恋仲

「あぁ芥川……」
 と島崎がうっとりと目を弦月にする。
 下から芥川の体へ押しつけるように胸と腹を反らせる。青い浴衣の寝巻は、ほとんどかろうじて手足にまとわりついているほどになっていた。
 青白い死んだ魚の腹のようだった肌が今はうっすら桜色に染まっている。芥川が触れる度、それがどこであっても素直にその愛撫あいぶに応えてくる肌である。
「あぁ~~……」
 芥川、芥川と呼びながら、島崎は今や芥川の前に全て投げ出すようにして抱かれていた。かつては互いに鋭く批判し合ったこともあった。今、それがなくなってしまったわけではないけれど、二人の間には何か分かちがたいものも生まれつつあって。
 重ねて自分の名前を呼ぼうとする小さな口を、芥川はゆっくり吸いつくようなキスで覆った。どちらからともなく舌と舌とを触れ合わせた。次第に深く絡んでいった。
 やがて離れると、芥川は急に真面目な顔になって島崎を見下ろした。
「……どうしたの?」
 島崎が、まだとろんとした様子のまま、首をかしげた。しかし芥川は黙りこくったまま、やがてのろのろと島崎の体から離れて彼に背を向けた。
「悪いけど……やっぱり今夜はできそうにない」
「えっ、なんで急に?」
「………」
 芥川は気まずそうに目をそらしているばかりである。さも、何も聞かないでほしいと言いたげなその表情に島崎はかえって好奇心を抑えられなかった。悪い癖である。
「えっと……今まで普通にできてたよね?」
 “普通に”と言うのは不適当かもしれない。これまで体だけの関係を続けてきたことの方が、世間的には普通でないだろう。憎しみ合いながら快楽に溺れた夜もあった。犯し犯されるような夜もあった。そのことから言えば、今、肉体と精神の求めるものが随分よく噛み合っている方が“普通”なのかもしれない。
(それはまあさておくとして……)
 島崎は、ツと膝立ちになって芥川の背へにじり寄るといきなり彼の下腹部へ右手を突っ込んだ。
 ぎゃっ、
 と芥川は慌てて飛びのいたが、時すでに遅く、島崎は右手に感じた手応えに首をかしげながら、
「どうしちゃったの君、いつもならもう、これくらいにはなってるはずなのに」
 と言う。これくらい、のところで右手の指を丸めて大きく筒を作った。そして今度はその筒を狭めて、
「今夜はこれくらい……」
「やめてくれ下品だよ!」
 と芥川は口では強がったものの、精神的打撃は相当なものだったらしい。
「うっ」
 とうなだれて、また島崎に背を向けた。
「申し訳ないのだけど、そんな目で見られても君の期待には応えられそうにないよ……」
「僕は別にいつもと同じ目で見てるつもりだけど……ねえ君、なにもそんなに落ち込まなくても」
「がっかりしただろうね君も」
「いや別に……」
「なんやかんやと言ってもやっぱり肉体の満足というのは大事なことだというのは僕も重々承知しているし、僕がそれを与えられないというので君に振られるのなら全く僕の責任と受け止めるつもりで……」
「振られるって……それじゃまるで僕たち交際してるみたいだね」
「みたい?」
「えっ?」
「えっ」
 島崎がきょとんとしているのを見て、芥川はひどく慌てたように赤面して何か言いかけたが、結局言葉が出てこず、再びしょんぼりとうなだれてしまった。
「ねえねえ君、元気出しなよ」
 と島崎は芥川を慰めた。
「今夜はたまたま﹅﹅﹅﹅かもしれないしさ……ちょっと疲れてるとか」
「疲れてなんかいないよ、今日は潜書もなかったのだし」
「じゃあ僕に飽きちゃったとか……」
 と何気なく島崎は言ったのだが、芥川は思いの外怖い顔になってにらんできた。
「……ごめん」
