駆け落ちしよう
「ねえねえ……僕と駆け落ちしない?」
といきなり島崎が言い出したので、芥川は火の
「は――?」
と、普段より二トーンほど低い声が端正な造りの口元から漏れた。さも何を言われたか理解できなかったというように。
島崎は
「僕は以前、君のことは嫌いだと言ったはずだけど――もう覚えていないらしいね」
「それは覚えてるよ」
「だったらどうして駆け落ちしようなんて言葉が出てくるんだか。嫌いな
「嫌いな相手だからだよ」
と島崎は言う。
「君は僕が嫌いなんだから、僕にどう思われたって構わないよね……外の世界で二人で暮らそうよ。図書館にいるのと違って、人の迷惑とか考えなくていいし、君も好きなだけ芸術に没頭できるんじゃない?」
「―――」
芥川は険しい顔で数分も黙り込んでいた。が、とうとう首を横に振った。
「お断りだ」
「……駆け落ちなんかしたら図書館に残されたみんなに迷惑がかかるから?」
「違う。僕の世界に君一人しかいなくなったら――君が唯一僕を見つめる目になったら――結局同じことだからだ」
というのが芥川の返答であった。
「……そうだね」
と、島崎はうなずいた。
「安心したよ」
「ふん」
「もし本当に僕と駆け落ちしてもいいなんて考えるようなら、見損なうところだったよ」
「じゃあ、そう答えればよかったよ」
「そうしたら、駆け落ちしないといけないね」
結局どう答えても芥川にとっては面白くない話なのであった。芥川は、
むう、
と、うなって、灰の長くなっていた煙草を灰皿へトンと押し当てた。
(了)