と、それ﹅﹅が掛布団と敷布団の間を縦断して枕の横から頭を出す。
「中島くん――
 とささやき声で呼ばれ、中島は重いまぶたを持ち上げた。すぐ鼻の先に太宰のにやけた顔があった。
――太宰さん」
 気がつくと、“彼”の意識はもう見当たらなかった。中島がうつつに戻ったせいか、それとも太宰の姿を見たからか、あるいはその両方か、なんだか逃げるみたいにして心の奥へ隠れてしまったようである。
「あれー、なんだ起きてた? 驚かせようと思ってたのになぁ」
 と太宰はお道化どけた。
「ドアが開いた気配がしたので」
「ビンカンだなぁ」
「太宰さん、いつになったら私の部屋の合鍵を返してくれるんですか?」
 中島は太宰に背を向ける方へ寝返りを打った。
「あ、怒った? 許してよ。ごめんね」
 太宰は中島の背中を指でツンツンつつきながら、なにやら足先をもぞもぞさせている。ほっそりした上半身に比べて発達した下肢で寝床の中を探検していたが、中島の冷たい足を見つけるとそれに絡まって落ち着いた。
「ドアが開いたとき――猫が入ってきたらいいなと思っていました」
 と中島は言う。
 太宰はしばらく考えてから、
「にゃぁーん――
 と猫の鳴き真似まねをした。
「似てないですね」
「えぇ、採点厳しっ」
「はは」
――許したって言ってよ」
「声は似てないですけど、猫と同じくらい温かいですね、太宰さん。お風呂上がりなんですか?」
 中島は、許すとは言わない。その代わり肩まで掛かっていた布団をさらに引き上げると、自分の頭も太宰のそれも、天辺てっぺんまですっぽりと覆い隠してしまった。

(了)