甘露

 春には一般の図書館利用者へ帝國図書館の敷地を公開して花見をやった(乱闘騒ぎで苦情は来たが)。で、秋にはハロウィンの催しをやろうという、館長の鶴の一声で、幸いに決裁も通ってしまったというわけである。
 催しといってもささやかなものであった。文士や職員が仮装をしたり、図書館を訪れた子供にお菓子を配ったり。あるいは司書がハロウィンの風習についての文献を紹介したり。ささやかではあるが、それでもその日は朝から誰も彼もなんとなく浮ついていた。
「皆楽しそうだねぇ――
 と、食堂の窓から外を眺めていた芥川がぼんやりとつぶやいた。ちょうどそこから庭園で子供にお菓子を配っている様子がよく見えた。
 子どもたちは思い思いにお化けや動物などの仮装をして、文士たちにお菓子をねだった。文士たちにも仮装をした者がいて、中でも西洋の吸血鬼の姿をした田山、退魔師の姿をした国木田、魔術師の姿をした島崎は子供たちにたいそう気に入られて、周りをわらわらと取り囲まれていた。
 芥川は窓から目をそらして、居住まいを正した。同じ丸テーブルの斜め向かいの席に、菊池が脚をゆったり組んで座っていた。
 菊池が上着のポケットから煙草を探しているのを、芥川は見て、
「寛、煙草かい? 僕のをあげようか」
 と、着物の袂から見慣れぬ煙草の箱を取り出して菊池へ勧めた。
「おう、悪ぃな、龍。ありがたく頂くぜ」
 菊池は勧められるままに一本摘み上げた。芥川は、始終にやにやして、菊池の動作の一挙手一投足を眺めていた。
 芥川にもらった煙草を咥えた菊池が、
「あっちくしょ、こりゃチヨコレエトじゃねえか」
 と、顔をしかめて芥川をにらんだ。芥川は肩を小さく揺らして笑っている。
「子供にお菓子をねだられたときに渡そうと思ってね」
 と芥川は言った。菊池は煙草の形のチョコレートを口の端に咥えたまま、半目になって友の顔をにらんだ。
「なんやかんや言って、アンタも随分浮かれてるんじゃねえか。いっそ仮装もしちゃどうだ?」
「こう見えても、すでにそれをしているんだよ」
「? どこがだ?」
 芥川は一見していつもと同じ書生風の姿であった。洋シャツの上から着物を着込んで、足元は足袋に下駄と、全く平時通りである。
 芥川は、またにやにやと人を食ったような笑みを浮かべていた。
「見たい?」
 と菊池に問う。菊池は、やはりまた何かお茶目をしでかされるのだろうという予感はあるにはあったわけだが、それでも見たいと言ってやった。
「付き合ってやるから、早く見せろよ」
「じゃ、ちょっと君、膝を借りるよ」
 と芥川は、左の下駄をテーブルの下でさっと脱いだ。その足をうんと高く椅子の上まで持ち上げて、
「あん?」
 と首を傾げている菊池の膝へ足の裏を乗せた。そうしておいて、着物の裾を大きくぺろんとめくって見せた。
 菊池が、
「うげ――
 と気持ちわるいものでも見たような声を上げたのを聞いて、芥川は大いに満足そうに笑った。芥川は着物の下に普段のズボン下ではなく、目の覚めるような緋の湯文字を巻いていた。
 芥川はひとしきり可笑しがってから、足を下ろして着物の裾を直した。
「ふっふっふ――どうだい寛、なかなか面白い仮装だろう?」
「変態趣味って言うんだよそういうのは」
「いや、君が見てくれたから、わざわざこんなものを手に入れた甲斐もあったというものさ。誰にも披露できないのじゃつまらないし――といって誰にでも見せられるというものでもなし」
