正夢
ただでさえ不眠症に悩まされている太宰だが、昨晩は輪をかけて眠れなかったらしい。
今朝の朝食の当番に当たっていた中島が、夜明け過ぎに食堂に来たときには、太宰はすでに一人きりでテーブルに突っ伏して座っていた。入ってきた中島に気がつくと、いやに怯えたような声を上げた。
「ひっ!! ――な、な、中島君おはよう――」
「おはようございます」
随分早いですね、と中島が感心して言うと、
「あっ、いや、その――ちょっと夢見が悪くてさ」
と、太宰はあからさまに目をそらしてしまう。
「どんな夢ですか?」
「そ、それは、何というか、な、中島君にもんのっすごい怒られる夢。いやもうほんと怖かったんだよ! こう怒髪天突いてるような顔した中島君にのしかかられて全っ然身動き取れなくて! 金縛りに遭って息苦しくて目が覚めたから!」
「た、確かに妙な夢ですね――でもただの夢でしょう。まさか正夢になるとも思えませんし」
中島は人のよさそうな笑みを浮かべて台所へ入っていった。太宰はますます青くなる顔色で中島の背を見送りながら、だんだんと椅子から腰を浮かせていく。
「い、いや、たぶんさぁ、正夢になると思うんだよね――」
しばしの沈黙があり、
「太宰さん――!?」
と、中島が裏人格と見間違うような怖い顔をして食堂の方に戻ってきたとき、太宰はすでに脱兎のごとく姿を消した後であった。
中島の手には配膳用の白いエプロンが握られている。その胸当てのど真ん中に大きく、毛筆で、可愛らしいまん丸い虎の顔のいたずら書きがされ、その脇に、
「だざいおさむ画」
とご丁寧に署名まで入っていた。太宰は昨夜遅くまで、食堂で無頼派の同志たちと座談という名目の酒盛りに興じていたようであり、酔うと筆を取りたくなるのは太宰の道楽である。
その朝、いやに可愛らしいエプロンを着けて、恥ずかしそうに食事を配っている中島を他の文士たち皆それぞれにからかった。
太宰は一番最後にやって来て、中島にとっくにしこたま叱られたものらしい、しょんぼりと小さくなりながら朝食を受け取った。それが文士たちをいっそう愉快がらせた。
(了)