愛煙
ほ、
と芥川が人魂のような煙を吐く。それからまた美味そうに煙草を吸う。バットの甘いラムに似た香りを肺深く満たす。
今度はそれを細く長く吐いた。
図書館には禁煙の場所が多い。廊下はダメ、玄関ホールもダメ、図書室、もちろんダメ。司書室は禁じられているわけではないが、司書婦人は煙草の臭いが苦手なようだから遠慮してしまう。堂々と吸えるのは、居住区の食堂や談話室だが、本館からは遠くてわざわざ帰るのも億劫だ。
それで、本館出てすぐの裏庭で灰皿片手に吸っている。あまり人も来ず、静かでよい場所である。
島崎藤村に見つからない限りはだが。
「あまり感心はしないよね。助手の仕事を頼まれているのに、何度も煙草を吸いに出て休憩してるんだから。その回数と時間を掛けた分、手当を減らしてもらうのが道理じゃないかな」
島崎は、芥川の脇で植木の紫陽花など眺めながら言った。芥川は別に返事などしたくもないのだが、放っておいてべらべらと好き勝手喋り続けられるのも嫌で、
「誰も数えている者などいないよ」
とつめたく言った。
「今日だけで、もう十四回目だよ」
と島崎は平然と答えた。
「煙草一本につき、平均して五分から六分といったところかな……」
「―――」
芥川はいささか寒気を覚えずにはいられなかった。
さっさと煙草を吸ってしまって、図書室に戻ろう。と思い、味わう手間もかけず、すぱすぱと立て続けに吸った。
「煙草、そんなに美味しい?」
と島崎が芥川の顔をちらりと見上げた。芥川が答えないでいると、
「僕も転生する以前は愛煙したはずなんだけどね……今はそこまで吸いたいとは思わないな。どうしてだろう? 今の僕は、本当に前世の僕と同じなのかな」
「―――」
「君も……本当に前世の君と同じかな?」
芥川は黙って煙ばかり呑んでいる。
島崎の感情の読めぬ表情はぴくりとも動かない。
「ねえ……煙草、美味しい?」
と、もう一度芥川の顔を見つめながら尋ねた。
島崎が、芥川の懐へぐっと踏み込んでくる。芥川は煙草と灰皿で両手が塞がっており、咄嗟に押し返す手がなかった。右手の指に挟んであった吸い差しは、ぽろりと地面へ落ちた。
島崎は、すぐに芥川から離れた。口をわずかに尖らせて、淡い煙をふうっと吐き出した。
「あんまり美味ではないね」
地面へ落ちた煙草を見つけて拾い、固まった姿でいる芥川の右手の指の間に挟んで戻しておいた。それから、ポケットから小さな帳面を取り出して、ペンで何やら書きつけ、得心がいくと、
「煙草の火、そろそろ危ないよ」
と芥川に忠告して、自分はどこかへ去っていった。
危うく指に火傷をする寸前で、芥川は煙草を灰皿に押しつけた。肺深くからのため息が漏れた。
(了)