夢か真か
「君……酔ってるよね」
と島崎が半眼になって芥川をにらんだのも無理はない。
「いけないかい? 酔っていては」
と、芥川は甘ったるい声を出して、バーカウンターにだらしなくしなだれかかっている。隣の椅子に座っている島崎の腰――というよりは尻の辺りへ、ツと手を伸ばしてくる。
島崎はその手を摘んで、引き剥がすと、
「君、お酒弱いんだね……」
と言って、チョッキのポケットから取り出した小型のノートへそのことを書き記そうとした。
が、芥川がそこへちょっかいをかけて、
「なんだい僕の観察日記かい? ちょっと見せてご覧」
と、島崎の手からノートとペンを奪って、帳面の空いているところへ悪戯書きなど始めたから、島崎も
「一体誰が、そんなになるまで君に飲ませたのかな」
芥川はにやにや人を食ったように笑っているばかりで答えようとしない。カウンターの奥にいる店員の顔を見ても、気まずそうに愛想笑いばかり寄越してくる。
店内に島崎の見知った顔は芥川の他におらず、芥川に聞いても「僕一人で来たんだよ――」と言う。その口調からは本当か嘘かは知れなかった。
「君こそ、一人なのかい? 自然主義の“お仲間”は一緒じゃないのかい」
という芥川の言葉の端に、島崎はいささかの嫌味を感じた。相手にしないでいると、芥川は別段隠そうともせずに、自分から手の内を明かした。
「国木田君が夏目先生やその門下生をあまりよく思っていないことは僕も知っているよ。悲しいね――」
「よく思ってないというか……権威ある人がたまに疎ましくなることもあるだけじゃないかな。新進気鋭の国木田にとっては……」
「それで、君もときどき彼にはついていけないと思って、一人でバアになぞ来るわけかい」
「……何言ってるの。君、今夜はすごく感じが悪いよ」
と島崎はそっぽを向いた。
「そうかな」
と芥川は、薄ら笑いを浮かべたまま手元の煙草の箱を取って、一本
「いつもの方が、よほど君には
「そうだね……」
島崎は芥川と目を合わせないままで、陰気にうなずいた。
芥川は
芥川は、二、三口ふかしてから、肺深くまで煙を吸い込んだ。急に、島崎の肩をつかまえて引き寄せると、ぽかんと開いていたその小さな口を口で塞いで吐息と煙を混じえるキスをした。
「ッ、ごほ! ごほ……」
と島崎が激しく
「君の友達に心無いことを言って、悪かった――」
「………」
しかし島崎が顔を上げて見ると、芥川はすでに向こうを向いてぼんやり煙草を吸っている。
(何なんだろう……)
内心首をひねっていた島崎は、不意に、
「んっ……!」
と、おかしな声を漏らして、慌てて口を手で押さえながら身を縮めた。脇から芥川が手を伸ばしてきて、島崎の
「ちょっと……君……」
島崎がその手を押しのけようとしても、するりとかわされ、
「嫌かい?」
と芥川が、ぞっと性感に訴えるような声でささやく。
「耳まで赤くなって――可愛いな」
とも。どこまで本気で言っているやらわかったものでない。
「いや?」
と芥川はもう一度聞いて、指先で、島崎のエレクトを始めているところを、ツツとそのふくらみに沿ってなぞった。
「ッ……」
「
「人に……見られたら……」
「痴漢に遭っていると大声を上げるかい?」
「……僕に……そんなことできないのわかってて、言ってるよね?」
「さて」
芥川はとぼけている。
芥川の手はますます大胆になってきて、島崎のチョッキの裾から入り込み、シャツの
「ちょっと……本当にそれ以上は」
と、島崎は芥川の手をぎゅっと押さえて拒んだ。芥川も別段無理強いはせず、その代わり肩に肩を寄せてきて、
「したくなってきちゃった――」
と島崎の耳元へ唇を押しつけ、息の音だけでささやいた。
「ね、外に出ようか――」
ささやいた後に、その厚い唇で耳たぶをそっと吸うのを忘れなかった。
二人はバーを出た。
外は晴れていて月が街灯に負けないほど明るかった。夜風が冷たく、島崎には店内での夢のような酔いも覚めるかと思われた。
しかし、芥川の方は全く酔っ払いで、足元がおぼつかない。
「さて、ねえ、どこでしようか」
と島崎の体へまとわりついてくる。口調だけは割合しっかりしているのがいっそ不気味なくらいで。
「ねえ君、本当に酔ってるの……これって、どういう遊びのつもり?」
「嫌いな
「それって楽しいの……?」
「楽しいよ。そういう思いがけなさそうな顔が見られるからね」
芥川は例のごとく人を食ったようににやついている。島崎を近くの路地裏へ引きずり込むと、いきなり抱きすくめて深く
「んッンンッ……や、やだよこんなところで……」
島崎は、芥川が膝をぐいぐい脚の間に押し込んでそれを開かせようとしてくるので危機を感じた。力では到底敵わない。島崎の
「いやだ、誰か来たら……」
「見られたい気持ちがあるんじゃないのかい」
