小春日和

 このところ、今の時節にしては珍しく、空は晴れ日差しの暖かい小春日和が続いている。日中は外套を着込まなくても帝國図書館の庭を歩く程度なら凍えることもない。
 図書館の庭で、中島は妙なものを見た。
 蓮池に架かる橋の上で、太宰治が一人ぽつねんと池の水面を見ている。いつも誰かと一緒で、一人ではいられない太宰にしては珍しい。と言って、中島もわざわざ声を掛けるほどの仲でもない。
 かつて、生まれは同年、その上同じ年に帝國大學へ入学した二人である。中島は国文学科、太宰は仏文学科。もっとも、太宰の方はほとんど授業に出ず、挙句大学五年目の秋に除籍されているが。
 太宰は二十六歳のとき、中島は三十三歳のとき、ともに芥川賞の候補に上ったが双方とも落選した。学生時代から文壇作家に師事して文士として活動してきた太宰に比べ、仕事の傍ら一人で小説を書いていた中島はデビューが遅かった。
 ともに四十歳を迎えられなかった早逝である。ただし、その死に様は双極を成す。元来病弱であった中島の短すぎる天命は喘息による心臓の衰弱によって尽きた。一方で太宰はといえば――
―――
 太宰という人間と、私は生涯相容れまい。と中島は思う。
 中島は、太鼓橋のてっぺんに立つ太宰の後ろ姿を黙って眺めた。目に優しくない派手な風体の、けばけばしい装束が風に吹かれてひらめく。
 太宰が、ふいに橋から池の方に身を乗り出そうとして前に屈んだ。
 ギクリ、と中島の背中に冷たいものが這った。まさか、という気持ちと、太宰ならやりかねない、という気持ちがいっぺんに押し寄せ、足がすくんだ。
(私には関係のないことだ)
 何が起こっても知るものか。と見て見ぬ振りをすればよかったのだ。
 それができなかったのは、太宰への気遣いからではなく、もし万が一のことがあったとき、自分が太宰を見殺しにしたと人に責められるのが恐ろしかったからであった。
「あ、あの太宰さん、そこで何をしているんですか――
 と、中島が橋のたもとまで来て遠慮がちに問うたとき、太宰はまだ橋の上に立っていたが、こうべをその外へ深く垂れて青ざめた顔をしていた。太宰も中島に気がつくと、のろのろと首を回して振り返った。
「何って――二日酔いでゲロ吐きそうになってるんだけど――
 と、別に嘘ごまかしの類でもなく、本当に心から情けない声で太宰は答えた。そういえば、この男夕べは中原中也に引き回され、あちこち飲み歩かされていたようである。
 おええ、と太宰が根性の足りない声で池に向かってえずいているのを、中島は狐につままれたように、きょとんと間の抜けた顔つきで眺めた。

(了)