Mage

 女に関しては、だいぶ、荒行を積んできたつもりのバイルだが、それでもどうやっても理解不能な女の一人や二人はいるものである。
 その理解不能﹅﹅﹅﹅の一人が、今目の前に座っている、ラウル第二軍魔法師団長エンリ・ナタルージュだった。五十人ばかりの魔術師を統率する彼女自身、相当な魔術の使い手だとバイルは聞いている。歳の頃はもうじき三十に差し掛かろうというところで、美貌である。燃え盛る炎のように鮮烈な赤毛が美しい。しかし、そんな容貌に反してひととなりは飄々とつかみどころがなく、妖しげな影がある。
(どうにも、わからねえ女だな)
 と、バイルはつくづく思う。今も面と向かって座ってはいるが、会話のきっかけも難しく、バイルは困って懐から煙草を取り出した。
「一服やっていいか」
 と断ると、エンリはうなずいた。
「いいわよ。その代わり私にも頂戴」
 バイルはシガレットケースから一本エンリに差し出した。
「火は」
「結構よ」
 とエンリは言い、細身の葉巻を形のいい唇に挟むと、ひとりでに先へ火が点る。バイルはそれを気味悪そうに横目で見ながら、自分は自前の火縄入れから火を取った。
 黙って煙草を半分ほど吸ってから、バイルはようやく切り出した。
「で、エンリ、何か申し開きすることはねえのかよ」
 エンリは平然と紫煙を吐いて答えた。
「これと言ってないわね」
「じゃあ、訴えられてる通りだと認めるんだな? お前は戦場近くの山間の集落で俺の部下の女士官に暴行した」
 エンリは同性愛者である。軍内では公然の秘密だった。
 エンリは、今度はうんともすんとも言わない。始終こんな調子なのである。女の気まぐれとか、そういうのには忍耐強いつもりのバイルもさすがに参ってしまう。
「エンリお前よ、いい加減観念して白状しろよ。それとも、弁護が必要ならそう言え」
 バイルが報告を受けている限りでは、こういう事情である。
 クォーダへ侵攻を続けるラウル第二軍は、先日ある山間部の地域においてクォーダ軍と小規模な戦闘を行った。それ自体は両軍ともさしたる損害を出さなかったが、その後ラウル軍は付近の集落で一定の略奪行為を行った。
 主には食料や燃料等の確保が目的であった。が、大軍ゆえに上層部の目が行き届かない部分も少なくない。住民への暴行等目に余るものについては処罰された。
 エンリの場合はクォーダの人間に対してではなく、同じ軍内、バイルの統率する第一師団の女性士官に暴行を加えようとしたというので多少事情は違うが、いやしくも師団長たる者が起こした事件であり、バイルも捨て置くわけにはいかなかった。
「訴え出たのは被害者と同じ第一師団の、つまり俺の部下の下士官なんだが。そいつが通報して、兵士が駆けつけたところ、お前が、半裸で殴る蹴るの暴行を受けた女士官と一緒にいるのが見つかった。それは認めるな?」
「ええまあ」
