或る夢

 近頃中島は随分優しげな顔つきをするようになった。生前、ちょうど死期が迫った頃にもそんな顔をして、そして優れた文章を多く残した。やっとそこまで記憶のネジが巻き戻ったのだという観がある。今生でこそは、これから好きなだけ小説が書ける。
 と、それはいいのだが、中島は優しくなった反面、“彼”に対していささかふてぶてしい。夜ごとの眠りのうちに二魂が睦み合うとき、中島はさも何も知らないような顔で恥じらって見せるが、その実結構冷静で、しかも貪欲である。
(我ながらへんな奴だ)
 と“彼”は思うわけである。
「あ、ッ、ま、待って――
 “彼”が乗りかかり押し入ってきた感覚に中島は震え上がりながら、
(夢の中だからこんなに気持ちがいいのかな――だけどただの明晰夢にしては――起きているときに一人でしてもこんなによくはないけど)
 と、頭の中のどこかにぼんやりと思索をやめない自分がいて、快楽の理由わけを問いながらそれを貪っている。
「あっ、あっ、く」
「また何か考えているんだろう」
 と“彼”が閉口した口振りで言う。中島は、ううと呻いた。
「何も考えられないようにして――
「待てと言ったり、何も考えられないようにしろと言ったり、どっちなんだ」
「わからない」
 中島自身にもわからなかった。
 “彼”がひどくやさしい声を出した。
「そうか、わからないか」
 あなたにはわかるんですか、と聞こうとした口を“彼”の口で塞がれた。
「んん」
――俺のことを考えながら一人で不自然な行為﹅﹅﹅﹅﹅﹅をしただろう」
 と、口を離した直後“彼”が出し抜けに言った。
「えっ?」
 と中島は一拍遅れて何を言われたのか理解した。
 カッ、と顔が熱くなって、体が強張った。その拍子にあらぬところも締まったらしく“彼”が唸った。
「っ」
「そ、そ、そういうこと、言いますか普通――
「何も考えられないようにしろと言ったから、たまには心から﹅﹅﹅恥ずかしがればいいと思ったのさ」
「ひどい」
 中島は赤い顔を“彼”の肩にうずめ、背へ下から両腕を回した。
「考えるな、何も」
 “彼”はゆっくりと動き出した。
「実は俺もお前のことを思い描いて一人でするんだ」
 と耳元でささやかれて、中島はさらに体を強張らせた。また締めつけられた“彼”は呻きながら笑っていた。
「そんなにきつくされると動けない」
「あっ、わ、私をからかってるんでしょう。私には嘘をついてもわからないと思って」
「そうだ」
 と“彼”は認めて、ゆるゆると舟を漕ぐように動く。
「からかっているのは認めるが」
 と、“彼”は追い打ちをかけた。
「俺は嘘はつかない」
 中島の体ががくんと大きく跳ね上がる。“彼”に一度だって激しくはされなかったが、その晩中島はいつもより随分乱れた。

(了)