奇妙な友人

 遠くで聞こえていた雷鳴が、次第に城へ近づいて来ている。
「ひでぇ雨だ」
 と、エスクは独りごちた。書斎のガラスをはめた窓から外を見ようとしても、そのガラスを叩く雨粒でほとんど何も見えないような有り様であった。
 まだ昼過ぎだと言うのに、室内は夜中のように暗い。机の上にはランプが置いてあるが、エスクはあいにく火を持っていなかった。
 コッコッコッ、とドアをノックする上品な音が聞こえた。
 エスクは首から上だけ振り返って、入れと答えた。
「失礼いたします」
 静かに開いたドアからパルティアが入ってきた。
「なんだパルティアか」
「なんだ、で悪うございましたわね」
 エスクは、やっと体ごとドアの方へ向き直った。
「なんか用か」
「火をお持ちしました」
 この天候で明かりが必要なのは城中どこも同じらしい。侍女や従僕たちで火を持って回っているのだとパルティアは言った。
 パルティアは手に提げていた火縄入れの蓋を開け、赤く燃える火縄の先でランプに火を入れてくれた。
 エスクがクォーダに来て以来、戦場でいやというほど嗅いできた火縄の煙の臭いが書斎中に満ちた。
「なんでまたそんな物で」
「この方がいいんです。中庭を通り抜けるのにも火が消えたり、湿気ったりせずに済みます」
「なるほど合理的だな」
 エスクはパルティアにお礼を言った。
「助かったよ。なんせこの暗さじゃ、本も書面も読めやしねえ」
「それで、そうしてご休憩﹅﹅﹅なさっていたと」
 ようするにサボっていたのだろう、と言いたいらしい。
 エスクは、へっと笑って肩をすくめた。
「あんたも休んでいっちゃどうかね」
「いえ私はまだ――
「その火縄の残り具合からすると、もう俺んとこが最後だろう。心配しなくても誰も来やしねえさ、こんな場所まで」
 パルティアはぐずぐずしていたが、
「ではお言葉に甘えて、少しだけ」
 と、ついにうなずいた。火縄入れをテーブルへ置き、一息つくと、窓辺にたたずむエスクの方へ歩み寄った。
「また雨が強くなりましたか?」
「強くなる一方だぜ」
「嵐にならなければいいのですけど」
「そりゃ、難しい注文かもな」
 パルティアがエスクの隣に立ったちょうどそのとき、
 カッ、
 と、窓の外に閃光が走った。
「きゃっ!」
 パルティアは思わず身を縮め、両目をきつくつぶった。
 稲光から一拍遅れて、腹の底まで響くような雷鳴が轟く。
「だーいじょうぶだ、まだ遠い」
 木霊の残る雷の音に混じって、のんびりしたエスクの声が頭上から振ってくる。パルティアが顔を上げると、エスクはにやにや笑いながらこちらを見下ろしている。
「意外と臆病だな?」
「驚いただけです」
 パルティアは言い繕い、すくんだのをごまかすようにお仕着せの襟を直した。
「なんだパルティア、濡れてるじゃねえか」
 とエスクは目ざとく気が付いた。パルティアは中庭を通ったと言っていたが、そのとき雨粒に打たれたのだろう。髪やドレスの肩が随分濡れて、肌に張り付いていた。
「風邪引くぜ」
「平気です、このくらい」
 パルティアは口ではそう言うが、薄い色の唇から一層血の気が引いていて、顔色も青白い。断続する稲光に照らされている横顔から、エスクはそう見て取った。
 エスクはおもむろに上着のボタンを外し始めた。ぎょっとしているパルティアを尻目に、上から下まで全部外して上着を脱ぐと、それをそのままパルティアへ差し出した。
「ほれ」
「え?」
「着てろよ」
「へ、平気ですったら――
「透けてんだよ、ドレスが、濡れて」
 エスクはだらしなく笑って言った。
 パルティアは慌てて自分の胸元や肩の辺りを見回したが、その言葉が本当なのかどうかわからなかった。しかし、そう言われてしまったからには受け取らないわけにもいかず、
「あの、ありがとうございます」
