眠れぬ夜に

「眠れないのなら……僕の部屋にでも来る? 取材はしないでおいてあげるからさ……」
 などという島崎の口車に乗ってしまったのがそもそもの間違いだった。と芥川は思う。不眠の悪い習慣から、夜更けに一人談話室にいた芥川は、そんなような言葉で島崎にかどわかされて彼の自室へ上がったのだった。
 そしてもう一つ間違いを犯した。
「君のその不眠症……菊池や久米にでも相談したらいいのに」
「友達に迷惑はかけたくない」
「友達だから、君の力になってくれるんじゃないのかな」
「放っておいてくれ、僕のことは――
 二人は畳の上に座り込みながら、そんな言葉を交わした。
「だけど……」
 と言いかけた島崎は、急に芥川に右腕をつかまれ、いささか乱暴に引き寄せられた。
「わ……何? 痛いよ」
「そんなつまらない話をするために僕を誘ったのかい」
 と、芥川は作り物めいて冷たい声を出した。
「誘った、って……」
「僕を誘惑したんじゃないか」
 芥川は言いながら、島崎の腕をつかむ力をゆるめた。わざとひややかな物言いをしたけれど、それで島崎が興ざめして、自分を廊下へ追い出すだろうと予期していた。そうに違いないと。
 しかし――島崎はそうせず、
「………」
 と押し黙っている。
―――
 芥川も黙っている。やがて島崎の方から口を開いた。
「君……僕とそういうことをしたいの」
――えっ」
「そうだよね、別に珍しいことじゃない、みんなやってることだし……」
 芥川は面食らってしまい、
「みんな、な、何を、その」
 舌がもつれて上手く語を継げない。
 島崎は顔色一つ変えずに芥川を見上げた。
「何をってさ、つまり、この図書館に集められているような文筆家の僕たちが、模範生みたいに心穏やかに独り寝の夜を過ごせると思う?」
「一くくりにして話すものじゃないよ」
「まあ全員とは言わないけど……僕が取材した限りでは、例えば……」
「やめてくれ、聞きたくない!」
 と芥川は慌てて耳を塞いだ。
「……そんな話には、興味ない?」
「ないよ。他人の勝手だ。僕が知る必要はない」
 と言って、耳に当てていた両手を膝の上に戻し、なんとなくもじもじさせている。
「そういう君自身はどうなんだ」
「えっ、僕?」
「君はその――誰かの“妻”とでもいうか、そういった――?」
「………」
 島崎の頬にうっすらと赤みが差した。
 芥川は察して、
「誰とまで言わなくていいよ」
「いや、えっと……その、特に決まった相手がいるわけじゃないよ」
 芥川は、今度は目を白黒させた。
「誰でもいいというわけかい」
「誰でも、は嫌だけど……そうだね、例えば君なら別に構わない」
 と、島崎は静かに言った。
「僕が誘惑した、ということにしておいてあげてもいいよ……」
「僕は君が、僕を拒んで追い出すものだと思っていた」
 と芥川は今更になって白状したが、もはや、手遅れだった。


