昼寝
精神的な侵蝕であれば半日ばかりも“補修”を受ければ癒えるが、肉体の損傷となるとそうもいかない。利き足を捻挫した島崎は、鴎外から二、三日は自室で安静にしているようにと言いつけられて、昼間から布団を敷き、寝床に座って書見などしていた。
枕元に、苦虫を噛み潰したような顔つきの芥川が正座している。
「これ、お見舞いだけど」
と、風呂敷包みを開いて羊羹を一竿取り出した。島崎はそれに一瞥をくれ、
「すぐに食べられないね、切らないと」
とのたまう。ぬぬぬ、と芥川はうなった。
「食堂の台所を借りて切ってこよう」
「ううん、いいんだ……それより話し相手にでもなってほしいな。どうにも、退屈なんだよね」
芥川はしぶしぶその場にとどまった。そうやって島崎の言いなりになっているのには理由があった。
「仕方ないね――君のその足、僕の責任だから」
島崎が足を捻挫したのは、図書館のエントランスホールの階段から落ちたせいであったが、そのきっかけを図らずも作ったのは芥川であった。階段で下駄の鼻緒を切ってしまった芥川を島崎が助けた代わりに、彼の方が転げ落ちてしまったというわけである。
島崎は死魚の目を細めて、おかしそうにしている。
「僕を傷物にした責任を取ってくれるというわけ」
「言い方が気に入らないけれど、まあ、そういうこと――」
「僕のお願いを聞いてくれるとか?」
「それで君の気が済むならね」
「ふぅん……」
と島崎は思案顔になり、
「じゃあ、君のことを取材させてほしいと言ったら、させてくれる?」
「気は進まないけど、今回ばかりは受けてもいいよ」
「こうあっさり話が進むと、なんだか気味が悪いね」
「早く本題に入りたまえよ」
と芥川はせっついた。島崎は意味ありげな流し目を寄越してきて、
「そうだね……じゃ、君が恋人の前ではいったいどういう風に振る舞うのか、取材させてほしいな……」
とささやくように言う。芥川は、気軽に取材を引き受けたことをさっそく後悔した。辟易して、あからさまなため息が漏れた。
「ああもう、君ね――」
「どうせなら実演して見せてほしいな。僕を恋しい相手だと思って」
島崎はくすくす笑っている。本気ではなく、芥川を嬲って愉快がっているにすぎないのかもしれない。が、芥川という男はどうかすると鈍いところがあって、
「それで間違いなく気が済むのかい」
と念を押してくる。
「そうだよ。恋しい
「どういう意味かな」
と言いながら、芥川は島崎の体へ手を伸ばした。大きな手で島崎の背を抱え、もう片手をその尖った顎へ添えて上向かせる。
「え? あ……」
と島崎が漏らした声ごと吸い取るようにして、芥川はその小さな唇へ接吻した。深入りはせずに離れると、
「森先生の言いつけ通りに休んでいなくてはいけないよ」
と、甘ったるくささやきながら島崎の体を布団の上に横たえた。手慣れている。そうしてから自分も寝床の端をめくって、すっと足先から中へ入り込む。これまた手慣れている。
島崎の方が却って戸惑ったような様子で、芥川の胸板に両手を当てて押し返した。
「ちょっと……」
「なんだい、人がせっかく言うことを聞いてあげているのに」
「やっぱり、いいよ」
「なぜ」
「君の手練手管なんか、知らない方がいい気がするからね……」
「なぜ――?」
芥川は島崎の耳元でぞっと鳥肌の立つような声を発した。恐ろしいという意味ではなくて、それだけで性感が刺激されて背筋に震えが走るような、そんな声だった。
「なぜって、君……」
「怖いのかい?」
溺れてしまいそうで? と島崎の手を取って、指と指とを絡めた。大きな手で、島崎の指の細さを確かめるように愛撫した。
手を握り合ったまま、今度は深く接吻した。いつものような性急なそれとは違い、ゆっくりと時間をかけて少しずつ奥へ奥へと進み、同時に島崎の心までこじ開けようとするように。
「んん……ねぇ君、普段はいったい誰とこんなふうにしてるわけ?」
と、島崎はいささか焦点の定まらぬうっとりとした目を芥川に向けた。芥川は青い目を細めて、島崎のまぶたや頬へも接吻を落としながら、
「やきもちかな」
と、くすりと笑う辺りが小憎らしい。
接吻を繰り返し、優しい愛撫を島崎の痩身へ加える。紳士的――と油断をしていると、ふいに芥川は島崎の寝巻の裾を割ってその奥まで右手を差し込んできた。
「……!」
接吻でしっかりと口を塞がれたままで、島崎は声も出せない。陽根に芥川の指が絡みついてくるとたまらず、腰が突き上げるようにうねった。捻挫した足が痛んだが構っていられなかった。
「もうこんなにして――」
と芥川が舌たるく鼻にかかった声で揶揄する。そんなことにも島崎の体はいちいち反応するようだった。手の中で痙攣して震える陽根の裏側を指でさすってやっていると、じきにそこまで垂れるほど先走ってあふれてくる。