 エスクの上着をもらい受け、素直にお礼を言った。それをしばし手の中でこね回していたが、やがてそっと丁寧に広げて肩に羽織った。
 エスクはパルティアより頭一つは背が高い。丈長の上着はそのままでは床に引きずってしまうから、パルティアは両手で裾をたくし上げて体に巻きつけるようにした。
「別に床掃除の代わりにしたっていいんだぜ」
 エスクは笑い、派手な柄のシャツの裾を背へ避けて、トラウザーズのポケットへ両手を突っ込んだ。
 パルティアは、なんとなく気恥ずかしそうにしている。
「そういうわけにはまいりません」
「優しいねぇ」
「汚したら、どうせお洗濯するのは私たち侍女ですから」
「それもそうか」
 エスクはパルティアから一歩離れ、窓の外をのぞいた。猛烈な雨が叩きつけている隙間を探すようにして城下の方をにらむ。
「こりゃ大水になるかもなぁ」
「ついさっき、カシス様もエディウス様とそのことをお話になっていました」
「当面大方はあいつらに任せておけばいい。俺の仕事はとりあえずこの雨が弱まってからだな。逃げ遅れた人間の一人や二人はまず出るだろうし、家が流されることもあるかもしれん。軍を動かして助けに行ってやらにゃ」
――案外ちゃんとお仕事のことを考えていらっしゃるんですね」
「惚れ直したか?」
 パルティアが顔を赤らめて何か言ったようだったが、雷鳴にかき消されてよく聞こえなかった。
 きっと、
「冗談はおよしになってください!」
 とでも言ったのだろうと、エスクは一人合点して気にとめなかった。
「まあともかく、城の人間にしろ街の人間にしろ、ついこの間までキツイ戦争を生き抜いてきた連中だ。ちょっとやそっとのことでうろたえるタマじゃあるまい」
「ええ」
「それにしても、ちょっと冷えるな」
 エスクは両手をポケットに入れたまま、肩をそびやかして体を小さくした。
 パルティアが申し訳なさそうに言った。
「あ、あの、エスクさん、上着、お返しします」
「ああいや、いいから着てろよ、あんたの方がよほど震えてる」
「震えてません」
「震えてるだろ。寒そうだ」
「平気です」
「いや、だから」
「そんなに仰るなら、ご自分の手で触って確かめてご覧になりますか?」
 今度も雷が声をかき消してくれれば、適当にごまかすこともできたのかもしれなかった。
 しかしそうはいかず、雷鳴はパルティアの言葉の後を追うようにとどろき、稲光が彼女の泰然とした表情を照らしていた。
――熱でも出てきたのか? パルティア」
 と、初めエスクは本気にしなかった。
 するとパルティアが悲しげに目を伏せたから、慌ててしまう。
「その、なんだ、あんまりからかわないでくれんかね。俺が大してこらえ性のない男だってことは、なんというか、ここではあんたが一番よく知ってるんじゃないかと思うんだが」
「そうですね。よく存じてます」
「また殴られるのはいやだよ」
「ぶったりしません」
「わかんねぇかな、触るだけじゃ済まねえだろ。あのときみたいに――
「あのときみたいに、そこのテーブルの上にでも、押し倒してくださっても構いませんわよ?」
 エスクは息をのんだ。
 パルティアが今更恥じらってエスクから目をそらした。窓の外で、また大きな稲妻が黒い雨雲の中を走り抜けたのが見えた。
 エスクが右手をパルティアの方へ伸ばしかけたとき、耳を裂くような雷鳴がとどろき、それに諫められたように、エスクの手は一旦ためらって宙で止まった。
「エスクさん――
「なあパルティア、あんた、その、もしかして何かあったのか?」
「別に何も」
 と言って、パルティアはしびれを切らしたように自分からエスクに手を伸ばした。
 初めは、恐る恐るというようにエスクの両手に触れた。それから一歩踏み出して頤を持ち上げ、エスクにキスした。
「っ――!」
 最初エスクはパルティアを押し返そうとして、彼女の肩をつかんだのかもしれない。が、さほど克己心の強い男でもなかったから、結局その手はパルティアの背中へ下りていく。