「どこで手に入れたんだそんなもん。まさかコレか?」
 と菊池が小指を立てる。芥川はかぶりを振った。
「まさか。僕たちにそんなもの作れるものか」
「じゃ、どういうことだ」
―――
 芥川は焦らす。にやけてもったいぶっていると、テーブルの下で菊池の足に下駄をつつかれた。
「俺が聞いてやってるうちに言えよ」
「いやなに――すぐにタネを明かしては面白くないからね、こういうことは」
「言えって」
「仕方ない」
 芥川は観念した。
「聞けば君も『なぁんだ』と言うよ。実は古物屋に寄ったときに見つけたのさ。古布なんかと一緒になっていてねぇ、近頃の人はこれが女人の下着だということを知らないのかな?」
「なぁんだそんなことか――まあ、近頃は俺たちが生きてた頃とは物事が随分変わっちまったようだからな」
 と菊池は窓の外の子供たちを眺めて、感慨深そうに言った。
 やがて菊池は席を立ち、横光や川端と約束があるからと言って先に食堂を出て行った。
 一人残った芥川は、着物の懐から本物の煙草を取り出して一服した。青い煙をふーうと長く吐いた。親友の菊池と過ごす時間はかけがえなく、心から楽しかった。
 芥川は立て続けに煙草を吸った。
 灰皿に吸い殻の山を作っていると、ふと、食堂の入り口に人の気配を感じた。顔を上げてそちらを見た。
「今、君一人……?」
 島崎が立っていた。外で子供にお菓子を配っていたときの、浮かれた魔術師の仮装のままであった。芥川は青い目だけちろりと動かして、島崎の姿を頭の先から足の先まで視線で舐めた。
「他に誰かいるように見えるなら、目医者に見てもらった方がいいよ」
 島崎は芥川の嫌味を黙殺して室内へ入ってきた。魔術師の帽子を取り、マントを脱ぎながら芥川のいるテーブルへ近づいてきた。帽子とマントを空いた椅子へ掛け、自分は芥川の差し向かいに座った。
「取材ならお断りだ」
 と芥川は釘を刺した。
「別に、少し疲れたから休みに来ただけだよ」
 と島崎は答えた。手に提げていたジャック・オー・ランタンのバスケットをテーブルに乗せた。その底の方にはまだいささかの飴玉が残っていた。
「賢ちゃんや南ちゃんにあげる分を残しておかないとね……」
 と、バスケットの中を覗いている島崎を尻目に、芥川は新しい煙草にマッチで火を点けたところであった。
「浮かれているよ、君」
 と、芥川はとげとげしい口調で言った。
「そうかな……」
「そんな、女子供のような格好をして――
「君も外へ出てくればいいじゃない。楽しいよ……」
「ごめんだよ」
「さっき菊池とは楽しそうにしているように見えたけどね」
 と島崎に言われて、芥川はちょっと目を見張った。島崎は意地の悪い顔つきになった。
「君が窓から僕の方を見ていたから……」
「別に君ばかり見ていたわけじゃない」
「僕を見たことは否定しないんだ」
「目に入るものは仕方がない」
「それはそうだね。僕も外から食堂の方を見たら、君のことが目に入ったけど、そのとき君は楽しそうに笑っていたよ」
 君は本当に興味の尽きないひとだよ。と島崎は言う。
「普段の君と僕の前での君と、どちらが本当なのかな」
「取材は断ると言ったはずだよ」
「取材じゃないよ。ちょっとした――やきもち」
 という島崎の言葉は芥川を驚かせた。「ばかばかしい」と嘲笑ったつもりだったが、それに鋭さはなく狼狽がにじみ出ていたから情けない。
 島崎はますます意地の悪い顔をして、
 Farce ou bonbons.
