薄明

「あのねぇ、僕はもう君とこういうこと﹅﹅﹅﹅﹅﹅をするつもりはないのだけど――
「……と言いつつしてるじゃない、実際……」
 焼け棒杭に火が点くってこういうことを言うんだよね……と島崎が半眼になって言うので、芥川は殊更に冷ややかな声色を作って言い返した。
「やめてくれ、そんなのじゃないよ」
「じゃあ……もう僕なしではいられない体になっちゃったとか?」
 と、肌の上にシャツ一枚という姿の島崎は自ら裸の下肢を芥川の眼前に開いて見せた。芥川はその膝を掴んで、島崎の体を仰向けに自分の方へ引き寄せた。談話室の手狭な長椅子の上では万事動作が窮屈だったがまあ贅沢は言っていられない。あの頃のように自分の寝室へ島崎を連れて帰るのはそれこそ焼け棒杭――ということになりかねないと、芥川は内心冷や汗をかいている。
「その台詞、そっくりお返しするよ――
 と、芥川は言いながら膝の上まで島崎の腰を引き上げていきなり後ろのすぼまりへ指を這わせた。
「あ、つ……相変わらず優しくないね、君……」
 芥川の指が最初から遠慮なく中を探った。手前の方から始めて、次第に島崎の体が弛緩してくるとさらに潜った。奥の方の狭まったところまで指先が届いた。
「あ、そこ……」
 と島崎が切なげな声を漏らした。
「やっぱり君の手大きいよね……そこまで届くのは君くらいだよ」
「なんだい、他の人でも試したのかい?」
 と芥川はそっけなく言った。不機嫌な声が喉元まで出かかったのを、やきもちのように取られるのも嫌で、どうにか飲み下した。
 島崎はうっとりと目をつぶって答えた。
「ううん、自分でね……」
―――
「でも自分じゃ全然だめだったよ。君にされたのを思い出してやってみたけど」
「君自分が何を言っているか――
「? 何かおかしい?」
 島崎は薄目を開けた。するとすぐ目の前まで芥川の険しい顔が迫っていて、島崎はキスを期待して再び目を閉じた。が、接吻が与えられることはなく、芥川の遠ざかる気配がした。
「あっ」
 シャツの上から片胸に触れられた感触があった。小さな乳首が芥川の指の間で転がされた。
「あ、あっ、あっ」
 芥川のもう片手は今度は島崎の陰部を這い、指先で鈴口をクリクリもてあそんだ。島崎はたまらなさそうに腰を突き上げてきた。
「ねえ君、僕にも……」
 と手を差し伸べてくる。体の上下を入れ替えて、自ら華奢な膝で芥川の腹を跨いだ。口と口の接吻は芥川が拒んだので、首筋へ唇を押しつけてそこから次第に下がっていく。
 腰の物へ島崎の細い指が絡みついてくると芥川はいささか狼狽した。久しぶりの快楽の予感に愚息はあまりにも正直だった。
「若いっていいね」
 とからかって島崎は首を屈めた。咥えようとして、先の方だけで精一杯で、困って一旦口を離した。
「こんなに大きかったっけ……?」
 と、ぼそぼそつぶやきながら鈴口に吸い付いて舌先で頂を抉じ開ける。首をかしげて表から裏までくまなく舌を這わせた。芥川は片手で己の鼻先を押さえて呻き声一つ立てなかった。
「声を上げてもいいのに」
――冗談じゃない。こんな時刻とはいえ誰が廊下を通るとも限らないのに」
 すでに夜明けが近い。窓の外で空がうっすらと白み始めている薄明の頃である。図書館中ひっそり閑と寝静まっているが、夜遊びに出かけた者が朝帰りということもないとは限らない。
 芥川に強がられると意地の悪い気持ちになるのか、島崎はいっそう熱心に唇と舌を使って愛撫した。舐めながら芥川の胸元に手を伸ばそうとして、しかしその手を芥川に握られた。
「あ……」
 ぐいと引き起こされ、脚の間に張り詰めた男根を押し当てられた。島崎はまるでいつもそうしていたような自然な手つきで芥川の広い肩に掴まり、ゆっくり息を吐いた。
「我慢できないならそう言いなよ……」
「早く済ませてしまいたいだけだよ、こんなこと」
 ほら自分で入れてくれ、と低い声で促す。
「いつも自分でしてただろう――