(こうも素直だとこっちも演じ甲斐があるね、まったく)
芥川は島崎の脚の間の奥まったところへ指先を伸ばした。これもいつものごとくにいきなりではなくて、初めは優しく愛撫をして島崎が自ら受け入れるのを待つ。そして一旦許されると、あとは勝手知ったる手つきでその場所をまさぐった。
「ぁっ、ぁん……んん……」
島崎は手で自ら口を押さえて声を漏らすまいとした。昼間で居住区に人気はなかったが、万が一誰かが自分を見舞いに来ないとも限らない。さっきまで口を塞いでくれていた芥川の唇は、今は胸元へ下がって小さな突起を啄んでいた。
「いじらしい」
と芥川が島崎の格好をからかう。芥川の指で辱められている場所はそんな言葉の断片にさえ健気に応えた。
「好きだよ」
と、芥川が耳元に告げてやると、痛いほど締め付けてきた。締め付けながら、
「嘘……」
と島崎は弱々しくなじった。
「嘘じゃないよ」
芥川が嘘を重ねれば重ねるほど島崎は乱れた。自らもう犯してほしいとせがんだ。
「だけど君、足の怪我が――」
「平気……」
「恋人がそんな怪我をしていたら、普通それに無理はさせられないと思うものじゃないか?」
「そっちがその気にさせておいて」
ずるいよね、と口を尖らせる。やり方が悪質だと言う。芥川も言い返した。
「その気になったのはそっちだよ」
「だって、嘘だってわかってても……」
島崎は自分で寝巻の帯を解いて、芥川の目の前に素肌をさらした。右足の包帯が痛々しい。
芥川も着物の前を開いて島崎を自分の体の下へ引き寄せたが、まだ抱かない。手指の愛撫のみ与えた。
「お願いだから……」
と島崎に懇願されてようやく、そこから指を抜いて、代わりに腰の物を押し当てた。
「君がどうしてもと言うから」
「うん……」
「僕は、怪我人にこんなことをするのは気が進まないんだよ」
「そういうところが悪質なんだよ」
それ以上の言葉を封じるように、芥川は躊躇せず島崎の中ヘ押し入った。足の捻挫を気遣ってできるだけ動かさないようにしてやりながら、
「好きだ」
とまた嘘をつく。その度に島崎の体の内側が――おそらくはそうと意識せずに――応える。その健気な反応を芥川は気に入っていた。
「あっ、あッ、あぁ」
「声」
島崎がこらえきれずに喘ぐ口を、芥川は唇で塞いだ。接吻では抑えきれないとなると、手で島崎の口を覆った。
「噛んでもいいよ――」
と、いつもは口にしないような言葉をかけ、男根の根元までゆっくり力を込めて突き入れる。島崎がいやいやをするように首を振ったが、芥川はやめなかった。
「君のことを知りたいよ」
とささやいた。島崎の死んだ魚の目が急に生き返ったように見開かれた。
「奥の奥までね――」
そんな睦言とともに突き上げる。櫓を漕ぐようなゆるやかな動きで抱いた。島崎は芥川のなすがままになっていた。
(それはやばいって……やばい……)
内心は、弱りきって、なせることが見つからなかったと言った方が正しい。
ああこれが君の嘘でなければ……と、島崎は芥川に貪られながらそのことだけ一心に思い詰めていた。
「やっぱり足を余計に痛めたんじゃないのかい」
と芥川は身づくろいをしながら、多少心配そうに、寝床へ突っ伏している島崎を見下ろした。
「平気だよ」
島崎は向こうを向いたまま、ぼんやりと返事を寄越してくる。芥川は怪訝に思ったが、それ以上聞くべきこともなく、手早く着物を直し角帯を締めた。
「で、君、“取材”には満足がいったのかい」
「うん、おかげさまで……」
(いやに素直な)
と、芥川はさらに訝った。なんやかんや文句をつけられて、“取材”のやり直しを要求されるくらいのことは覚悟していたのだが。
「じゃあ、僕はもう君の怪我の責任は果たしたよ」
「うん……僕のわがままを聞いてくれて、ありがとう……」
芥川はしきりに首をひねりながら島崎の部屋を出た。
芥川は談話室へ行って、床の中で吸えなかった煙草を一服やって、ようよう人心地がついた。
(まあ、今日は僕もいつになくいい思いをした)
あんな作りごとめいた睦言の一つや二つで具合がよくなるのだから、かの老大家もなかなかに初心ではないか。と昼下がりの情事をまぶたの裏で反芻して、
はた、
と思うところあって目を開けた。
(普通――抱かれている最中に、そんなささやきごとで火がついてしまうというのは――つまり)
「―――」
芥川は、随分長い間ぽかんとしていた。指に挟んだ煙草を吸うのも忘れていた。やがて、その先に長くたまっていた灰がぽろりと膝の上に落ちた。
「うわ、ッ! あっつ!!」
芥川が慌てて灰を摘んで、平時の涼しい顔はどこへやら、あたふたうろたえている姿を、周りの席の文士たちが揃って物珍しそうに眺めていた。
(了)