 と、睦言のようなフランス語でささやいた。悪戯か、お菓子か。というほどの意味であったが、島崎の声音と、細められた死魚の瞳はそれよりずっと多くを語った。
「お菓子なら――
 ある、と芥川は答えようとして、その言葉を飲み込んだ。テーブルの下で、島崎の片足が芥川の着物の裾を割って足の間へ潜り込んできた。足首に足首を絡めて、脛と脛、ふくらはぎとふくらはぎを押しつけた。芥川は、さっき、視線で舐めた島崎の黒いタイツのすべすべとした感触を、向こう脛で感じてうめいた。
「君ね――また、そういうことを――
「そういう君は、好きなんじゃないの? こんな悪戯がさ……」
 と島崎は言って、もう片足も芥川の足へ絡めた。四本の足を固く絡め合ったまま、二人ともむっつりと黙り込んでいる。
 午後の館内は、どこからともなく人の気配がして、決してひっそり閑としているわけでもないのに、二人の周りだけは不思議にしんと静まっていた。芥川は、次第に乱れてきた自分の息づかいさえ島崎に悟られるのではないかという気がした。
 そんなときに、菊池が用事を終えて引き返して来てくれたのは、正直なところ、ありがたかった。
 菊池が戻ってきたとき、芥川と島崎は差し向かいに座って、お互いそっぽを向き合っていた。テーブルの下に、異常はなかった。
「なんだ、また取材とやらか」
 と菊池が言った。言いつつ、どことなく訝しむような目つきで芥川と島崎の顔を交互に見た。島崎は素知らぬ顔で席を立った。
「じゃ、僕はもう行くよ……談話室で賢ちゃんたちにお菓子をあげるから、君たちもよかったら来なよ」
「遠慮するよ――
 と芥川は言った。島崎はなんとなく物足りなさそうな顔をして去って行った。島崎の誘いに乗って談話室へ行けば、おそらくその後はお菓子の話だけでは済まなかっただろうと芥川は思った。
 別段、己の克己心が強いというわけでもない。誘いに乗らなかったのは、今自分が着物の下に着けているものを島崎には見られたくなかっただけであり、そういう自分の見栄っぱりを芥川はありがたくも、恨めしくも思った。

「僕だけど――
 と言って、芥川は戸口を三度叩いた。叩いた後は、身を縮めるようにして、部屋の主の返答を待った。ただただ人目に付くことだけが恐ろしかった。
 夜は更けて、宿舎中ひっそりと寝静まっていたけれど、それでも万が一人に見られたらと思うと、どうにもそわそわと落ち着かないのである。
 戸が内側から開かれると、芥川は物も言わずその隙間へすっと滑り込むようにして入った。
「待たせてごめんよ、ちょっと、寝巻を着るのに手間取って……お上がりよ」
 部屋の主は――島崎は芥川に背を向けて言いながら、戸口の内鍵を下ろした。と、ふいに首筋に芥川の息遣いを感じた。
「………」
 互いに何か言うより早く、芥川の右手が島崎の寝巻の裾を割って鼠径部へ触れた。
「下着」
 着けてないのか――と芥川はうなるように言った。島崎はそれについては答えず、はぐらかした。
「何もこんなところで……上がってからにすればいいのに」
「近頃は、いったい誰のために着けていないのだか」
 と芥川は冷ややかに言った。
「君のためではないのは確かだね……」
―――
「そんなに怖い顔しなくてもいいんじゃないかな」
 島崎は芥川の顔を振り返ってもいないのに見通していて、小さく肩をすくめた。
「別に君の想像しているような話ではなくて……」
 と何か気恥ずかしげにもじもじしている。芥川の手が不埒を始めたせいでもあった。芥川は、指の先を島崎の脚の付け根へ這わせながら、やはり不審そうに柳の眉をしかめていた。
「もう支度が済んでいるじゃないか?」
 とささやいた。先走って滴ったものが陰茎の裏まで濡らしているのを指で確かめた。
