二人でも三人でもない

 唇の感触も、歯列に触れる舌先へかすめる犬歯の鋭さも、何もかも同じだなと太宰は思った。
 ただ面白いと思ったのは、“あちら”の中島よりも、“こちら”の中島の方がいささか腰の引けた感じで、太宰の接吻せっぷんに応える調子もおずおずといった風だった。
 やがて二人の唇が離れると、
「やっぱり止めだ」
 と、中島が急に言って、顔をそむけた。
「えええそりゃないんじゃない。俺キス上手かったよね?」
「上手いとか下手だとかいう話じゃない。こういうことは“奴”の担当だ」
「まーたそんなこと言うんだから」
 と太宰はあきれた。いっそ腕力でもって、と中島の手首をつかんで寝床へ押しつけようとしたが、やすやすとひねり返されてしまったから悲しい。
「いた! いったい!! ごめんなさい俺が悪かったです!」
 もう、ペン持てなくなったらどうしてくれんの――と太宰が手で手をさすっている横で、中島は「はぁ」とため息を漏らす。
「馬鹿、そこまではしない」
――てことは、俺が嫌いってわけでもないんだろ。だめなの?」
「不公平だからな」
「? 何が?」
「俺がお前と寝ても“奴”にはそれがわからないからだ――
「あー――そういうもん?」
「そうだ」
「逆はわかってるわけ?」
「まあな」
「ふうん」
 太宰はごろりと寝床へあお向けになった。両手を首の後ろで組んで、中島の顔は見ずに天井を見上げた。
「わかってはいるわけだ――
 と太宰がつぶやくと、中島は今更のように気恥ずかしくなったらしく、そっぽを向いた。隙ができた。
 と見るや、太宰は早業で中島の腕を取って、今度こそ布団の上へ引きずり倒した。
「馬鹿――!」
 と、中島が抗おうとするのに構わずその腹の上に乗りかかった。乗ってしまえばやや体格のいい太宰の方に分がある。
「ねえ俺のことキライ?」
―――
 嫌い、と嘘をつくことも中島にはできないらしかった。
「じゃあ好きなんだ」
 太宰は中島の返事を待たずにキスで口を塞いだ。
「よせ」
 と中島にはすぐ逃げられてしまったけれど、唇が重なった瞬間その体が震え上がっていたのは太宰にもわかっていた。
「わかってるのに怖いんだ?」
「怖いわけじゃない。未知の物事に緊張の一つもしなかったらそれこそ馬鹿だろう」
「素直に怖いって言えばいいのになぁ」
 太宰は苦笑いして中島の体を放した。肩を並べて気楽に寝転がった。
「なあ二人だけの秘密にしよっか? もう一人の中島くんには内緒にして、さ」
「ご免だな」
 と中島は太宰に背を向けるように寝返りを打った。
 背中で、太宰がお預けを言い渡された犬みたいにしょんぼりと待っているのがわかった。待っていればどうにかなると思っているところが閉口だが。
 中島は、自分で予期していたよりも早く無言の抵抗を解いてしまった。ふと太宰の体温が近くなったのを感じ、それと同時に体の後ろから長い腕が絡んできた。
「秘密はだめだ」
 と言いながら、その息が乱れた。太宰の手はシャツの裾から入り込んできて、胸元をまさぐっていた。
「嘘は?」
 と、太宰が中島の耳たぶを吸っていた口を離して、別人のような低い声で言った。
「もっとだめだ。馬鹿――

   * * *

 中島が目覚めて、横でぴったりくっついて寝ていた太宰の姿に気がついてきゃっと悲鳴を上げたときには、すでに夜は明けきっていて朝食の時間が近かった。
「ちょっと、太宰さん起きてください」
 と揺り起こしながら、二人とも裸体であったから昨晩の出来事のだいたいは察したが、太宰の口から直接説明を聞きたい気持ちがはやった。
「ねむ――
 と太宰は寝ぼけている。
「夕べは中島くんが寝かせてくれなかったから――
「不眠症を私のせいにしないでくださいよ」
「いや本当だよ――すごかったからね。まず中島くんをあお向けにして――
 と、呂律ろれつの回らない口調でそんなことまで言い出したから中島は慌てて、
「い、いや、そういうのやめてください。聞きたくないですよ」
「だけど、嘘も秘密もだめって中島くんに言われちゃったからさぁ」
 ヤキモチ妬いてる? と、太宰は眠たげな目を細めて意地悪な顔をして見せた。
 中島はうんとも言わないが、否定もしなかった。長い前髪を顔の前に垂らして赤い頬を隠すようにしているばかりで。
「なんか――浮気しちゃったみたいな気分だよな」
 太宰の意地悪な顔は照れたような、くすぐったいような表情に変わった。
同じ﹅﹅中島くんと浮気ってのも変だけどさ」
 冗談めかしてそんなことを言うのだった。

(了)