「それから他にも、もう一人目撃者がいる。そっちの話と照らし合わせたところ、一応矛盾はしてない」
「目撃者なんていたの」
「近くにいた兵士の一人が、お前が女士官を犯そうとしてるところを見たって言うんだよ。女が女を手込めにするのも“犯す”っつーもんか俺は知らねえが」
「その目撃者は何て?」
「争うような声がして、見に行ったら、民家の裏で衣服を半分脱がされた女士官が倒れてて、お前がそれに手をかけてるところだったとよ。ただ、見ただけで何もできなかったそうだ。お前が怖くて」
「ふうん――で、訴え出た下士官の方は、士官の娘が私に襲われてるのを見て、自分は助けようとしたんだと言ってるんだっけ?」
「ああ、長年勤めてて特に目立ったところもねえ輩だが、その程度の侠気はあったのかね――そいつ、お前に魔法でやられた火傷が腕一面に残ってたぜ」
「あの様子じゃ当分剣も銃も持てないでしょうよ」
「認めるのか? お前がやったんだって」
「まあ、そのクソ下士官を痛め付けたことだけは認めましょう」
「女士官の件は?」
「黙秘するわ」
 エンリは唇の端にあるかなしかの笑みを浮かべながら、短くなった煙草の煙を細く吐き出した。
 結局、バイルはそれ以上のことをエンリから聞き出すことはできず、この日はとりあえず引き下がった。
(らちが明かねえぜこりゃ)
 どうもエンリは何か腹に秘密を抱え込んでいるように見える。日頃から不気味な女だが、それにしても様子がおかしい。
 考えあぐねて、自分の司令部に戻るとすぐ妻を呼んだ。バイルの妻ルーナ・ビュイックは彼女自身軍人であり、またその名のとおりバイルの女房役たる参謀であった。今度の事件についてだいたいの事情はルーナも承知している。
「内々に処理してしまうのがいいのじゃありませんか」
 とルーナは言った。
「ナタルージュ師団長を告発するのは気が引けると仰るのであれば」
「気が引けるというかなぁ」
「それに被害者の士官の娘は貴族で、しかもまだ若く未婚ですから――将来のことも考えると、こういうことが表沙汰になるのは彼女にとっても望まないところだとは思いますが。実際、彼女自身からは今のところ何の訴えもないのですし」
「お前な、それでいいのか? 泣き寝入りだぞそれは」
「もし自分が同じ目に遭ったら徹底的に争いますよ私は」
 と、ルーナはきっぱり言った。
「ですが人にはそれぞれ事情があるものです」
「しかしだなぁ」
 バイルは腑に落ちないようで、しきりにうなっている。
 そのとき、天幕の入り口が開いて、事務官が足早に駆け込んでくるなり、
「部下の方がビュイック師団長に面会を求めておいでですが、いかがいたしましょう」
 というような内容を伝えた。バイルは初め、取り込み中だからと断ろうとしたが、その部下の名前を聞いて目の色を変えた。
「すぐここへ呼べ。今なら幸い、俺より話の通じるカミさんもいる」