「だからさ、それは……」
 と島崎は身震いして言った。さすがに、言いにくそうであった。
「君が来るまで……自分で慰めていたってこと……」
―――
「だって君が来るだなんて思いもよらないよ……」
 昼間はついて来なかったじゃないかと言う。芥川は弁解の代わりに、島崎の背中へ自分の体を押しつけた。「君も人のことは言えないねぇ」と島崎はぼやいて、自ら臀部を芥川の下肢へ擦り付けた。
「あっ、ツ……」
 と声が漏れそうになって、島崎は芥川に手で口を塞がれた。もどかしげにその指を噛む。
「いツ――
 芥川は左手にできた小さな噛み傷を見て熱っぽいため息をついた。

 夜具はすでにのべてあった。掛布団の乱れているのが、いかにもそこに肉欲の火を残しているように芥川には感じられた。それへ入ると我が身もたやすくめろめろと炎上してしまいそうな、そんな予感がした。
 芥川は夜具を避けて長火鉢の前に座り込んだ。
「寝ないの?」
 と島崎も火鉢を挟んで向かいに座った。
 芥川は、島崎の顔を見ないようにしながら、
「僕に構わず続きをすればいいじゃないか」
「続きって」
「自慰の」
「……見たいの」
 と島崎は意外そうにちょっと目を見張って見せた。
「別に見たいとか見たくないとかそういう話じゃあないよ」
 芥川は火箸で火鉢の灰へのの字など書いている。
「僕に構うことはないと言ってるんだよ」
「構うことはないと言ったって……じゃあ、何しに来たのさ。昼間のことで何か怒ってでもいる?」
「いや――
「気難しいね」
「僕もそう思うよ」
 と、芥川はまるで他人事のように認めた。
「僕にだってそういう、駄々っ子のようなところはある」
「君、普段はもっと良い子﹅﹅﹅のように見えるんだけどね。どうして僕の前でばっかり」
 島崎は言いながら、火鉢の上にうずくまって両手を炭火にかざした。肌寒そうに肩を縮めた。
「まあでも……」
 と小さな口の中で次の語句を転がす。
「ねえ、君、僕は昼間、君が普段の姿を見せてくれないからって少しやきもちを焼いたけど、逆に言えばそれは、僕は普段とは違う君の姿をつくづく見せてもらっているわけだよね……」
「さて」
「ふふふ」
「そんなことが嬉しいのか」
「興味深いよ」
「結局は探究心かい」
 島崎が炭火へかざしている両手に、つと芥川の手が重なった。島崎のそれは少年のように華奢で、芥川の大きな手のひらにすっぽりと覆われた。
「?」
「つめたい」
 と芥川はつぶやいて、島崎の手を掌でさすった。細い指を握って、意味ありげな手つきで扱いた。それで、島崎も察して、仕返しに芥川の長い指に指を絡めた。島崎は、やや乱れ始めた息で言った。
「君はこんな痴戯が好きだね」
「君に言われたくはないな」
 と、芥川は昼間のことをそっと詰った。その程度では島崎の面の皮に傷一つ付かないようであったが。
「僕は、たいていの辱めと悪い遊びについては君から教えられたよ」
 島崎はいけしゃあしゃあと言って、いささか名残惜しそうに手を離した。
「もう寝るよ」
 と言い、ちょっと寝巻の裾を直すと、そのまま寝床へ潜り込んでしまった。
 芥川は、相変わらず火鉢の傍らに座り込んで、火箸で灰を掘り返している。視線は火の方ばかりを見ていたが、精神は島崎の寝姿へ向かった。
 島崎が布団の下でころりと寝返りを打ち、芥川に背を向けた。その背中に目が付いていて己もまた見られているような心地が芥川はした。

「………」
―――
 互いの呼吸音を数えられるほどひっそりとした夜更けの頃のことである。
 島崎の息はすでに悩ましく乱れていた。枕に顔を押しつけて息を殺そうとしている様子が見て取れた。
