青いパンジー

「何植えてんの?」
「パンジーの花を――青い花びらの」
 と中島は太宰に問われるままに答えた。
 花壇の前に一人しゃがんでいる中島の後ろから、太宰は背伸びをして、物知り顔でふんふんと苗の様子なぞ見ている様子である。単に見ているだけで別に手伝おうという気はないらしい。
 中島は一人で移植ごてを持ち、花壇へパンジーの苗を一つ一つ丁寧に植えている。
「俺は赤い薔薇バラの方が好きだなー」
 と太宰がくちばしを入れようとしてくる。
「だったら、太宰さんが自分で植えたらいいじゃないですか」
 と中島が言ってやると、太宰は、いや俺は絶対に手入れを間違えるとか、へちま棚だって上手く作れないんだとか、むにゃむにゃ胡乱うろんな言い訳をする。
「ま、まあとにかく、でも薔薇バラはやっぱり立派だよ。花園の女王だよ」
「パンジーも可愛いですよ。薔薇バラが女王なら、可憐な乙女です」
「ふぅむ」
「それにパンジーは食用にもなります」
 などと中島は言い出した。
 ちょっとぉ、と太宰は口をとがらせ、
「中島くんさぁ、そういう身も蓋もない話よしてよね。人がせっかくお花の話なんかしてロマンチック気分に浸ってるときに――ていうか食べられるって言うなら野菜の方が食いでがあるじゃん」
 中庭の菜園では、武者小路やら徳冨やらが冬場でもかぶなどの野菜を育てることに精を出している。
「いえ、私は野菜のことはわからないので」
「他の人に教えてもらえば?」
「私は花の方が好きなんです――
 と中島はなんだか取りつくしまもなかった。太宰はしばらく中島のぽつねんとした背中を眺めていたが、いつまでもそうしているのも退屈で、やがてどこかへ行ってしまった。
 それが二月の半ば頃の話である。


 三月になった。
 月の初頭には冬に戻ったように冷え込む日もあり、雨の続く日もあった。加えて中島はにわかに潜書に呼ばれることが増えたのもあって、花壇の方の世話はおざなりになっていた。
 三月も半ばになったある日、午後の潜書を終えて現世へ戻った中島は、まだいささかぼんやりした頭のまま図書室へ向かう廊下を歩いていた。
 後ろからコッコッコッと小気味よく床を踏む音が聞こえて、
「中島くん見っけ。もう潜書は済んだの?」
 と、中島の前に回り込んで来たのは太宰であった。
 太宰は、
「ちょっと、ちょっと来てよ、ね」
 と中島の都合はお構いなしに、その手を引いてどこかへ連れて行こうとする。
「な、何なんですか?」
「いいから、いいから」
 二人は図書館の外へ出て、花壇の前まで来た。先月中島がパンジーの苗を植えた、あの花壇である。
 太宰が指差す先に、一番乗りでつぼみを開いた小さな青いパンジーが一輪、健気に咲いている。中島が朝に水をやったときは、まだつぼんだままだったはずである。
―――
 中島は、意外そうに、太宰の得意げな顔を見上げた。
「太宰さん、よく覚えていましたね、ここに花を植えたこと――
「綺麗だろう? 青い学生服を着た可憐な乙女って風情だね」
「そ、それは私が以前言った台詞では。それに、綺麗に咲くように世話をしたのは私です」
「俺という足長おじさんが陰ながら見守っていたからこそ、健やかに育ったのさ」
「いや、確かに太宰さんの脚は長いですが」
 どうして太宰がそんなに偉そうにする道理があるのか――とは中島も思わないこともないけれど。
「ありがとうございます、太宰さん」
「何が?」
「花が咲いたことを教えて、ここまで連れて来てくれて」
「ふふん――
 太宰はどういたしましてとも言わない。やはり得意げに笑っているばかりである。
 それでも中島は、案外悪い気持ちもしなかった。

(了)