朝寝

「うぅ、眠い……」
 と島崎がぼやいて、しきりに大きな欠伸をしている。
 中庭の池の端に建つ東屋に、島崎と田山が二人でいて、田山はテーブルに広げた原稿用紙に大急ぎでペンを走らせており、島崎はといえばぼんやりと池のアヒルなぞ眺めている。
「花袋、今日の正午が締切だよ。間に合わせなきゃ次は国木田が取り立てに来るよ」
「わーかってるよ!」
「今夜やる、今夜こそやると毎晩言っておいてやっていないんだから……」
 そう言う島崎は、田山の隣に座って原稿を見張っているという体だが、眠たげにうつらうつらしていて頼りない。
「藤村、お前夕べ寝てないの?」
「うん、ちょっとね……」
――少し寝ておいたらどうだ? 俺その間に原稿書くしさ、書き終わったら起こしてやるから」
 と田山はさも親切そうにニコニコしながら言った。島崎は怪しみもせず、欠伸をしながら素直にうなずいた。
「そうだね、そうさせてもらおうかな……やっぱり君は優しいね」
(どこかの誰かと違って)
 心の中で言い添えて、島崎はテーブルに寄りかかり目をつぶった。そしてじきに寝息を立て始めた。
 それを念入りに確かめた田山は、
「よし今のうちに気分転換に」
 と逃げ出そうとしたが、立ち上がったところで腰をぐいと引き戻されてたたらを踏んだ。
「う、うげ、い、いつの間に――
 と見れば、田山のズボンのベルトには島崎の夏外套の紐が固結びに結び付けてあった。島崎は素知らぬ顔ですやすやと眠っていた。


「朝飯も食いに現れずに何をしてるのかと思えば――雨でも降るんじゃないのか?」
 と言ったのは菊池であった。朝食時に食堂へ姿を見せなかった芥川を案じて彼の自室へ様子を見に来た菊池と谷崎は、そこで随分珍しいものを見た。皆が朝食を取っている間に風呂を使ったらしい芥川は、薄物一枚の姿で濡れた髪もそのまま背に垂らして畳の上に座り込み、煙草をふかしていた。
「あらあらどういう風の吹き回し――その髪、早く乾かさないと冷えますよ」
「あれだけ日頃風呂に入れと言っても聞かない物ぐさが、珍しい」
 と谷崎と菊池は代わる代わる言って部屋に上がり込んだ。二人がかりでタオルを使い芥川の長い髪を拭いてやりながら訳を問うと、
「昨晩は非常に汗をかいてね」
 と芥川は眠たそうに答えた。
「なるほど確かに夕べはひどい暑さで寝苦しかった」
 と、菊池は素朴にうなずいていた。
 日が高くなった頃でさえ眠そうな芥川は、図書室の椅子でうつらうつら舟を漕いでいた。肘掛けへ肘を置いた手にもたれて、うつむきがちに閉じた目元も涼しげであった。
 その居眠り姿を太宰治が床にひざまずいて拝まんばかりにして眺めていた。
 そこへ堀と中島が掃除用具を手にしてやって来た。
「芥川さん、もうすぐ開館時間ですよ、起きてください」
 と、堀が芥川の肩に羽箒をかけながら言った。
「ちょっ堀ぃいい芥川大先生に何してんの!? やめて! やめて差し上げて!」
 と芥川を庇ったのは太宰である。
「いいじゃんちょっとくらい寝かせておいてあげたら――こんなに涼やかな寝姿、世が世なら朝寝の光源氏って風情だよ」
 さらに中島が畳みかけるように言った。
「『こよなき御朝寝かな。ゆゑあらむかしとこそ、思ひたまへらるれ』ですね。夕べは何か事情があったんでしょうか、芥川さん」
 言いながら、足音を忍ばせて芥川に近づき、着物の袖辺りのにおいをおそるおそる嗅いでみて、
「大丈夫、きれいです」
 それならば寝かせておいてもいいかと、中島と堀は他の場所を掃除しに去って行った。
 あとには太宰と眠りこけている芥川ばかりが残された。太宰は中島と堀の物言いにぷんすかと憤慨しながら、朝寝から目覚めぬ芥川を見つめ、ただただ恍惚と、聖なる神像を礼拝するようにしていた。

(了)