 寝床の中で島崎が身じろぎをする度に、掛布団の盛り上がっているところがもぞりもぞりと動く。床の擦れる音が殺しきれない息の音と混じる。
―――
 夜具の下の島崎の痴態を脳裏に描きながら、芥川は己もすでに喘ぐように息をしていることを自覚した。
 のそり、と腰を上げた。布団のそばへ膝を着いて羽織の紐を解き、それを背へ落として、畳み、ほとんど作り事めいたような手際で身じまいをすると、掛布団の端をすっとめくって足先から潜った。
 物も言わずに島崎の背中へ身を寄せた。島崎はぎくりと体の動きを止めた。
「続けるといいよ」
 と芥川は言った。語を継いだ。
「手伝おうか――
 島崎の下腹部へ手を伸ばすと、寝巻の裾が大きく割れていて、いきなり素肌に触れた。さっきの島崎の手の冷たさからは想像もつかないほど下肢は熱かった。
 陰茎の根元に触れていた島崎の手を避けて、芥川は先の方へ指先を這わせた。やはり、濡れていた。鈴口をこじるとさらに滴った。指を離すと、蜘蛛の糸を引くような粘り気があった。
 島崎が、はあはあと喘ぎながら元のように手を動かし始めると、芥川はその寝巻の帯を解いて前をくつろげてやった。
「何を想っているんだい」
 と島崎の耳元で尋ねた。それもまた痴戯のつもりで。
「内緒……」
 と島崎は喘ぎ声の合間に答えた。
「僕には言えないようなことかい」
「うん……」
「言いなよ」
 言ってご覧よ、と自慰に耽っている島崎の体を悪戯した。指の腹で小さな乳首を転がしてやった。島崎は身震いしてのけぞった。上気した顔をこちらへ向けてきた。
「キスしてくれたら言ってあげる……」
「ほう」
 じゃあしてあげよう。と芥川は言った。言って、掛布団の下へ頭の先まで潜った。
「んッ……!!
 と島崎が鋭い声で喘いだ。
「キスするって……そっちに……」
 脚の間を熱くぬめった感触が這い回った。陰茎の根元から、裏側、鈴口の周りまでぐるりと舌がなぞって、また根元に戻り陰嚢の方まで。なめらかな腿の肉へも唇が這い吐息がかかる。手のひらがなんとなくしつこいほどに脛とふくらはぎを撫でていた。
 暗い夜具の中で島崎の少年のような体をもてあそんでいると、芥川はなんともいえず懐かしいような、甘美な罪悪感が胸奥に蘇るような心地がした。
 唾液と先走りの粘つく汁にまみれた幼い陰茎を手中でこね回しながら、芥川は目から上だけ布団から出して島崎を見た。 
「言ってもらおうか――
「いやだ……」
 かぶりを振るが、その締まりなく開いた口からは、
「あっ、あっ、アッ」
 と切羽詰まった声が漏れる。「言いなよ」と芥川は駄目押しをした。手の動きをいっそう濃やかにして、長い指を硬く上向いたその部分にしっかりと巻きつけてこすった。
「あッ、あッ、だって……」
「だって、何」
「だって……君に初めて犯されたときのことを考えてたとは、言いにくい……」
 芥川は返す言葉が見つからなかった。

「君の姿が見える方がいい……」
 と島崎が言うので掛布団をはぐって二つの体を露わにした。寝巻を肌蹴た島崎の白い裸体を芥川は上から見下ろした。
「君もやっぱり男だね――
 とつぶやきながら、自分の腰へ手を回し帯の貝の口を解いた。着物から腕を抜いて肩の後ろへ落とした。肌着も脱いだ。首筋や脇へ冷たい空気が入ってかすかに鳥肌立った。
 島崎の体へ覆いかぶさって、唇と舌とで愛撫を加えた。憐れむような気持ちから口と口とでも接吻を与えた。島崎の華奢なかいなが首の後ろへ絡んできた。
「離してくれ」
 と芥川は言った。温かい島崎の懐中から逃れて、淫らな行為へ帰った。芥川の頭は再び島崎の両脚の間へうずめられた。
 芥川の口に根元まで咥えられて島崎はやるせない悲鳴を上げた。
「だめ……ッ、ごめん……」