 島崎の着ている薄藍の寝巻の裾がまくれて、白いあめのような二本の細い脚が膝近くまであらわになっていた。
 芥川は密かに生唾を飲み下した。が、そのことを顔には出さない。
「君――君は、僕が君を嫌いだって言ったことを覚えているんだろうね?」
「うん、覚えてるよ」
「嫌いな人間と僕が寝たがると思うのかい、君」
「だって君は、好きな相手としか寝ない……ってほどネンネェでもないでしょ。遊びでだって、できるんじゃない?」
「少なくともこの姿に転生してからは、そういうことはしていない」
「それじゃ、今は誰が君の不眠を慰めてくれるの……」
「誰でもないよ。僕はただ夜が過ぎ去るのを待っている」
「それは寂しいね……」
 島崎は畳の上へあお向けに転がった。膝を立てた拍子に寝巻の裾が割れて奥の方まで見えそうになった。
 芥川は、そのかげりを見ながら言った。
「君が慰めてくれようというわけかい、僕を?」
「君が望むなら……」
 芥川は手を伸ばして、島崎の足先へそっと触れてみた。それが返答の代わりになった。
 が、
「くすぐったい……」
 と、触れられた島崎はまるで子供のように笑って足を引っ込めたので、芥川はなんだか出鼻をくじかれた気分で。今度はすねの上をしっかりつかんでみた。
 それには島崎も笑わなかった。
「いつもはどんなふうにされてるんだい」
 と芥川は言ってから、自分でも趣味が悪かったと思った。
 島崎も頬を赤らめて答えなかった。
 芥川は、島崎の隣に自分も横倒しになってみた。島崎が、
「布団でも敷く?」
 と聞いたが、芥川はかぶりを振る。
「羽根布団はもう暑いよ」
「寝巻を脱ごうか……?」
「いや――
 芥川は島崎の寝巻の裾から手を差し込んだ。
 島崎が息をんだかすかな音を芥川は聴き逃さなかった。
「………」
 ほ、と島崎が止めていた息を吐く。芥川が膝の辺りをでているばかりで、すぐには脚の付け根へ上って来ないことに安心したらしい。
「手が大きい……」
「君の膝が小さいんだ」
 と、取るに足りないことをささやき合う。
「君……なんだか優しいね」
 と島崎が言うと、芥川はバツが悪そうに眉をひそめた。島崎の膝をでていた手が急に奥まで進んだ。
「ぁ……」
 島崎の体が小さく跳ねた。
 芥川は手のひらに木綿の下着の手触りを感じた。その中の陰茎と陰嚢いんのうの形も感じた。
(陰茎の小さい男は後ろ﹅﹅が感じやすい――と、どこかで聞いたような気がする)
 芥川はそちらの方まで指先を伸ばそうとした――が、島崎が脚を閉じているので上手くいかなかった。
「気持ちいい……」
 と島崎が、木綿の下着越しにをさすられながら、ぼんやりと言った。
「僕もしてあげた方がいい……?」
「大人しくしていてくれる方がいいよ」
「じゃ……とりあえず、そうするよ」
 とりあえず、というところが気になったが、芥川はあまり考えないようにして愛撫あいぶに戻った。
 島崎の寝巻の胸元をくつろげて、唇でそこを探った。
「あ、柔らかい……」
 と島崎がつぶやく。芥川の唇が、ということらしい。
「電灯を消してくれだとか、言わないんだね、君」
 と芥川は言った。天井の白熱灯は、こうこうと光って島崎の半裸体を照らしている。肉付きがうっすらして、体毛も薄いその肌は魚の腹のような色をしていた。
「電灯を消したらよく見えないじゃない……」
「見られたいのかい」
「君の様子が見えないとつまらないってこと……アっ!」
 島崎の体がまた跳ねた。芥川が厚い唇で乳首を挟んだからであった。
 芥川はすぐに口を離し、
「君のへんな顔﹅﹅﹅﹅もよく見えるよ」
 と意地の悪いことを言ったが、それは本当に変な顔だと思ったのではなくて、「性感を感じている顔」などと言うことに少年のような照れくささを覚えたせいで。
 島崎は赤らんだ顔を片手で隠すようにしながら、乳首を吸われる度に「あぁ、あぁ……」と声を漏らした。それにつれて、芥川が恐る恐るでている陰茎もピクリ、ピクリと断続的に震えていた。試しに、ぎゅっと握ってみると、それは充血した弾力と若々しい跳躍力でもって芥川の手を押し返してくる。
 芥川は胸を高鳴らせながら島崎の体の上に乗りかかった。
 寝巻の裾を割って島崎の太腿ふとももまたぐ。手慣れている――というほどではないが、そうすることを知っているような手つきで、裾が落ちてこないように下腹のところで押さえ、股間を島崎のそこへ押し当てた。
「………」
(熱い……)
 島崎は木綿越しに芥川の熱を感じた。芥川の体はどこも温かかった。彼の背中へ手を回してしがみつくと、寝巻の中にこもっていた熱とともにきついヤニの臭いが島崎の鼻へ届いた。
 芥川は島崎の顔の両側に腕を着いて体を支え、ゆっくり腰を前後に動かして快楽を得ようとした。
 島崎はそれを手伝って、腰を浮かせ、芥川の体へ押しつける。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
 畳へ突っ伏した芥川の表情は島崎からはわからなかったが、その息の速さを聞けば彼もまた夢中で性感を貪っていることは伝わってきた。
「………」
 島崎が体の下でにわかにバタバタ暴れだしたので、芥川は驚いて、
「な、なんだい――
 と起き上がりかけたところを、虚を突かれた。島崎が下から押し返してきて体の上下が入れ替わった。
 痩せているように見えても、島崎の臂力ひりょくは男のそれで。芥川にさっきそうされたように、彼の寝巻の前を広げて温かい肌へ唇を押しつける。
「ん――!」
 島崎は芥川の乳首を舌先でちろちろめて、
「君も感じるんだね……」
 と、嬉しそうな、それでも陰気な声でつぶやく。
 じきに尖ってきたそこを、小さな口に含んで吸い上げる。そして、鳩尾みぞおち、へその辺り、下腹へと島崎の口は下がって、ついに男性器に達した。下着の布地越しに押しつけた鼻先から息を吸い、
「大きい……」
 湿った呼気を吐いた。
 そこまでだった。
 芥川は急に島崎を押しのけ、いざって離れた。乱れた寝巻を直すのもそこそこに、
「やっぱり帰るよ――
 とだけ低い声で、うつむき加減に言って、転げるように早足で廊下へ出て行ってしまった。
 後にはぼんやり座り込んでいる島崎一人残された。
 やがて、島崎も人心地がついて、腰を上げて寝巻を直した。窓際の文机の前に座った。机に手を乗せて、細いため息を一つ。
(まさか、本当に僕が誰とでもあんなことをしてるって、思ったのかな、彼は……)
 つまらぬ嘘をついてしまった、と思った。


 自室に戻った芥川は、いつの間にか全身にびっしょり汗をかいていた。
 べたべたした感じに我慢がならず、仕方なく素裸になって、乾いた下着と寝巻を身に着けた。それで少し気が落ち着いた。
 煙草をくわえて文机の前に胡座あぐらをかく。
(もし僕が逃げ帰らなかったら、今頃は――
 などと、脳髄にこんこんと湧いてくる余計な想像を振り払うためにしきりに煙草を吸う。一本吸い終えて灰皿へ押しつけながら、
(きっと僕は担がれたんだ)
 と考えた。島崎にである。図書館にいる皆があんなことをしているなんて、自分がいかにぼうっとしていたとしても、さすがに気がつかないことはあるまい。
 と、そう考えよう考えようとしても、心のどこかに疑心がひそんでいるのを否定できない。自分の体に、男根にまで唇と舌とをわせようとした島崎の姿が、自然のものでなくて誰かに教えられたものなのではないかと思うと、穏やかでいられなかった。
 なぜ穏やかでいられないか。
 考えたくない。
 芥川は、そのまま机の前に倒れて目をつぶった。視界が閉じられると、暗闇に淫らな空想がさまざまに浮かんで、自涜じとくを誘い、そしてそれに疲れると、眠りをも誘った。

(了)