「うん……」
 と島崎もなんのかんのと言いつつ焦れったそうに尻を沈めるのだが、どうにも、上手く入らない。で結局、仕方がないのでもう一度島崎は下に寝て、芥川が上になって先導した。
 少し指で慣らしてから、改めて腰の物をあてがった。
「入れるよ――
「ん……」
 芥川は奥の狭いところに当たるまで少しずつ腰を押し進めていった。
「ねえ君……もっと……」
「これ以上無理だよ」
「だってまだ余ってるじゃない……」
 と島崎は芥川の下腹部へ触れながら言った。
「だからそれは君の体が小さいから――
 言い終える前に芥川は動き始めていた。突くというよりはそっと揺するように動いた。
「無茶をするとまた熱が出るよ、君」
「君も中途半端に優しいよね……っ、あぁ、いい……そこ」
 島崎の締まりなく開いた口から喘ぎ声が漏れ、その中で舌先だけが何か別の生き物のようにうごめいているのがちらちらと覗く。
「君、声――
 と芥川が言うと、
「ん、あっ、あっ、口を塞いでくれてもいいよ」
 と島崎は挑発で応じる。芥川は、そういう意味ではないのはわかっていて、左手で島崎の口を覆った。その上で腰から下の動きにだんだんと熱を込めていった。
「んん、んっ、んっ、んんっ……!」
 キシキシと長椅子が軋んだ音を立てていた。それに重なって、廊下の方でにわかに人の気配がして、芥川は凍りついた。ギクリと身動きを止めて、息さえもひそめるようにして部屋の外の気配を窺う。
 誰かはわからなかったが、夜遊びから帰ってきたらしい数名が、あまり足元の確かでなさそうな音を立てて談話室の前を通り過ぎていった。ドアに内鍵は下ろしてあったが、それでもその前をいくつもの足音が通るとき、芥川は肝が冷えた。
「はぁ――
 気配がすっかり遠ざかると思わず安堵のため息が漏れたほどであった。島崎がくすりと笑った。
「小心者だね」
「僕は君と違って、平穏な“生活”を愛しているからね」
「相変わらず芸術至上主義に徹せないんだねぇ、君……」
 島崎は体を起こして自ら芥川の上に乗りかかった。長椅子にだらりと背を預けて座っている芥川の腰を跨いで、初めはゆっくり、次第に勝手を思い出してきたように懸命に動いた。
「それが老大家の姿かい――
 と芥川が揶揄すると仕返しに口で口を塞がれ思うさま舌を絡められた。芥川はようよう顔をそむけて拒んだが、島崎は意地の悪い笑みを浮かべている。
「こっちは正直だよ、君……」
 と、芥川の首の後ろに両手を回して体を支え、彼の反り返った男性器が与えてくれる愉楽を好きなように貪った。
「奥の方……こうしてると頭の中が真っ白になりそう……」
 君の着物を汚したらごめんよ、とささやいたほとんど直後に島崎は震え上がって頂に達した。
 未だ痙攣している島崎の腰を芥川は掴んで前後に野蛮なほど揺すり立て、じきにその後を追った。


「これきりだよ、これきり」
 と芥川があまりにしつこく念を押すので、島崎は着衣を直しながら苦笑いしてしまった。
「僕は次の逢瀬があるとも何とも言っていないけど……」
―――
「まあ君がどうしてもと言うなら」
「やめてくれ、二度とごめんだよ」
 島崎から離れた応接椅子に座っている芥川は、そっぽを向いてしきりに煙草を吸っている。身支度を整えた島崎はそのそばへ行って、
「僕にもくれない」
 とねだった。芥川が懐から煙草の箱を取り出すと、しかし、
「そうじゃなくて」
 とかぶりを振り、挑むように小さな唇を尖らせて芥川の口元へ近付けた。あまつさえそれを薄く開いたり閉じたりして誘う。
 芥川は肺に深く入れた紫煙を、島崎の鼻先へ、ふっと吹いてやった。
「………」
―――
 島崎は、別段怒るでもなく、「ごちそうさま」と礼を述べた。芥川を一人残して、ぼんやりと明るくなってきた談話室を後にした。
 空気の冷たい廊下で島崎はやっと我慢を解くと、口を押さえて少々ばかり咳き込んだ。

(了)