蟠竜

 どうにも収まりのつかぬ心地がすることがある。
 有碍書への潜書を終えて現世へと帰還した後、逆鱗げきりんに触れられた龍が見境なく暴れ回っているような、荒くれた心を持て余すようなことがある。潜書などは“仕事”だと割り切ろうとすればするほど、その龍は凶暴さを増すように思う。
 有碍書の世界の記憶は、明け方の夢のように五感の感覚までまざまざと脳裏にちらつく。芥川は昔から鮮明な夢を見るたちであった。“仕事”と称して侵蝕者を剣で斬り捨てた感触、襲われた痛み、戦いの緊張の中でたける野蛮な心――夢から覚めた後もそういったものが残滓ざんしのように精神にこびり付いている。それが自身の内部の龍を呼び覚ますのかもしれぬ。
 カフェーの壁掛け時計は午後四時を指していた。
(……どういう風の吹き回しかな、芥川の方から外出に誘ってくるなんて)
 と、窓際の席に座って外の通りを眺めながら島崎は思った。「四時に例のカフェエで」と、芥川が寄越した検閲を通さない手紙に書かれていたのはそれだけである。
 島崎は往来を行き来する人を目で追いながら、図書館での芥川の様子を思い出そうとした。
(芥川は、今日は午前の潜書だったっけ)
 特に何か事件があったとも聞かなかったけれど。とぼんやり思っていると、通りの向こうからその芥川がやって来た。背高で華やかな容貌だからすぐにわかる。いかに変装をして衣服を変え、龍の尾のごとく背へ垂れる髪を外套がいとうの中へ隠そうとも。
 店の前まで来た芥川は、窓硝子越しにこちらを見ている島崎と目が合った。カフェーのドアをくぐると、脇目も振らず島崎のいる席へ向かった。
「やあ」というような挨拶もなしに、芥川は外套がいとうのポケットから時計を出して、
夕飯ゆうはんまで三時間ばかりある」
 と言った。
「そうだね」
 と、島崎は小首をかしげた。
「それまで何をするつもりなのかな」
「出よう」
 と、芥川は有無を言わせずに島崎をカフェーから連れ出した。
「ちょっと……どこへ行く気……」
 先に立って歩く芥川はどんどんうら寂しい界隈かいわいへと入り込んで行く。道の両脇に、今では廃れた前時代の木造家屋が建ち並ぶ。やがて、さる抜け路地にある一軒の古びた茶屋の前で足を止め、紫の暖簾のれんを分けて中へ入った。
 島崎もその後を追った。入ってすぐの土間は薄暗く、帳場らしきものもなければ人気もない。
「履物は持って上がるんだよ」
 と芥川は勝手知ったる風に言いながら、板の間へ上がって、脱いだ下駄を右手に持ち、すぐのところにある上り梯子ばしごを登った。階上に靴入れがあった。
 二階の廊下の奥にやっと帳場があり、おかみさんが座っていたが、芥川と島崎の姿に気づいてもいらっしゃいとも言わない。二人の顔を見ないようにうつむいている。
 廊下の両側にそれぞれ二つずつ部屋があって、全て襖は開いていた。芥川と島崎は左手前の部屋へ入り、襖を閉めた。
 室内には床が二つ並べて延べてあった。芥川はその枕元へ胡座あぐらをかいて座った。目がかすむようなそぶりで、しきりと右目をこすっていた。
 島崎も近くに膝を着いた。
「ねえ……」
 と芥川に説明を求めようとしたが、
「しっ。今におかみさんが来るから――
 と、制された。事実、廊下をひそひそとこちらへ向かって来る足音がして、この部屋の前で止まると、襖が細く開き、茶碗ちゃわんを二つ載せた盆がすっと室内へ差し入れられた。それだけで、静かに襖を閉めておかみさんは帳場へ戻った。
(ようするに)