 顔を離して、エスクは言った。
――やっぱりあんた震えてるよ。冷えきってるじゃねえか」
 言いながら、近所の子供でも撫でてやるような手付きでパルティアの背中をこする。パルティアの体の芯に寒さによるそれとは違う震えが走った。
 しばらくの間、二人はそのままの格好でいた。
 外では雷雲がかなり城に近くなっていた。
 急にエスクの両腕に力がこもって、パルティアは、はっと顔を上げた。
「きゃ――
 エスクに強引に抱きすくめられ、背中を窓へ押しつけられた。
「エスクさん」
 何か言いかけたが、その口をキスでふさがれる。すかさず舌をねじ込まれて、パルティアは息が止まりそうになった。
「んん――!」
 うっとりするような暇もなく、エスクの手が性急にパルティアの体を這った。ドレスに覆われたなだらかなラインをなぞるように腰を滑り下り、お尻の丸みを広い手のひらで確かめるように撫で回した。
 指の先で少しずつスカートの裾をたぐり寄せていく。全部まくり上げるまで我慢が利かず、途中で荒っぽく手をその中へ突っ込んだ。
 パルティアが、びくっと震い上がったのをエスクは手のひらで感じた。
(あっ――
 パルティアはもう一度身をひくつかせた。太ももの裏側を撫でているエスクの手が焼けるように熱い。
 エスクにしてみればパルティアの肌はひどく冷たかった。閉じ合わされたももの内側にだけ、ほんのりと熱がこもっている。そこへ指先を押し込むとパルティアは一層震えた。随分感じやすいたちらしかった。
「んんんっ!!
 パルティアはくぐもった悲鳴を上げ、窓へ背中をこすり付けるように身じろぎした。その拍子にキスがほどけて息が自由になった。
 エスクの指は、パルティアの脚の付け根の際どいところを行ったり来たりするのを飽きもせず続けていた。
「なぁパルティア」
 と、不意にエスクが低い声を出した。
「さっきなんて言ったんだ?」
「さっき――?」
「俺が『惚れ直したか?』って言ったときさ」
 雷で聞こえなかったんだ、と小声で言い添える。少なからず期待のこもった視線がパルティアにそそがれていた。
 が、パルティアの返答は、エスクの想像していたものとは違った。
友人としては﹅﹅﹅﹅﹅﹅と言いました」
 きょとん、とエスクは気の抜けたような顔になった。
「友人?」
「ええ――
「あんた友人とこんなことするのか?」
 エスクはとがめるように言って、とうとうパルティアの脚の間に触れた。中央のくぼみを肌着越しに中指の先で軽くなぶった。
「っあ――い、いけませんか?」
「イイとかイケナイとか俺が言えた義理じゃないんだが、まあ、ただ」
「ただ?」
「そういうタイプの女だとも思わなかった」
 エスクの言葉に、パルティアは傷ついたような表情こそしたが、といって否定もしない。
「あ――エスクさん、や、やめないで」
 薄布一枚隔てて女の部分を愛撫されるのがよほど気持ちいいらしく、自分からおずおずと脚を開いて続きをねだった。
「人に見られたらどうすんだ、こんな――
 と、エスクがパルティアの背のガラス窓を指して言った。晴れた日なら外から見えてもおかしくない場所である。
 パルティアは喘ぎ喘ぎ返事をした。
「今日はこの雨ですから、見えません」
―――
「音だって、雷で聞こえません。わかっていて、なさっているんでしょう、エスクさん」
 あぁ、と、か細く鼻にかかった声をもらし、後ろ手で窓枠につかまって体を支える。そうしなければ膝ががくがく震えてしまいそうだった。
 エスクの愛撫は優しかったが、なんとなく踏ん切りが付かないような感じで、パルティアの脚の間を単調になぞっていた。それでもパルティアは十分過ぎるほど反応したから、
(どこの男に仕込まれたもんかね)
