クセ
中島には、気が弱ると顔を押さえる癖がある。顔を、それも口元をじっと押さえるのであった。
「なに、咳でも出そうなの?」
と、あるとき太宰が尋ねた。
中島は、知らん顔をして手を下ろした。
「ふん」
「そ、そんな怖い顔しなくたっていいじゃん――」
仲間の文士たちとともに有碍書から図書館へ帰還し、中島が一人でさっさとどこかへ行こうとすると、太宰がそれを呼び止めた。
「中島君も医務室に行きなよ」
中島は太宰の方を振り返って、じろりとにらみ上げた。太宰が「ひっ」と情けない声を出した。
「だって中島君、さっきも口押さえてたしさぁ、それに
「――お前に言われなくても、俺は俺の勝手で行く」
中島は、ぷいとそっぽを向き、踵を返した。その後を太宰がついて来る。
「どうしてお前が一緒に来る」
「俺だって医務室に行きたいの!」
と太宰は言ってみたり、
「なんでこう、オダサクといい無理や我慢が好きなのかね。黙ってないで口に出して言えばいいのに」
と親身な風につぶやいてみたり、態度がころころ変わるのは相変わらずである。中島が相手をしないでいると、太宰は不満げに口をつぐんだ。太宰の悪癖は、この人に構われたい病だなと中島は思った。
医務室の机には鴎外がヌシのように座っていて、中島の後から入ってきた太宰を見て嫌な顔をした。
「太宰君、また君か。睡眠薬なら出さないと、俺は何度も言ったはずだが」
「ち、違うんですよ先生、今日は、薬をもらいに来たんじゃなくて、ほら、潜ってきたんですから。ね、一緒に」
と、太宰は中島を盾にして弁明した。鴎外はそれを疑いはしなかったが、やはり苦い顔で念を押した。
「君に必要なのは医薬品ではなく落ち着いた生活だ。自分を大切にし給え」
「へへ――」
太宰は決まり悪そうに笑って、うつむいている。そばで見ていた中島には、下を向いた太宰の頬がかすかに上気しているように見えた。
白いカーテンで区切られた寝台に入るとき中島は、カーテン越しに隣の太宰へ声を掛けた。自分の推察が正しいのか確かめたかった。
「太宰お前、喜んでただろう」
「何を」
「鴎外に叱られたことをだ」
太宰は、押し黙っていたが、やがて気だるげな声を寄越した。
「俺が昔かかってた医者は、頼めばいくらでも薬をくれたんだよね。俺なんてどうせ死ぬもんと決めてたからさ」
なるほど、つまり鴎外に薬の無心をするのも太宰の癖の内かと、中島は思った。
「女々しいな、お前」
「芸術的と言ってよね」
と太宰が図々しくも言い返してきた。愛嬌がある。中島は、わざと鼻で笑って聞かせてやった。
(了)