 と、島崎は気圧けおされてつい謝ってしまった。謝ってから、(なんで僕がにらまれなくちゃならないんだろう……)と内心首をひねっている。
「うーん……」
 と芥川の背中から前に手を回して、それを寝巻の脇からそっと差し入れた。芥川が拒むようにその手を押さえたが、さほど力は入っていなかった。
「やめてくれ」
「まあそんなに一人で責任を感じなくてもさ……僕も手伝ってあげるから」
 手を奥に進めると、まだ柔らかいそこに触れた。下穿きの上から握って、やわやわともてあそんでいると芥川が切なげな声を漏らした。自尊心を傷つけられるような気持ちと、快感の間で葛藤しているらしい。
 島崎は芥川の帯をほどいて、寝巻の前を広げてやりながらその足元へうずくまった。膝立ちになった芥川の前で四足を着くと、陰部へ頬を擦り寄せた。
「大丈夫だよたぶん、ちゃんと反応はするんだし……」
 鼻先から口元を使って下着越しに愛撫あいぶしていると、布地の向こうのそれが小さく跳ねて歓喜を伝えてくる。
 芥川の顔を上目遣いに見上げると、反対にこちらを見下ろしてくる青い目と視線がぶつかった。芥川はいかにも切なげに目を細めた。
「口でしてあげるよ……」
 と島崎は言って、下着を下ろすといきなり根元までくわえた。
「ン……!」
「……あは、全部口に入ったの初めてかもしれないね」
 僕はこれも可愛いと思うけど……とからかいながら、島崎は陰茎の裏側を根元から先端までくまなくめてくれた。舌先は陰嚢いんのうの方まで伸びてきた。
 赤い舌がれろれろとそこだけ別の生き物のように淫らに動く。再び先端まで戻ってくるとかぷりとくわえ込んだ。
「うぁ……」
 切羽詰まった声を漏らした芥川であったが、島崎が手をツツと臀部でんぶの谷間まで滑らせてきたのに気づいて驚き、腰を引いてしまった。
「う、うわっ」
「逃げなくてもいいのに……効果はあるよきっと」
「よ、よしてくれないか」
「いつも君が僕にしてることじゃない……」
 と、島崎は薄ら笑いをしつつ、それ以上しつこくもしない。くわえてくちゅくちゅねぶっていると、芥川の両手が頭の後ろに回ってきた。
 島崎は身を委ねてすがままになっていた。
 芥川は島崎の喉を突かないように上手に彼の頭を支えて動いた。
「ん……ん……んん……」
「はあ、はあ、ハア、は……」
 島崎が懸命に陰茎へ小さな舌を絡めようとしてくれるのが、たまらなくいじらしかった。
「……なんか、かえっていつもより大っきくなったんじゃない?」
 と、芥川に組み敷かれながら島崎が言った。脚の間に触れる芥川の張り詰めた陽根の熱に、うっとりと長い睫毛まつげを震わせて。
 陰茎の裏側と裏側が触れ合ってとろけるような心地がする。快いため息がこぼれた。
「あん……なんでさっきはダメだったのかな?」
「知らないよ」
 と芥川は気恥ずかしそうに口をとがらせているばかりで、教えてくれようとはしない。
 芥川が体を前後に揺らして、二度、三度と陰茎をこすりつけてくる。
「あ、ああぁそれ……気持ちいい……」
 島崎は夢中になって眼の前の大きな体にしがみついた。
 やがて芥川は後ろに入ってくると、まるで初めてそうするように島崎の痩身を抱き返して貪った。そのとき、胸が粉々に割れるかと思うような芥川の激しい鼓動が島崎の体まで伝わってきた。
(あ……)
 芥川はひどく緊張しておびただしい汗をかいて、島崎が背に回した手がぬるりと滑ったほどで。
 島崎は、そのとき、芥川が今晩妙に及び腰だった理由がわかったような気がした。そういった心を察せられる程度には文筆家である自負もある。
 が、それを口に出せばきっと芥川は顔を赤くして怒るだろうなと思って、結局そのまま黙っておくことにした。

(了)