 さんざっぱらもてあそばれて今更到底長くもつはずもない。頭の先から足の先まで肉体がきつく張り詰め、脈打って、エクスタシーに震えた。
 やがてそれを過ぎるとぐったりと弛緩した。未だ鼠径部にある芥川の頭の後ろへ手を伸ばして、子供の頭をそうするような手つきでそっと撫でた。芥川は念を入れてもう一度吸い上げてから身を起こした。
「んっ」
 名残惜しそうにひくついた島崎の体から離れ、脱ぎ捨てた着物の袂から紙入れを探してちり紙を取り、口の中のものをそれへ吐いた。
「ねえ、僕にも……」
 と島崎がうわ言のようにつぶやく。芥川が膝で枕元へにじり寄ると、島崎は身をよじってのろのろと鎌首をもたげた。腕にまとわりついて邪魔っけな寝巻を脱ぎ捨てた。膝を着いて座り込んでいる芥川の太腿の間まで這って行って、自ら芥川の下穿きを脱がせて陰部へ口元を寄せた。
 性急に深く咥え込もうとして一度むせ、改めて先の方から舌を這わせた。
「っ、ん――
 芥川にしては珍しく素直な声が漏れる。片手で島崎の頭を撫で、もう片手は肢体を撫ぜた。脚の付け根に触れようとすると、島崎はいやいやとかぶりを振る。しかし後ろのすぼまりまで指先を伸ばすと、そちらは拒まれなかった。
「焦らさないでよ……」
 と島崎はせがんでさえくる。望み通りに芥川が指を中まで入れて探ってやると、もっと奥までと促すように島崎は自ら脚を広げた。
「大きい……」
 とぼんやりつぶやきながら、島崎は口に入りきらない根元の方へ赤い舌先を押しつけてちろちろくすぐった。芥川が低い声で喘ぐと、気をよくしたようにその死魚の目元に淫蕩な笑みを浮かべる。
「ふふ」
 陽物の裏の筋に沿って根元から先の方まで舐めていって、また咥えた。芥川がたまらず、島崎の頭の後ろを押さえた。島崎はそれさえ喜んでいるような顔をした。
 口の奥まで咥え込んで懸命にしゃぶり立てる島崎の愛撫に、芥川は危険を感じて、
「もう、いい」
 と言って島崎の頭を引き離した。
「あぁ……」
 と島崎は不満げにため息をついた。

「指を――入れたとき、痛かったかい」
 と芥川は尋ねた。何か言い訳でもするように続けた。
「このようなことも久しぶりだからね」
「どうしたの……今日は妙に優しいね」
 と、島崎は開いた脚の間に芥川の体を迎え入れながら、薄く笑った。芥川が答えないでいると、島崎はしばらく考えて、ふと思い当たったような顔をした。
「僕が、君に犯されたことを思い出してるだなんて言ったからかい……」
――まあね」
「だって忘れたことはないからね」
 勘違いしないでほしいけど……と言い添える。
「君を恨んでいるという意味じゃなくてね」
「じゃあ、どういう意味だい」
「僕の魂を流れる狂った淫蕩の血があのときようよう報いを受けたのだと思う……」
「え――?」
「二度は言わないよ」
 島崎は焦れったそうに芥川の腕を取って引き寄せた。
「そんなことより、早く来てよ……」
――結局、痛かったのかどうか聞いていない」
「痛くしてよ」
 めちゃくちゃにしてくれていいよ……とすがるような目つきで芥川を見上げる。
 芥川は、
「君、今日は少し変だ――
 と口では言いながら、どうしようもなく情念が燃え上がった。いつも心の奥底にひた隠しにしている、絶対に他人に見せることのできない、くらく、醜く、狂暴な生き物の毛皮を島崎が不意にひと撫でしていったような、そんな思いがした。島崎の細い腰を荒っぽく掴んで、尻たぶの間へ陽物を押しつけた。
「ぁ……」
 島崎が期待にわなないて、芥川の陽物の先に触れているところも物欲しげにひくついた様が、淫らというよりはなんだか憐れで。芥川は最初こそ一息に中へ押し入ったが、その後はむしろ時間をかけた。
「君、やっぱり今日は妙に優しい……」