 などとエスクは下世話なことを考えている。まさかカシスがとも思えないし、エスクのさして豊かでない女性経験では、パルティアのような平時泰然自若としている女がどういう男に身を任せてきたかなんて想像もつかない。
(まあなんだ、相手が誰にしろ随分可愛がられてきたには違いない)
 と思うと、腹の底から言いようのない気持ちがむらむらと湧き上がってきた。
 それはきっと、パルティアが聞いたら「理不尽だ」と怒るような話なのだが、エスクは見知らぬ男に嫉妬して、
(どうしてそんな男と寝たんだ)
 と、内心パルティアをなじった。
「来いよ、パルティア」
「あ――
 エスクに腕を取られ、パルティアは部屋の中央へ置かれたテーブルの方に押しやられた。少し足元がふらついてとっさにテーブルの縁へ手を着くと、体勢を立て直す前にエスクは正面から乗りかかってきた。
「きゃっ!」
 エスクの手が真っ先にパルティアの髪へ伸びた。
「エ、エスクさん、だめです、ほどかないで」
「後で直すの手伝ってやるから」
 パルティアの頭の後ろへ右手を回し、いやに手慣れた風に、きつく結い上げられた髪をすっかりほどいてしまう。指ですくと、亜麻色の髪がパルティアの肩へはらはらと落ちた。
「初めて会った日を思い出すな」
 エスクはぼそぼそとつぶやきながら、次はパルティアのお仕着せに取りかかった。ドレスの胸元を留めている隠しボタンを二つ器用に外した。
「よくご存知ですね」
 とパルティアが、ちょっと口をとがらせて言った。
「あん?」
「そこにボタンがあることです」
「俺は勉強家なんでね」
 エスクははぐらかし、
「冷たいぞ」
 と言って、パルティアのドレスと、その上に羽織った自分の上着を背中までずり下ろし、むき出しになった肩をテーブルへ押しつけた。
 肌着をまくり上げると、目に痛いほど生白い胸乳があらわになる。エスクが黙って見下ろしていると、パルティアは恥ずかしそうに身を縮めた。左右の細い膝と膝がエスクの腹の下で悩ましげにすり合わされていた。
(今朝ヒゲあたっといてよかったな)
 エスクは目の前の白い乳房に顔をうずめた。まだ柔らかい頂はわずかにくすんだ薄い色をしていた。片方にキスして、もう片方には指で触れた。パルティアが息をのんで胸をふくらませ、たちまち乳首をとがらせる。
「んん――っ!」
 エスクは、舌の上で硬くなった小さな突起を転がしながら、しばし成熟した女の体の柔らかさに夢中になった。
 身悶えして下からしがみ付いてくるパルティアの姿に強烈に自尊心を刺激される。自惚れの心地よさに酔ったような気分だった。
「あ、ああぁエスクさん――
 エスクの手はいつの間にかパルティアの胸元から脚の付け根へ向かい、下着の中まで潜り込んで、濡れたところをかき回していた。
 愛液にまみれた指先で手前の突起を撫で回すと、パルティアのお尻がくねって快感を訴えてくる。
「あっ、あっ! あっ! あぁっ!! ――んん!!
「パルティア、すまんがさすがに声が」
 外の雷雨は相変わらずだし、近くの部屋に人気がないことも知ってはいるが、決して誰も立ち入らぬ建物というわけでもない。エスクはいささか心配になり、空いた手でパルティアの口をふさいだ。
 羞恥心で耳の先まで真っ赤になったパルティアが可愛かった。
「こんなに感じやすい女初めてだ」
 とエスクはささやいた。本当か嘘かはわからないが、パルティアをもっと恥ずかしがらせるにはとりあえず十分であった。
「違うんです、これは」
 とでも言いたげに、パルティアがいやいやと首を振る。
 エスクは口から手をどけてやり、その手もスカートの中へ差し入れて下着を脱がせた。
「あ、いや――
 エスクに両膝をつかまれ、目の前で広げさせられて、パルティアは多少抗うようなそぶりを見せた。が、それも脚の間にエスクがうずくまるまでのことで、女の部分に濡れた舌先が這い出すともうだめだった。
「っはぅ、んん! んんんっ!!