   * * *

 翌日、朝早くに再度訪ねてきたバイルの様子を見たエンリは、珍しいことにちょっと目を丸くしていた。
 バイルは一人ではなかった。脇に中年の下士官と年若の兵士を連れ、さらにその二人を見張るようにルーナが付き従っている。皆厳しい顔つきだった。
 エンリ一人がのらりくらりとして、バイルの横の下士官と兵士の顔をにらんで言った。
「あらクソ野郎ども、また会ったわね。火傷の加減はどう? もっと強い火で炭になるまであぶってやればよかったかしら」
「エンリ、こいつがお前を訴えた下士官で、その隣が目撃者の兵士だが」
 とバイルが口を挟む。エンリはうなずいた。
「そのようね。それで? その当人まで連れてきて何用?」
「お前も証言しろ」
「疑わしい女に何を話せって――
「そうじゃない」
 バイルはかぶりを振り、
「本当は、お前の方が目撃者だったんだろう。こいつらが、俺の部下の女士官に暴行したところをお前は見て、助けに入ってやったんだ」
 と、きっぱりと言った。
「昨日、その士官の娘が俺んとこに来てな、全部話してくれたぜ」


 元はと言えば、クォーダでの略奪中、バイルの部下の下士官と兵士が二人がかりで集落の農婦に暴行しようとしていた場に女士官が居合わせたということらしかった。
 女士官は軍規違反だと彼らを責め立てたが、下士官の方は長年の軍隊生活で、こういう行為のうち処罰を受けるのはよほど目に余るごく一部だけで、後のほとんどは見逃されるか内々に済まされるものだとよく知っていた。
 それで、口論になった。そのときに、
「娘さん、今のうちに逃げなさい! 早く!」
 と、女士官はクォーダの農婦を逃がしてしまった。それが争いを激化させた。
 バイルの話をそこまで聞いて、エンリが不意に口を挟んだ。
「同じ頃、私たち魔法師団は集落の下見をしていたのよ。住民を追い出した後、辺り一帯魔術で焼き払ってしまうことになっていたから。上からの命令でね」
「それで」
 とバイルが続きを促す。
「それで、そこのクソ野郎どもが、民家の裏で士官の娘を殴りつけて、服を脱がせようとしてるところを見かけたわけ」
「どうしてお前一人で助けに入ったんだ。せめて部下でも連れてりゃ――
「だってあいにく近くにいなかったし」
 エンリはのんびりとした声を出した。
「そいつらを痛め付けるのにだいぶ魔力を使ったわ。下士官の方は両腕一面――兵士の方は確か腹の辺りまで火が回ってたはずだと思うけど」
 バイルはうなだれている兵士の前に立って、制服を無理やり脱がせた。
「見せろ!」
 兵士は服の下に膿のにじんだ包帯をぐるぐる巻いており、さらにその下はただれた火傷になっている。
 ふん、とバイルは鼻を鳴らした。
「ただの目撃者がこんな大火傷こしらえる道理はねえな」
 バイルはエンリへ向き直り、
「どうして今まで本当のことを言わなかった。お前にしても、乱暴されたのに黙ってた被害者の士官の娘にしても――
「だってかわいそうじゃない」
「士官の娘がか? 犯人を捕まえないままでいる方がよほど可哀想だろう」
――私が助けてあげたとき、あの娘はそれはもう口も利けないほどショックを受けていて」
―――
「犯人を捕まえたら捕まえたで、何をされたとか、どこを触られたとか事細かに調べられて、答えなきゃならないでしょう。思い出すだけでもつらいでしょうに。だから、誰にも何も話さなくてもいいと私が言いつけたの」
「だからって泣き寝入りは」
 バイルはどうにも納得がいかず、しかめた顔が元に戻らない。エンリはそれに存外好意的な視線を送った。
「別に泣き寝入りなんてしやしないわ。たとえば次のクォーダとの戦闘で、私の魔術が多少﹅﹅それて味方の一人や二人攻撃に巻き込んでも誰も気にしないでしょ」
 エンリは視線を下士官と兵士へ移し、ぞっとするような笑みを浮かべた。
 それから元の表情に戻ると、なぜか天幕の奥の方を見遣った。奥はエンリの居住区域になっている。
「そいつらが私を告発しようとしてくるとは思わなかったけど――
 とエンリが言いかけると、バイルは潔く頭を下げた。
「上官として謝る。後で正式にも」
「あなたに頭を下げられるのはいい気分ね」
「せいぜい気を良くしてくれ。そのためにこんな朝っぱらから来たんだ」
「まあ、それは少し早すぎだと思うけど」
「あん?」
「夕べから来客があったのよ――あなたたちがこんなに早く来たせいで、帰るしおを失って困ってるわ」
「夕べってお前、そりゃ、つまり」
 天幕の奥で人の気配がして、若い女の影がちらりとのぞいた。バイルが目を丸くする。向こうもそれに気付いて、慌てて奥に引っ込んでしまったが、見間違いではない。例の士官の娘だった。
「エンリ! おっまえ――!」
「ねえバイル、あの娘は規律をよく守っているし、勇気もあって、きっといずれ優秀な指揮官になるわ。そうでしょ?」
「そ、そうだろうが、それとこれとは」
「それに何より可愛いわ。恩人の私が告発されそうになってると知って、昨日あなたに全て打ち明ける決心をしたんだと言ってたわ。そのために私の言いつけを破ってしまってごめんなさいと謝りに来たの。私を助けるために自分が辱められても、貴族の女としての経歴に傷が付いても構わないと言うのよ。なんて可愛いの」
―――
「私も夕べはつい、ネフィルに残してきた恋人たちのことを忘れたわ」
 見逃してよ、とエンリはねだった。
 バイルは渋い顔で考えてから、
――今回、俺は少しお前を見直したつもりだったが」
 それは撤回する。と言った。エンリはにこりと笑って、
「ありがとう」
 とお礼を言った。やっぱり理解不能﹅﹅﹅﹅な女だとバイルは思って、深いため息をもらした。

(了)