と芥川は島崎の顔を見下ろして言った。
「世間の人に、自分はこんなにいやらしいんだと、告白したくてたまらないんじゃないのかい――」
「……僕の小説のことを言ってるんだったら、的が外れてるよ、君……」
「―――」
芥川は再び
「どこか神社の境内にでも行こうか」
と言った。続きをするために、という意味らしい。
「子供みたいだよ、そんなのは……」
「じゃ、ホテルへ行こうか」
「僕はそんなところには行ったことがないけど……」
「僕もだよ」
とてもそうとは聞こえない調子で言う。
芥川は、上野の
蓮の枯れた池沿いに歩く間、二人は言葉少なであった。
あるとき芥川がぽつりと言った。
「君、あまりそうやって他人に流されるのはよくないんじゃないか」
「?」
「誰に悪戯されても、誘いかけられても、そんなふうに嫌とも言わず
「……怒ってるの?」
島崎は、芥川の冷え冷えとした口調を聞いてそう思った。けれど芥川は、
「別に、怒っていないよ」
とかぶりを振り、君寒いだろうと言って、
芥川は場末の古びたホテルを選んでそそくさと入って行った。島崎が、何もわざわざこんなところを選ばなくてもと思ったくらい、薄汚れて世の人から忘れられてしまったような小さな建物で、全体が枯れた
だが芥川は、
「こういうところでいい――」
と、満足そうであった。部屋に案内されてボーイがお茶を出しに来るまでの間、
ボーイが出て行ったのを見送ってから、芥川は島崎を呼んだ。
「ねえねえ、ここのベッド冬なのにシイツが
そんなことを言いながら島崎は近寄って来た。芥川は窓際に置いてあった壊れかけの安楽椅子に沈んでいた。島崎に向かって、自分の膝を
島崎が椅子の脇でぐずぐずしていると、芥川はその手を取って「もし僕が――」と切り出した。
「もし僕が――君を好きで、こういう場所で世間から忘れられて二人だけで暮らしたいんだと言ったら、君、どうする?」
「またそんな嘘つくんだ……」
と、さすがに島崎も見抜いている。面白くもないという風に、暗い瞳で芥川を見下ろす。芥川も素直に認めた。
「うん――嘘だよ」
でもね、と語を継ぐ。
「嘘でも、誰かに、好きだと言いたくてたまらない夜もあるじゃないか」
「………」
「好きだ」
芥川が手を引くと、島崎は膝から崩れるように身を任せてきた。芥川は何度も繰り返し「好きだ」「好きだよ」と言った。
「……君、嘘をつかれる方の気持ち、考えたことある?」
「ないよ」
と芥川はうそぶく。抱いている島崎の体を伝わって、早鐘を
「寝ようか――」
と、芥川は島崎を抱いて立ち上がった。
島崎が言った通り、ベッドは
芥川は平時になく
「あ……」
芥川の手が胸の先をかすめて、島崎は震え上がった。
「好きなの」
と芥川はすかさず問うた。
「君が今日はやけに優しくするから……」
「それじゃまるで、僕がいつもは優しくないみたいだ」
(その通りじゃない……)
と言いかけたが、口を開く前に、さっき芥川の指がかすめたそこに今度は熱くぬめった感触がして一段高い声が漏れた。
「アァ……待ってよ」
「待てない」
芥川がそこに口を押しつけたまま
島崎の脚の間に割り込んできた芥川の膝が陰部を柔らかく押していた。島崎の腰を引き寄せて自らこすりつけさせようとさえした。島崎はその通りに動いてやった。芥川にバーで触られたときよりももっと激しく勃起していた。
島崎は、自分の胸元を芥川の唇と舌が何か軟体の生き物のごとく
「そんなに見るものじゃないよ――」
と芥川は言いながら、さらに下がって島崎のへその脇へ
「物欲しそうな顔をしてる」
助平だなぁ――と
「君に言われたくないな……」
島崎も仕返しに芥川の脚の付け根へ手を伸ばそうとした。さっき、脚の付け根と付け根をこすり合わせていたとき、芥川のそれも硬く反り返っているのには気づいていた。
芥川はついと逃れて、もう一度口と口とでキスしながら島崎の少年の体を
芥川の長い五指が絡んだ陰茎はそれ自身震えて快感を訴えてきた。
「
人差し指の先で鈴口をくすぐるようにこじった。先走りの汁でぬるついていて、いじっているうちに後から後からあふれてきて滴った。
陰茎の裏を伝う粘液の感触にすら島崎は
「んッ……ンぁ……」
ゆるく開いたままの口を芥川に思うさま吸われた。
首筋も、乳首も芥川の好きなようにしゃぶらせた。
島崎は長く尾を引く
陰部が外気に触れて島崎が冷たく感じたのはわずかな間で、すぐにそこに熱い吐息がかかった。
「ああぁァ……」
見下ろすと、芥川が、ゆっくり顔を沈めて根元まで
芥川は島崎が驚いたほど献身的な
「だめ……だめだよ……」
と島崎が弱ったうわ言を漏らすと、
「嘘」
と、芥川は言い消す。
「たまらないくせに。――が」
と
「だめだよ、それ……イキそうになる……」
