Heavy Infantry
腐れ縁なのである。
「おまえとは二度と一緒に仕事をしたくない!」
と、常々思っているし、おそらく向こうもそれをわかっているはずなのだが、なぜかちょくちょく顔を合わせてしまう。
ラウル第一軍第九旅団長クルツ・ラングレイは、この度のクォーダへの侵攻に際し、第二軍第二師団長に任じられて中央から派遣されてきた。それはいいが、問題は、同じく第一軍から選出された第一師団長で、
「またおまえか!」
とクルツはよほど思ったが、口に出さない程度には紳士であった。
ある日クルツが第二師団司令部で書類仕事をてきぱきとこなしていたところ、事務官がやってきて、
「し、失礼いたします、ラングレイ師団長」
と恐る恐る声をかけてきた。
「何用だ!」
「ひぃっ! 申し訳ございません!」
クルツの神経質そうな目でにらまれて、若い事務官はさっそく震え上がっている。それがまたクルツには癇に障るというか、面白くない。
「用件は何かと聞いている」
「は、はい、あの、ラングレイ師団長へ面会をお求めに――」
「一体誰がだ」
口ごもって要領を得ない事務官に、クルツはあからさまにイライラとした態度を向けた。哀れな若者は一層萎縮してしまう。
「は、はいぃ! ビュイック第一師団長です!」
「追い返せ!」
と、クルツは来客者の名前を最後まで聞き終わる前に怒鳴った。
が、一息ばかり遅く、入り口に立つ事務官の背後へ、ぬっと図体のでかい人影が現れた。
「おいクルツ、そう大声を出すなよ。外まで聞こえてるぜ。おおかわいそうになぁ若ぇの、あんなにギャンギャン怒鳴らなくたっていいのによ」
第一師団長バイル・ビュイックであった。バイルは若い事務官に、
「今度可愛くてやらせてくれそうな子を紹介してやるから元気を出せ」
とかなんとか慰めて(?)やりつつ、体よく人払いをしてしまうと天幕へ入ってきた。
「バイル、私は招き入れた覚えはないぞ」
「まそう堅いこと言うなよ」
「何が堅い!」
「いや実はうちのが先頃具合を悪くしていてだな」
とバイルはいきなり切り出した。
「なに!?」
クルツの顔色が一変した。目が三角になっているのはいつものことだが、さっきまでのイライラはどこかへ吹っ飛んで、驚きと緊張が表情のほとんどを占めている。
バイルはのらりくらりとした口調で続けた。
「ちょっと俺の手にゃあ負えねえもんでよ、それでおまえのところの――」
「て、手に負えないとは、そんなに細君の容態はよくないのか!」
「あん?」
バイルはやっと視線を上げてクルツの表情を見た。クルツがまるで最前線で指揮を執るときのように真剣な顔をしていることに、そのとき初めて気が付いたらしい。
「ルーナのことか?」
「当然だろう。それとも、まさか貴様、他に妾を持ったのか!? 女にだらしのないやつだとは思っていたが。相手は誰だ? まさかグラーフの公女じゃあるまいな!? 貴様同じ軍内に妻を連れていながらなんというふしだらな真似を」
「盛り上がってるところ悪いが、残念ながらローゼとはまだそういう段階じゃねえんだよ。第一妾を持てるほどにはこれがねえ」
と、右手の親指と人差し指で輪っかを作って見せる。
「薄給だからな」
「貴様がルーナを――細君を悲しませるような真似をしていないならそれでいい」
「うん」
バイルはしばし思案し、
「――で、うちのやつの具合の話だが、まあ、そう大したことはないだろうと思う。ただルーナも不安がってはいるんでな、よかったらおまえ暇なときにでも見舞いに来てやってくれ」
「もちろんだ。明日にでも」
「ああ、見舞いの品に関しては気遣いないぜ。そうだな、桜桃のボンボンでもありゃ」
「こ、この時節にそんな贅沢な」
「ルーナの好物なんだよ」
とバイルに言われると、クルツは神妙な面持ちになり、それ以上言い返さなかった。
バイルは話を済ませて早々に出ていった。
クルツは先刻の事務官を呼び戻した。若い事務官は、また怒鳴られるのではないかとびくついているのが明白だったが、クルツはそんなことはもう気にしていない。
事務官に命じて従軍商人のリストを用意させた。さらにその中から菓子を売る商人を選び出し、ボンボンを取り扱っている者を自ら熱心に探した。
おかげで午後の仕事の書類はそっくり翌日に持ち越されることになり、それはそれで若い気弱な事務官を泣かせるはめになるのだった。
翌日、約束した時間きっかりにクルツは第一師団の司令部を訪れた。念入りに身なりを整えて、従者も一人連れている。
「おう、よく来てくれたな」
出迎えたバイルはばかに真面目くさっていた。
「多忙なところをわざわざどうも」
などと口では慇懃なことを言っている。が、クルツにはわかっている。全く誠意がこもっていない。
まともに取り合うつもりはなく、さっさと見舞いの品を渡した。
「細君の好物だと聞いたので。口に合えばいいが」
従者に持たせていた荷から菓子の包みを出させ、バイルへ差し出す。
バイルはそれを受け取って、一瞬、無精髭のまばらに生えた顎をひくつかせた。
気付いたらしい、とクルツは思った。バイルの両手にはただの菓子折りらしからぬ重みが感じられていることだろう。この男のことだから、即座に何枚金貨が入っているか勘定したかもしれない。
バイルは急に愛想のいい顔つきになり、
「こりゃ結構なものを」
「細君のお加減が早くよくなるように願っている」
断じて貴様にやるんじゃないからな! と内心で付け加えた。
バイルは、従僕を呼んで受領した見舞いの品を預けると、クルツを野営地へ案内した。
「あれの様子を見てやってくれ」
と言って、自身と妻の寝泊まりする上級士官用の天幕へ入る。クルツはその後に続いた。
天幕の中は、いささかとっ散らかってはいるが、思ったよりずっと清潔な感じがする。傷病人がいるようには思えない。
「細君はどちらに?」
「まあそう急くなよ――ルーナ!」
「おい、そんなに大声を出すな。細君の体に障る――」
とクルツにたしなめられても、バイルは黙殺し、二、三度繰り返し大声で妻を呼んだ。
ややあって、
「ちゃんと聞こえていますよ」
と澄んだ声がした。
奥から、すらっとした軍人風の女性が現れた。バイルの妻ルーナ・ビュイックであった。
(あれ?)
