窒息した魚

「ねえ、ねえらさないで……早くきてよ……」
 と島崎は乱れた息で芥川へねだった。それでいてやはり彼の声色は例のごとく陰気で、ぼそぼそした感じもするからちぐはぐだった。
 布団の上に四足を着いている島崎の後ろへ芥川は膝立ちになって、彼の生白い肉体を見下ろした。窓から入ってくる月明かりが頼りの薄暗い部屋の中で、白く、他よりはやや丸みのある臀部でんぶがなにやら人魂のように浮かんで見えた。
 芥川がぼんやりしているので、島崎はますますれてきたらしい。白い人魂がゆらゆらと揺らめいていた。
「……あ」
 待ちかねていたものに背後から貫かれると、初め息の詰まったような声を漏らし、それから長く尾を引くあえぎ声に変わった。
「あ〰〰……っ……」
 芥川は勝手知ったるというふうに島崎の性感を責め立てる。陰茎はまだ根元まで収まっていなかった。中ほどまで入れると途中奥が狭くなっており、つかえるところがあって、そこから先まで入るかはそのときどきによる。解剖学の図録で確かめようとしたこともあるが、どこがそうなっているのか結局わからなかった。
「今日はどうかな――
 と芥川はつぶやいて、島崎の腰を両手でつかんで押さえ、さらに奥を目指そうとした。今日は入りそうだ。
 島崎は、また一瞬息の止まったようなうめき声を漏らした。
 陰茎の根元まで入ってきた芥川に突き上げられると、ほとんど衝撃と言ってもいいような、体の芯までしびれるような感じがして手足がぐらつく。そのまま枕の上へ崩れ落ちて「うぅ……」とうなった。
 芥川は島崎の尻を支え持ってやりながら、一定のリズムで動いた。芥川自身も、陰茎の先端に吸いついてくるような肉襞にくひだの感触に恍惚こうこつとしていた。
「あっ、あふ……うぅ、ううぅ……うぁ、ああぁ……」
 と、島崎は窒息した魚のようにせわしなく口を開いたり閉じたりしている。
 芥川は思うさま肉襞にくひだと戯れると、生唾を飲んで、陰茎を引き抜いた。島崎の体の上下をひっくり返した。その両脚の間に再び陰茎を持っていった。
「………」
 あお向けにされた島崎はもう疲れたような顔をして、初めのようにそれをねだったりはしなかったが、陰茎の先を押し当てられたすぼまりは期待でひくついていた。
「あ〰〰……」
 芥川はさっきと同じようにして最奥まで入った。
 身をかがめて動き出そうとしたとき、下から島崎の左右の手が伸びてきて、芥川の首の後ろや頬の辺りにひやりと触れた。島崎の手は首筋を通って胸の方まで下がってくると、寝巻の襟からその中にもぐり込んだ。右手の指先が芥川の乳首をきつくつまんだ。
「痛っ――
「……ごめん、強すぎた……?」
「やめてくれ――
 島崎の指先は、今度はそっとそこを転がすようにした。芥川はむずがゆがって、島崎の体の上にのしかかってその手の動きを封じてしまった。
 つまらぬ悪戯への報復のために遠慮なく陰茎を突き入れる。島崎はまた溺れた魚のようにあえいだ。
「あっ、ああイ、イキそう……っ」
 島崎は自分自身の精液で生白い腹を汚しながらエクスタシーに達すると、その後はなんだか抜け殻みたいになってしまった。
 芥川は寝巻を直しているときになってそれに気がついた。
「君――
 と膝で島崎の枕元へにじり寄り、顔色をのぞき込む。寝巻のたもとを押さえながら手のひらを島崎の額へ当ててみる。彼は房事の後で熱を出すことがときどきあったので。しかし――そんな親しげな仕草は自分たちの間には似つかわしくないという変な矜持きょうじも首をもたげて、芥川はすぐに手を引っ込めた。
「熱はないようだけど」
 と言った。
「具合が悪くなったなら医務室へ行くかい」
「本当に行ったら君は困るんじゃないの……?」
 と、島崎も口を開いた。芥川はちょっとまごついてしまった。
「僕も無茶はしなかったつもりだけれど――万が一ということはあり得るのだし――
「……医務室には行かないよ。ただ、なんか……ふわふわした気分なんだ……」
 空を流れる雲の端っこに引っかかってどこかにさらわれていくような気分だよ……と島崎は形容した。芥川には、それがどうも子供の空想の景色のように思われて、幾分白けた心持ちがした。
 島崎はしばらくそうして寝転がっていたが、あるとき急に起き上がって、布団の脇に丸まっていた寝巻と帯を引き寄せ帰り支度を始めた。
 芥川は文机に向かって読みかけの本をのろのろとめくっていた。背後に島崎の気配を感じていたが――それがなにやら戸口の辺りでぐずぐずしているので、こらえられなくなって本を閉じ、振り返った。
「何をしてるんだい?」
「草履の鼻緒が……」
 と島崎は答えて寄越す。履いて来た草履の鼻緒が切れて難儀しているらしかった。
「僕の下駄を履いて行っていいよ――後で返してくれるのなら」
 と芥川は言った。島崎は、そうすることにしたらしかった。
「ありがとう……」
 島崎は戸口から出ていった。
 芥川はなんとなく気にかかって、ひそかに戸口を開け、遠ざかっていく島崎の後ろ姿を見送った。島崎は、ちょうど子供が大人の履物に悪戯に足を入れてみたときのように、大きな下駄を引きずるようにしながらもそもそと歩いて去った。


 一週間ほど経って、ようやく芥川の下駄は返却された。
 それはわざわざ小包で届けられた。
「?」
 芥川が開封してみると、鼻緒を真新しくすげ替えられた自分の下駄と、島崎からの短い手紙が入っていた。
『君の下駄もずいぶん履いた物のようだったので、履物屋へ持って行って鼻緒を替えてもらいました。』
 というほどのことが手紙には書いてあった。いかにも古い時代の人を思わせる、仮名の流れるような字で書いてあった。
―――
 芥川の脳裏に、先日の窒息した魚のような島崎の様子がよぎった。そのときまた彼は子供じみてもいた。そして今日は不意打ちに年長者らしい気遣いを寄越した。そんなことが、芥川の胸をえぐって、ひどくき乱すのだった。

(了)