島崎は陰茎を包む芥川の唇の柔らかさに陶酔した。きつく吸われながら、後ろの穴には二本の指が出たり入ったりを繰り返していた。そのまま芥川の舌の上で果てた。だめだと言っても芥川は離れてくれなかったから。
口の中に出されたものを芥川が飲み下して、少しむせている姿を、島崎は到底信じられない思いで見つめていた。
芥川は着物の帯を解くとすぐ島崎の脚を押さえて入ってきた。
島崎の放出したばかりの亀頭を握って手中で転がす。島崎がいやいやと身をうねらせる。それを芥川はからかいながら、奥まで快い摩擦とともに入った。
二人とも衣服の前が開いているから、腹と腹が触れ、胸と胸が触れる。芥川は島崎ののぼせて赤らんだ顔を見下ろして、目の上にかかる重い前髪を
「好きだよ」
とささやいた。
「君も僕のことが好きらしい」
と、小憎らしいことを言い添えた。
「っ、臆面もないんだね、君……」
「ここはそうは言ってないよ」
あぁ――と自らも官能に悩ましくうめきながら芥川は腰を使った。突く度に内壁が押し返してきて陽物を締めつけた。
「僕のこと好きだって――離したくないって」
「………」
「好きだよ」
と芥川は何度も言った。
「好きだ」
「………」
「好きだ――」
「……うん」
深く絡み合うキスをしながら二人で昇りつめていく。ただひたすら甘いばかりの夢を二人で見ていた。
(夢でもいいか……)
と島崎は思った。芥川の
「夢から覚める時間だ――」
と、芥川が言ったのは、枕元の置き時計が深夜零時を指そうとした頃のことだった。世の中から取り残されたようなホテルの建物の中で、その安物のねじ巻き時計は不思議と正確に時を刻んでいた。
芥川は、そう言いながらも
「起きないならもう一回する……?」
と、まだ残り火のくすぶっているらしい島崎が、枕の代わりにしている芥川の裸の背へ唇を押しつけたが、芥川はそれを振り払った。
「帰るよ――“芥川龍之介”は無断で外泊したりはしないからね」
二人は念のため少し時間をずらしてめいめいに図書館へ帰った。
もう明け方も近くなった午前三時頃、自室で酔いが回ってぐったり眠っていた芥川のところへ島崎が忍んで来た。どうにも体の奥でちろちろと燃え残って消えない火種を持て余したのがその理由らしかった。
夜明けの空気の冷たさにたまらず身を縮めて芥川は目覚めた。薄明かりの下で机の上の時計を見た。朝六時を少し過ぎている。
「……起きた?」
と胸元から聞こえた陰気な声に文字通り飛び上がって驚いた。
「う、うわっ!?」
悲鳴を上げて、すぐさま自分で自分の口を押さえた。もう起き出している者もいる刻限である。
芥川は朝の寒さも忘れて布団から
よく見れば島崎も同じ姿であった。めまいを覚えた。
寝床の奥の方に丸まっていた下着と寝巻を探し出して身に着け、島崎にも服を着させて、
「で――」
と、敷布団の上で神妙に対座した。
「どういう訳で君が僕の部屋で寝てるんだ。夕べは――いツ――僕は一人で外出したはずなんだけど」
と芥川が二日酔いらしい頭痛を押さえながら言うので、島崎はきょとんと首をかしげた。
「覚えてないの? 何も……?」
「全く覚えてないけど君に何か
「謝るって言われても……」
うつむいてもじもじしている島崎の顔を見て、芥川は何やら嫌な予感がしたらしく、
「酔っていて心無いことを言ったかもしれないけど、それも謝るよ。申し訳なかった」
と先んじてあれこれと謝っておこうという品行方正ぶりであったが、島崎にしてみればどれも的が外れていた。
「本当に覚えてないんだね」
「いったい僕が何をしたって言うんだ」
「夕べは君、すごくて」
「いやそういう話は聞きたくないやめてくれ」
「じゃあえっと……たぶん、君にとっては、思い出さない方がいいことなのかな……?」
「本当に何をしたんだ僕は」
島崎は、
「内緒……」
とだけ言って、問われても答えなかった。芥川は喉に小骨が刺さったような顔をしていた。
島崎はぼんやりと宙を見ながら、昨晩芥川に「好きだよ」と言われた声などを思い出していた。
「いつまでそうして座り込んでいるつもりだい」
廊下に人気がないうちに帰りたまえよ、と芥川がつれなく言った。島崎は腰を上げて、去り際、ツと芥川を振り返り、
「ねえ……夕べはいい夢が見れた?」
と問うた。
「さあ――別段夢見が悪かった気もしないけれど」
と芥川は言った。
島崎は自分の部屋へ帰ると寝巻を着替えて身支度をした。洗面所へ行って顔を洗い、鏡を見て髪を直し、持ち物を確かめた。チョッキのポケットに手を入れたときノートの端に指が触れた。なんとなくそれを取り出して、開いて眺めた。
昨晩「夢でもいい」と思った。
けれど夜が明けようとする今も体に残る
島崎は、指先で、画の河童の皿の上をそっと
(了)