「なにしろ――僕は君が嫌いだからね」
 と芥川はささやいた。
「君が望む通りにするのじゃ癪だよ」
「じゃ、あッ、僕が優しくしてって言ったら酷くするんだね」
「君は“偽善者”だけれど、嘘つきじゃないのだろ」
「………」
「君、ちょっとこう、背中を浮かせて――
 と言われるままに島崎は少し背を反らせて夜具との間に隙間を作った。そこへ芥川の両腕が滑り込んできた。
「あっ、何……?」
 そのまま芥川に抱き起こされて、座り込んでいる芥川の腰を跨ぐ形になった。
「ああ……」
 と島崎は事を飲み込んで、自分から動き出そうとした。が、芥川にそれを制された。
「まだだ」
 と言って、芥川は島崎の背を抱き、屈み込んで、その首筋や胸元に接吻した。島崎はもどかしげに下肢を揺すったが、芥川に抱えられたままでは身動きは難しかった。
「え、ンン何……あぁ」
 芥川の乱れた髪の先が肌をくすぐる。その柔らかい愛撫が、なんとなく自分たちには似つかわしくないような気がして、島崎は気恥ずかしく思った。

「あ、ァ……ねえ、君」
 と芥川を呼ぶ。芥川は知らんぷりをして、
「なんだかいつもより具合がいいんじゃないか?」
 と揶揄した。言いながら、唇が島崎の薄い胸板を滑り下りて、尖った乳首を執拗なほど吸った。
「あ、んんっ、そんなの……わからないでしょ自分じゃ……」
「僕にはわかる」
 事実芥川は切なげにうめいて、軽く腰を揺すり立てた。喘いで開いた島崎の小さな口を口で塞いで舌を絡めた。
「んん、んんンッ! ……っあ、待って、んんん」
 待たずに、口を吸い合ったまま芥川は動いた。島崎の太股の下へ手を入れて抱え、小さな尻を引き付けるようにしながら突き上げて動いた。
「ん! んっ! んっ! ンア……」
「君――
 と芥川が荒い息交じりに言う。
「どうせ僕のことを考えて自分で慰めるのなら、あんなこと﹅﹅﹅﹅﹅よりももっとよい心持ちのしたときのことにしたら――
「………」
「いや別に、僕のことを考えてほしいわけじゃないけれどね。むしろ人をダシにするのはやめてほしいと思っているよ僕は」
「ごめん……」
 と島崎に素直に謝られるとそれはそれで困ってしまうらしい芥川は、何かぶつぶつとぼやきながらまた動き出した。
 島崎も背へ手を着いて痩身を支え、自ら腰をうねらせて芥川の動きを手伝った。突かれる度に奥の狭まっている辺りが健気に応えて、芥川を喜ばせた。
「あッ、あっ、ねえ、全部入れてよ……」
 と、島崎はうっとり目を細めて芥川を見つめた。清く青い双眸からじっと目を離さないまま、ゆっくりと腰を沈めていく。が、
「まだ」
 と芥川は逃れた。両足を組んで座り直した。島崎の体を腕に抱いて思うさま貪った。彼の腰が砕けるまでありったけの愛撫を加えた。
「ね、ねえ……ッ」
 ねえ、と島崎は訴えた。はぁはぁと息を乱していた。死んだ魚のように濁った目は芥川を捉えて離さなかった。芥川の前に全て投げ出すようにして、
「お願いだから……」
 と請う。
「君……」
「名前、呼んで――僕の」
「芥川……」
 消え入るような声であった。
――ん」
 と短く頷いて、芥川は陽物の根元まで力を込めて突き入れた。
「あ、ッは」
 島崎も尻を強く押しつけて最奥まで呑み込んだ。気持ちいい、とうわ言を漏らす。芥川は容赦せずに突いた。生唾を呑んで喉が鳴る音を隠せなかった。
(僕だって限界――
 と思う。
 島崎の脚の間に白濁した液が滴って、芥川の腹まで汚した。芥川が陰茎の裏に触れてやると一、二度脈打ち、またぽたぽたと射精した。
 後は、ただただ二人もつれ合うようにして上り詰めていくばかりだった。