 たやすく陥落してしまう。硬くふくらんだ突起にまとわりつく舌と唇の愛撫にとろかされ、すがりつける物を探して両手がテーブルに爪を立てる。
 敏感な突起をもてあそばれた余韻からパルティアが覚めないうちに、エスクはトラウザーズを下ろした。この状況に異常に興奮しているのはエスクも同じだった。顔に似合わず歳相応にそり返ったペニスを手で押さえて、パルティアの脚の間にあてがうと、
「いいよな?」
 と形ばかり同意を求める。
「エ、エスクさん、私」
 と、パルティアが小声で何か言いかけた。少なくとも拒絶ではない、とエスクは受け取った。今は甘い睦言よりも、火の点いた体を慰める快楽の方が早くほしい。
 パルティアのそこは染み出した愛液でヌルヌル滑り、簡単にエスクを奥まで受け入れた。
「あっ、は、入って――?」
「ああ入ってるよ」
 エスクはパルティアの乳房へ手を伸ばしながら腰を揺すった。とがった頂を指がかすめると、エスクのペニスの先を咥えているところがピクピク反応した。
「ん、あっ、あっ、あぁ――っ、ご、ごめんなさい」
 エスクの体の動きに合わせてもれ出すあえぎ声が、また次第にあからさまになってきて、パルティアが申し訳なさそうに自分で自分の口元を押さえている姿が健気でいじらしい。
「俺だってその可愛い声を聞きたいところなんだけどな――
 パルティアのような女をベッドで思いっきりあえがせて、夢中ですがりつかせたらさぞ自尊心がくすぐられることだろうと思う。
 エスクは、パルティアから一旦体を引いた。
「? エスクさん――
 物足りなそうな顔をしているパルティアをテーブルから下ろし、背中から抱きかかえて犯した。
「きゃ、あっあっ!! あっ! や――
 後ろから激しく突かれて、耐え切れずにパルティアの上半身がテーブルの端へ崩れ落ちた。
 エスクは片手をパルティアの口元へ回した。
「噛んでもいいから」
 パルティアの口を押さえながら遠慮なく腰の物を出したり入れたりした。
「んん! んっ! んんんっ!!
「あぁパルティア――いい、すげぇいい――
 と、エスクもたまらずうなった。かすれた声がため息に混じって吐き出される。
 目の端だけでエスクを振り返ったパルティアが、青い双眸をうっとりと弓のように細めた。
「んん――っ!」
 断続してピクピク締め付けてくる肉襞にペニスをひときわ激しくこすり付けてエスクは達した。
 パルティアもいったのかどうか、エスクにははっきりとはわからなかったが、少なくともパルティアは不満めいた様子は何も見せなかった。
「今までの男と俺とどっちがよかった?」
 と聞いてみたい衝動にエスクはかられたが、趣味が悪いと思って我慢した。


 公言通りパルティアが髪を結い直すのを手伝ってやりながら、エスクは眠たげに大あくびをしている。
「お疲れになりましたか?」
 と、パルティアが真面目くさった顔で言った。
「すいませんエスクさん、ちょっとここを押さえてくださいます?」
「あ? ああ――
 エスクは言われたとおりに、パルティアの頭の後ろにまとめられた髪束の根本を押さえた。その間にパルティアは手早くピンを挿して髪を留めた。手慣れたものである。パルティアが器用にシニョンへキャップを掛けているのを背後から眺め、エスクはテーブルの椅子を引いてだらしなく腰掛けた。
「慣れたもんだな」
「いつもしていることですから」
――いつもこんなふうにしてるのか? 城内の男と?」
 パルティアは驚いた顔をしてエスクを振り返った。
「いやだ、そういうお話でしたの」
 髪の話ではなかったらしい。パルティアは赤面して、
「そういうことなら、別に慣れているということもありません」
「ご謙遜を」
「本当です」
 と、パルティアは少し語気を強め、それから急に恥じらってうつむいた。
「だって今日が初めてでしたもの」
 エスクの眠気も気だるさも、一瞬で吹き飛んでしまった。
 間の抜けた声が半開きの口からもれた。
「へ?」
「ですから、今日が初めてで――
「そ、それは、その、城内でコトに及んだのが初めてとかそういう意味で」
「そうではなくて、たった今私は生娘ではなくなったと言っているんです」
「は、いや――ええ!?