 島崎もここまでされて察することができないほど初心うぶではない。この茶屋は、いわゆる連れ込み宿というやつなのだなと思った。こういう場所に来る人間にはのっぴきならない事情があるのが常である。だから、店の者が客の顔を見ないで済むような仕組みになっているわけだ。
「面白いね……何か小説の題材にならないかな」
 島崎ののんきな声もそれきりであった。
 芥川に腕を取られたと思うや、乱暴に寝床へ引きずり込まれた。
 語らいも、接吻キスも何もなく、いきなり着ている物を暴かれた。芥川自身も着物と下穿きを鬱陶しげに脱ぎ捨て、島崎の腹の上へ乗りかかった。
「ちょっ……待って、なんでそんなに」
 痛い痛い、と色気もへったくれもない悲鳴を島崎は上げた。
「無理だって……入らないよ……」
―――
「ねえどうしたの、今日は……」
 島崎は細い手を芥川の陽物へ伸ばした。驚くほど強張こわばっているそこへ五指を巻きつけた。
「すごいよ……」
 何かあったのかと問うても、芥川の返答はない。
「答えたくない、というわけじゃない」
 と、芥川は低い声でささやく。ただ僕にも答えられないのだと言う。それでは、島崎にも何とも言うべきことが見つからない。
「……少し、楽にしてあげようか」
 島崎は芥川と体の上下を入れ替えた。あお向けになった芥川の上に重なって、自らその肌へ手指や口唇をわせた。腰のところへうずくまると、らさずにすぐ陽根を口にくわえた。
「う――
 と芥川がけだものじみたうなり声を上げる。奥歯をみ締めて、舌の上へじわじわあふれてくる唾を、喉をぐびりと鳴らして飲み下す。島崎の頭の後ろをわしづかみにして押さえた。
「んん……」
 島崎は少なからず息苦しげにうめいた反面、うっとりと目をつぶり長い睫毛まつげの先を震わせた。きつく吸いながらもっと深くくわえようとした。口に入りきらない根元の辺りには指を絡めた。
「あ、ッ、出るよ――
 と、やがて芥川が切羽詰まった声を漏らして、島崎の頭を押さえる手に力がこもった。島崎は芥川のなすがままであった。
 芥川の体が弛緩しかんしてから島崎はようよう口を離した。
「……飲んじゃったよ」
 と芥川の顔を見上げて、空っぽの口の中をあーんとのぞかせた。赤い天鵞絨ビロードのごとき舌の上まで見せつけた。
「ばかだね」
 と、芥川は、ひんやりとした声でそしった。島崎は芥川の裸体の隣へ身を横たえた。
「少しは落ち着いた?」
「うん――たぶんね」
「午前の潜書中に何かあったとか?」
「いや」
 芥川はかぶりを振る。
「何も」
「ないの」
「何もない」
 全て平時の通り。「仕事」で「生活」の一部となったこと。侵蝕者をおのが手で斬り捨て、こちらも多少の怪我けがを負わされた。それだけのこと。
「それだけのことだ」
 とあお向いたまま言う芥川の下腹へ島崎はおもむろに右手を伸ばした。
「それだけって感じじゃないよ……」
 いまだ硬度を失っていないそこを指先でいらう。先端をこじると、芥川がアアとため息をついた。
 芥川の方からも島崎の体へ触れてきた。彼にしては珍しく遊興的な技巧のない、くらい欲望をそのままさらけ出すような触れ方をした。
「ン……」
 島崎は芥川の様子に何かあの嵐の夜を思い出すような心持ちがして、少しばかり怖気おぞけが立った。
(怖い……)
 という心がないと言ったら嘘である。しかしそう思うと同時に、そんな感情の中で己の薄赤い陰茎が大人の男のそれに変わっていく自覚もある。
(やっぱり僕って変だよね……)
 芥川がうんと身をかがめて島崎の脚の間へ顔をうずめた。
「あッ……!」
 と、島崎のゆるく開いた口から鋭いあえぎ声が漏れた。芥川の舌はぬめっていて恐ろしく熱い。