とクルツが思ったのは、てっきり病床に伏せっているとばかり考えていたルーナが起きて出迎えてくれたばかりか、彼女は常のように軍服を着込んでしゃんと両足で立っている。病身にはとても見えない。
バイルがルーナへ言った。
「クルツが来てくれたぜ」
「ご多忙な折にお手数をお掛けいたします、ラングレイ師団長」
と、ルーナは夫と違って誠心誠意感謝してくれた。
「土産に桜桃のボンボンをもらった」
「あら、銃の修理の相談にわざわざ来ていただいたのに、この上そんな――」
「見舞いにくれるんだとよ」
クルツは、思わず、
「は?」
と紳士に似合わぬ声を上げてしまった。
どういうことかと問いただそうとしたが、バイルにそれを制され、奥まで連れ込まれてしまう。
奥の方はビュイック夫妻の居住区になっており、簡単な応接ができる程度に家具が設えてあった。
ルーナが席を外した隙を見計らって、ようやくクルツは口を開いた。
「どういことだバイル!?」
「何が」
「ルーナ――細君は体の具合が悪いんじゃなかったのか!?」
「誰がそんなこと言ったんだよ」
「貴様が――」
「俺は」
バイルはクルツの顔をのぞき込みながら底意地の悪い笑みを浮かべた。クルツの眉間に何重にも深い溝が刻まれているのを面白がっている。
「俺はただ『うちのが具合を悪くして』と言っただけでな、誰も体の具合とは、ましてやルーナの話だとは一言も言った覚えがねえな」
「き、っさま――!!」
と顔を真っ赤にしているクルツを、バイルはますますおかしそうに眺めている。
クルツは、腹からあふれんばかりの文句と罵声をどうにか飲み下した。言ってもこの髭面に余計いやらしく笑われるだけだと思った。
「さ、細君は銃の修理の相談だと言っていたがあれはどういう意味だ」
「うちの
その話を昨日聞かせてくれていれば、わざわざ高価な土産や見舞金まで渡してこんなところへ来る必要はなかったわけだが。
クルツは九割方諦めていたが、一応尋ねてみた。
「バイル貴様、見舞金を返すつもりは」
「やだ」
どうしてこんな男がルーナと――と考えれば考えるほどわからない。たぶん一生理解不能だろう。
クルツが応接用の椅子に座って待っていると、バイルが右手に大型のマスケット銃を提げて戻ってきた。
「これが試作品なんだがよ、どうもハンマーの具合が悪い。撃ったときに銃身がぶれやすくなった」
クルツは銃を受け取ってためつすがめつした。
前装式で、点火機構は新式の燧石式。戦争相手のクォーダではすでに広く用いているらしいが、ラウルではまだ珍しい。
「火縄式に比べて精度が劣るようでは実用に足るまい」
とクルツが言う。燧石式は引き金を引くときの衝撃が重く、火縄式に比べて命中精度が低いのが難点だった。
バイルはクルツと差し向かいに座った。
「だがクォーダでは実用精度の銃が造れてるんだぜ。戦場で死体から一挺拝借したが、精巧な造りだった」
「ふむ」
「ただまあ、あれは少数精鋭のクォーダだからこそ造れるモノだな。大所帯のこっちが真似しようとしたところでコレが」
と、右手の親指と人差し指で輪っかを作る。
「かかりすぎて話にならねえだろうよ」
「ではこの試作品とやらは?」
「多少精度を犠牲にして造りを簡単に、安上がりにした」
「暴発の危険は?」
クルツは銃を構え、銃口をバイルの腹へ向けた。もちろん弾は入っていない。
「ハンマーの誤動作を半分に減らさにゃ実戦じゃ使えまい」
「第二師団の技師の中に興味を示す者がいるだろう。どの程度貴様の要望に添えるかはわからんがな」
「いや、助かる」
話し込んでいる二人の元へ、ルーナが従僕を連れてやって来た。従僕はトレーを抱え、その上には蒸留酒を注いだカップが二つと、桜桃のボンボンを入れた器が乗っている。
従僕が酒食を供しているとき、クルツはルーナとふと目が合った。ほんの一瞬のことで、すぐ目をそらしてしまう。
従僕は自分の仕事が済むと出ていった。ルーナも長居をせず、じきに退席した。
バイルがボンボンを一つ取って、口へ放り込みながら言った。
「クルツ、おまえもさっさと嫁さん見つけて結婚しろよ。人のものを指くわえて見てねえでよ」
「げほ!!」
クルツは酒が急に変なところへ入ったらしい。
バイルは、
「大丈夫か」
と声をかけることもしない。背中を丸めてむせ込んでいる同僚を横目に、きつい酒でボンボンを一息に喉へ流し込んだ。
(了)