思草

「君と僕って、実は案外似てるんじゃないかと思ってるんだよね……」
―――
芥川が黙って本を読んでいる隣で、島崎一人ぼそぼそと喋り詰めであった。談話室には、他にも文士たちが、論じ合ったり、将棋を指したり、撞球に興じたりしていた。皆自分のことに夢中で、芥川と島崎が肩を並べている長椅子の方に注意を払っている者はいない。
 芥川は、珍しく煙草を吸わず、ただ黙って本を読んでいる。和漢天竺の話を集めた古い本である。さして面白くもないのであろうことは彼の表情から知れた。
「どうして煙草を吸わないのかな」
 と島崎が首をかしげる。
「僕が来るまでは吸っていたじゃない。僕を見ると、まだ吸いかけなのに灰皿へ押しつけちゃって……僕は別に嫌煙家ではないけど」
「君の前で吸っているとロクな目に遭わない」
 と、芥川は何か嫌な思い出でもあるらしい口振りである。それだけ言うと、またむっつり黙り込んで本のページをめくった。
「ところで、僕と君って案外似てると思うんだよね」
―――
「君、僕の『新生』を読んだよね」
―――
「君がどういう感想を抱いたのかは覚えてるよ……散々に言ってくれたね」
―――
「老獪な偽善者だとか、老練家だとか……」
―――
「それに……『果して「新生」はあったであろうか?』」
 と言って、島崎は、かたくなに目を合わせようとしない芥川の横顔を見つめた。
「君は僕の小説に何を求めていたのかな。懺悔……? 魂の救済……? 君は僕の中に……君自身の中に……どんな『新生』を見いだしたかったんだい」
―――
 芥川は乱暴に本を閉じて席を立とうとした。島崎は、くすりと笑い、自ら先に腰を上げてそれを制した。
「君が逃げることはないよ……僕はもう寝る時間だから」
 潮を失った芥川は、苦しげな顔をして椅子に沈み込んだ。右の手のひらで右目を押さえ、まぶたの裏に映る何ものかを見つめている。物欲しげに喘ぐように、口を薄く開いたり閉じたりする。
 立ち上がって芥川を見下ろしている島崎が、
「口寂しそうだよ……」
 と、憐れむような調子でささやいた。つと芥川の上に屈み込むと、短い接吻を与えた。
 芥川は息を呑んで島崎を押し返し、ひどく狼狽して室内を見回した。幸い、他の誰にも見られてはいなかった。
「やっぱり、君は煙草を吸っている方がいいね」
 と島崎はからかうように言い、芥川のそばを離れた。
「……新生が新生であるというのは、それの達成せられないところにあるんだよ」
 島崎は、「お休み」の代わりに、そのようにささやいた。

(了)