 芥川は島崎の生白い腹の上へ登った。頭を島崎の足先の方へ向けて、彼の陰茎をしゃぶりながら、自らも腰を落として島崎へもう一度口淫をせがんだ。
「いいよ……」
 島崎は目の前の肉叢ししむらへ舌を伸ばした。
 芥川も熱心に吸っては唇と舌で愛撫あいぶを加えた。陰茎の裏側を先の方から根元へ向かってめる。陰嚢いんのうにまで唇を押し当てて吸い上げ、また先端へ戻って、じゅると水音を立てて鈴口と接吻する。
「あァやっぱり、君の方が上手……んン」
 そんな睦言むつごとでさえもどかしいと言うように、芥川は張り詰めた陽根を島崎の小さな口元へ押しつけた。島崎も拒まない。
 何事も都会風の芥川にはまれな動物的行為と野卑な愛撫あいぶは、しかしそう長くも続かなかった。刻一刻と過ぎていく時を惜しむように性急だった。
「ッア、げほ、っ」
 と、島崎が喉を突かれてむせているのを、ぞんざいにつかまえて、体をうつ伏せにひっくり返して、芥川は後ろからそれを犯した。
「君だって今度は欲しがってるじゃないか――ここ、ひくつかせて――
 と皮肉を言いながら尻たぶの間へ入り込んでいく。
「あ、あ、あっ」
 もっとゆっくり……と島崎が訴える暇もなく芥川は一息に入った。知り尽くした動きで少年の体を責め立てた。
「あッ、あァァッ、そこ……怖い……変になる……」
 根元まで収まった芥川の陽物は怖くなるほど奥まで届いた。
「あ、アッ! んんン」
 島崎がたまらず枕で口を塞ごうとしたのを、芥川は後ろから顎をつかんで引き起こして、
「今日は声を我慢しなくていいのだから――
 と言い、島崎の細い背へすがりついて大きく腰を打ち付けてくる。そう言う芥川自身、はぁはぁと荒々しい呼吸の合間にうなるような声を隠そうとしない。
「はァ、は、は、ハ、ッいいよ、君のここ」
「ほん、と……?」
――すごく」
 美味だよと生唾をみ、腰をこねるようにして押し込む。搾られるような肉壁の締め付けを味わって、芥川はうめきながら最奥まで夢中で突いた。もうさほど長くはもちそうになかった。
 島崎はひざまずいて、両手と額を布団へうずめていた。懺悔ざんげにも似た姿で後ろから芥川に突かれる度に、脳髄にまで響くような衝撃と快感とを己の肉体が訴えるのを感じて大いに乱れた。
 アアア……と、ほとんど悲鳴に近い声であえいだ島崎を芥川は抱き締めて、最後におすの動物と化してから射精の寸前で島崎の体を離した。
 白濁した体液は島崎の尻を汚した。芥川は陽物の先でそれを塗り付けるようにさえした。島崎は、懺悔ざんげの姿のまま甘んじてそれを受け入れていた。
――明日、もし体の具合がおかしくなったら、早いうちに森先生のところへ行きたまえよ」
 と、芥川のいやに落ち着いた声を島崎は背中で聞いた。
「でも体を見られるよ……」
「森先生はこんなところまで診るわけじゃないだろう」
 芥川は紙入れからちり紙を抜いて、島崎の尻に散った自身の精液を拭きながら言った。
「本当は」
 と言った。
「本当は、森先生に見られて困るのは、僕ではなく君の方だったのじゃないかと」
「………」
 島崎はそれには答えず、代わりに芥川の方へちらと流し目を寄越した。
「まだ収まりきってないの……?」
 と芥川の下腹部を見て目を細めた。
「本当に今日はどうしたっていうの……若いね君も」
 最後に言い添えられた言葉に芥川は揶揄やゆを感じた。「君だって」と言い返して、島崎の脚の間へ手を入れいまだ勃起したままでいる陰茎を握った。
 島崎はまた体の裏表をひっくり返されて、あお向けに寝かされた。
「陰間は本手取りを好むのだと何かの本で読んだ気がするけれど、どうなのだかね」