 呆然としているエスクを見て、パルティアは、これでは埒が明かぬと考えたらしい。
「あの、エスクさん、私そろそろ仕事に戻らないといけません――お話はまた今度に。お借りしたお召し物はこちらに掛けておきますから」
 すっと椅子から立ち上がり、その椅子の背に畳んだ上着をかけると、エスクの横を通り抜けてテーブルの上の火縄入れを取り、書斎を後にした。全く平常通りの落ち着き払った身ごなしであった。
 一人残されたエスクは、それから半時ばかりもぼんやり座り込んでいた。
 ふと手元に目をやり、左の薬指の根本辺りが赤く腫れ上がっていることに気付いた。パルティアの口を押さえたときに噛まれた傷だと思い至るまでに、いくらか時間がかかった。ひどくはないが痛みがある。夢ではない。
 その頃には外の雷はとっくに遠く過ぎ去っていた。

   * * *

「エスクさん――エスクさんてば」
 聞いてるんですか? と肩を揺さぶられて、はたとエスクは我に返った。
 顔を上げると、カシスが怪訝そうに細い眉を寄せてこちらを見下ろしていた。
「すまん、聞いてなかった」
 エスクは正直に白状した。執務椅子に飲み込まれそうになっていた体を起こし、居住まいを正す。一応は仕事中なのである。
 カシスは肩をすくめて自分の席に戻り、深々と身を沈めた。
 執務室には、エスクとカシスの他に人はいなかった。
「先日の豪雨でカイラスではいくつか堤防が決壊し、河川の氾濫によって不明者が出たわけですけど、その捜索に当たらせる兵士を増やしますか? という話をしました、僕は」
「ああ――そうだな、それがいいだろう」
「それから、家を失った人たちへ充てる物資や宿泊所が十分じゃないんですが、軍の物資や施設を開放するわけにはいきませんか?」
「第四師団を使ってくれ。俺の方じゃ勝手に物を動かせなくてよ、クレップスがむしろ手をこまねいてる状況だった」
「わかりました。助かります」
 一通り仕事の話が済むと、カシスは、ほっと息をついて手足をくつろげ、
「それにしても、どうしたんですかエスクさん。近頃変ですよ? よくさっきみたいにぼーっとして――恋患いでもしてるんですか?」
「っ!! げほっ、げほっ!」
 エスクは口へ運んでいたお茶が妙なところへ入ったらしく、急にむせこんで、苦しそうにティーカップをソーサーへ戻した。
 カシスは、きょとんと目を丸くした。
「えっ、もしかして本当にそうなんですか? 似合わないですねぇ」
「どーいう意味だよ、そりゃ。げほ」
 エスクは胸が治まってから、わざとらしくせき払いをして言った。
「違う。ちょっと、その、し、仕事上のことで気がかりがあってだな」
「まったく、つくならもっとマシな嘘ついたらどうです? エスクさんに心に決めた女性がいるのなら――まあ、僕も協力しますよ、できる限り」
「いやいやいや心に決めたとかそーいう話じゃ」
「エスクさん、実際のところ」
 と、カシスはそこで一旦言葉を切って、神妙な顔つきでエスクを見つめた。
「結婚とか考えてないんですか? 奥さんを自由に選べるのは今のうちだと思いますけど」
「俺が政略結婚するってんなら、まあそれもいいんじゃねえの」
「またそんな、冷めたようなこと言って」
「いや本心だぜ。そもそもが貧乏貴族の息子なんだからよ、ロクな結婚なぞ期待しちゃいなかった。それが一国の重臣としてどっかいいとこのお嬢さんでももらえるとなりゃ、身に余る話ってやつさ」
「政治の駒にされても構わないんですか?」
「構わんね」
 と、エスクのそれは本当に正直な気持ちらしかった。
「軍師冥利に尽きるってもんよ」
――じゃあ、恋患いの相手はつまり遊びなんですね。ひどい人だなぁ――
「いやだから恋患いなんかじゃないんだって。違う」
 カシスはもうなんだか億劫になってきて「わかりましたわかりました」とおざなりにうなずき、引き下がった。ため息をつく。
「あなたといい、パルティアといい、妙なんだから」
「げふ!」
 エスクは再度お茶にむせそうになって、カシスに白い目で見られた。
「今度は何ですか? エスクさん」
「パ、パルティアがどうかしたのか?」
「ああ――パルティアも最近少し様子がおかしいんです」
 カシスは、パルティアの話になると心配そうに表情を曇らせ、声をひそめた。
「ちょうど例の豪雨の日辺りから――
「様子がおかしいって、どんなふうにだ? それこそ、お、男でもできたような感じか?」