 島崎はあいにく燐寸マッチを切らしていると言い、彼の部屋にはライターもない。芥川は長火鉢の上にうずくまって、難儀をして炭火でパイプの煙草に火を点けた。
 三口ばかり美味うまそうにふかしてから、それを咥えたまま寝床へ入った。
「煙管なら簡単なのにね」
 背後で島崎がそっと笑っている。島崎も寝巻を着て身じまいを終えると夜具へ入ってきた。うつぶせに寝てパイプをふかしている芥川から半身ほど離れたところへ身を横たえた。
 島崎はもういつもの陰気で皮肉な調子に戻っていて、
「泊まっていくつもり?」
 と芥川の横顔へ尋ねた。
「夜明けまでには帰るよ」
 と、芥川は青い煙を吐きながら答えた。島崎はちょっと嫌味な薄笑いを寄越した。
「君って何事も慎重なようでいて、その実、全く隙だらけなんだよね……興味が尽きないよ」
「ふん――
「ねえ、僕にも一口もらえないかな」
 煙草……と、急に話の矛先をそらす。芥川は別段拒まず、パイプの吸い口を島崎の方へ向けた。島崎は身を乗り出してきてそれに唇を押し当て、一口だけふかした。
「甘露……」
 ほう、と満足げなため息がこぼれる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 と、芥川はいやに慇懃に応じて、島崎の吸ったパイプをそのまま咥え直した。
「昼間のことだけど」
 と言った。
「寛は気づいているのかもしれないよ」
「それは、そうでしょ……だって君、私小説もどきを書いて彼に読ませたと言ってたじゃない。菊池ほどのひとがそれを読んで察せないということはないと思うな……」
 だから君は隙だらけだって言うんだよ。と笑う。それには嘲りも含まれているようであり、しかしどこか愛情らしきものも含まれているようであった。
 芥川はしばらく黙ってパイプの煙を吸ったり吐いたりしていたが、あるとき不意に口を離して、パイプごと島崎へ押しつけてしまった。
「僕はもういい。残りは君にやるよ」
「?」
「寝る」
 と言って、島崎に背を向け、鼻先まで布団に潜った。
 島崎はきょとんとして、芥川の背中とパイプを交互に見比べてから、パイプの火が消えるのを案じてそれを口に咥えた。カリ、と吸い口を噛む音がした。
――パイプまであげるとは言っていないからね。大事に扱ってくれないか」
 と芥川の背中が文句を言って寄越す。島崎は割合神妙に、
「ごめん」
 と謝った。
「ねえ君……君が菊池のことで何か思い悩んでいるのなら、僕から菊池に言っておいてあげようか」
「何て?」
「僕はまあ……君にとっては花瓶のようなものだよとでも」
―――
 芥川はやおら寝返りを打って島崎の方へ向き直ると、さっと彼の頬へ手を伸ばして指先でそこを軽くつねった。
「あたっ」
 で、芥川はまたさっさと島崎に背を向けてしまう。島崎が頬をさすりながら、
「なんで今つねったの? 暴力はよくないよ……」
「君の言うことの意味はわからないけど、なぜだか急に腹が立ったからだ」
「子供じゃあるまいし」
 と言ってから、いや……と思い直したらしい。
「いっそ君は子供に返るくらいでいいのかもね。誰か……菊池でも、夏目先生や志賀でもいいけど、君は誰か甘えられる相手の一人でも見つけるべきだよ」
「僕が誰かに甘えるようになったら、じゃあそのとき君は誰に甘えるんだい」
 と芥川は向こうを向いたままで言った。
 島崎は黙っていた。咥えたパイプの中の火を絶やさないように細く吸ったり吹いたりを繰り返している。
 芥川は背中でその息の音を数えていた。ふと、何かの拍子に重たい煙が喉を越え肺に入ったらしく、島崎が派手に咳き込んだ声を聞いた。芥川は目を閉じた。
「おやすみ」
 そんな優しい言葉をかけたのは、島崎と共寝をしていて初めてのことであった。

(了)