 などと芥川は言いながら、島崎の両脚を膝の裏から抱えてその間へ入った。枕を一つつかむと、組み敷いた細腰の下へ挟んでいい高さになるようにした。
 れるよの一言もなく、芥川は再び島崎を犯した。
「あァ……」
 島崎が恍惚こうこつとして睫毛まつげを震わせたのを見届けてから、芥川は動いた。最初は浅く、肉壁の天井を突いて動いた。
「ここいいのかい――
 島崎のよがる部位を見つけるとそこを執拗しつように突いた。
「はぁ、はア、そ、そこ……なんか、出ちゃうかも……」
 と島崎が弱音を吐いた。芥川は島崎に自慰を強いた。「見ていてあげるよ」と言って、自分で自分の陰茎を握らせた。
「はあ、アァ、あッ、ああアァ」
 と、島崎が貫かれながら自ら汚して達したのを、芥川は小説家的な目で――ものの内側に真実を探すような目で――見ていた。
 無論それとは別に性的な興奮もある。
 弛緩しかんしかけていた島崎の体を抱いて、芥川は貪った。ぐっつりと深く入った陽物でどんなに無体をしても島崎は拒まなかった。
「ア、またイク……」
 と島崎が声を震わせたのを芥川は聞いた。そのときになって初めて、自分の腹の下で島崎が自慰を繰り返していたことに気がついた。
「来なよ」
 と言ってやった。己の方からも島崎の陰茎に触れて早く来いと誘った。
 布団の脇に脱ぎ散らかされた衣服のポケットから懐中時計がのぞいているのがちらと目に入った。夕飯ゆうめしの時間まではまだかなりあった。


 近頃日が落ちるのも随分早くなった。
 すでに暗い窓の外へ背を向けていた島崎は、身支度を終えると、窓際で煙草を吸っている芥川を振り返った。芥川はいささかだらしがないほど気がゆるんでいて、窓枠にだらりと背中を預け、足袋を履いていない両足を前に投げ出して、右手の指に挟んだ煙草をときどき口に運んでは青い煙を吐いている。
 そんな姿を見て、島崎は、
「暴れていた龍が、ようやくとぐろを巻いて大人しくなったらしいね」
 とからかった。
―――
 芥川は、ぼんやりと島崎の顔を見つめているばかりであった。
 島崎は芥川から少し離れたところに膝を着いて座りながら言った。
「ここって、帰りはどうするの」
「初めにおかみさんが持ってきた盆があるだろう」
 と、芥川は煙草の火の先で部屋の入口を指す。
「それに料金を載せておいて、黙って帰ればいいよ」
「ふーん、そんなので、お金を払わずに帰っちゃうお客なんかいないのかな」
「こんなところに来る人間は、ちゃんと払うのさ。警察など呼ばれてはたまらないから」
「なるほど」
 島崎は、行灯あんどんの明かりが揺らめく芥川の双眸そうぼうのぞき込み、
「で?」
 と底意地の悪い声を出した。
「で、とは?」
「だからさ、君、随分こういう場所に詳しいなと思って……いつもは一体誰と来てるのか取材させてよ……」
「僕も今日が初めてだよ」
 きょとん、と島崎は死んだ魚の目をちょっと見張って、
「だってそんなふうには見えなかったよ。手慣れてて」
 と畳みかけると、芥川は「君も男心のわからないやつだね」と言った。煙草を唇へ押しつけて、紫煙を吐き、心ここにあらずという風に島崎から目をそらして、
「意外だ」
 と言った。
「君のような人間にもそういった感情があるなんてね。――僕は、男は君の他には知らない」
 行灯あんどんのあいまいな光の下では、そのとき島崎がどんな顔色をしていたものか、芥川からはわからなかった。
 ただ目を閉じたとき、暗闇の向こうから島崎の痩身がまとう陰気な気配が肌に届いてくる。それは先程よりかすかに熱を帯びているような気がした。

(了)