 エスクはそわそわと落ち着かず、しきりに右手で左手の薬指をいじっている。付け根をパルティアに噛まれた傷は、ほとんど目立たない程度にはなっていたが、まだ多少の赤みを帯びている。
 カシスは大きく首をひねって見せた。
「いい人でもできたっていうような話なら、僕も――まあ、歓迎してあげたいところですけど」
「違うのか?」
「こんな話、執務中に話していいものかどうか」
「話せよ」
 と、エスクは勢い込んで言ってから、弁解するように付け加えた。
「臣下としちゃぁ、なんだ、主君の家庭生活の質を向上させるのも仕事の内だからな?」
「はぁ」
 カシスはうさんくさげな顔をしつつも、ちょうど誰かに相談したいところだったから、話し始めた。一語一語言葉を選んで言った。
「あの、僕、この間パルティアとケンカした――というか」
「ケンカ?」
「いえ、というより、僕が一方的にパルティアを怒鳴りつけてしまいました」
「お前が?」
 エスクは意外そうに首をひねった。
「ちょっとその、政務で上手くいかないことがあってイライラしてたものですから――そんなときに過剰に世話を焼かれると、放っておいてほしい気分になりませんか?」
「それはわかるが、それだけか?」
――それだけじゃないです」
「うん」
 エスクは相槌を打って続きを促した。
 カシスは、言いよどみ、しばらく下を向いてもじもじしていた。
――エディウス兄がどうにかしてくれると」
「宰相閣下が」
「だから、ええと、僕が政務で悩んでいる程度のことは、宰相として腕を振るってきたエディウス兄を頼ればどうにかしてもらえる、と、パルティアに言われて。それは実際そうなのですし、パルティアも僕を慰めようとして言ってくれたんだろうと頭では理解できるんです。でもそう言われて、どうしようもなく悲しいような、悔しいような気持ちになって――
「わかるぜ」
 カシスは顔を上げてエスクを見つめた。
「本当ですか?」
「お前だってもう一国の王で、国のために難事も成さなきゃならねえ身だってのに、パルティアはどこかまだ男の子﹅﹅﹅扱いが抜けきらないんだな」
 エスクがそう言ってやると、カシスも納得がいったようである。うなずいて、手元のティーカップを取り上げた。
「だけど僕もこんなことでパルティアと仲違いするのは嫌ですから、翌日には謝りました。それがちょうどあの豪雨の日の夜のことです」
「で、ど、どうなったんだ?」
 エスクもすでに冷めかけているお茶を三たび口に運んだ。別段喉が渇いているわけではなく、口に何か入れないと落ち着かないのである。手はテーブルへ置かれた皿の焼き菓子へも伸びた。
 カシスは続きを語った。
「パルティアは笑って許してくれました」
 手の中でティーカップを傾けたり撫で回したりしながら、語を継ぐ。
「いつもどおりすぎるくらい、いつもどおりでした」
 カシスが言うには、パルティアは、
「カシス様がお謝りになることは何もありません。私の方こそ、カシス様のお気持ちに気が付かずに、出すぎたことを申しました。お許しを」
 と、優しさに満ちた、年の離れた姉が弟を慈しむような調子で答えたそうだ。
 それを聞いてエスクは、うーん、と、うなり、
「いつもどおりだな」
「いつもどおりすぎるんですよ。今までささいなケンカをしたときの方が、もっと、なんて言うか、感情的なところを見せてくれました」
 カシスは寂しげに表情を曇らせた。
「パルティアは口では許してくれましたけど、本当は今もまだ気にしてるんじゃないかなって、却ってそう思うんです」
「なるほどね――
 エスクは、あの日パルティアが体の関係を求めてきた理由をカシスの話からなんとなく理解した。が、そうして関係を持ったことでパルティアの心にどんな変化があったのか、皆目見当がつかない。
 まさかカシスに、
「パルティアが変だったのは俺が処女を奪ったからかもしれん」
 などと言うわけにもいかないし、他に言葉も見つからず、ムズムズする口へ菓子を押し込んだ。
 カシスは、美しい青い目からすがるような視線をエスクへ送った。
「ねえエスクさん、どうしたらいいと思います?」
「俺に聞かれても」
 とはいえそこはカシスの軍師だから、ない知恵を絞って考えた。その結果、
「とりあえず、気分転換にたまにはパルティアに休みを取らせて、観劇にでも行かせたらどうだ」
 そんなつまらないことしか言えないのだから情けない。カシスもつまらなそうな顔をした。
「何の解決にもなりませんが――だけど、そうですね、パルティアも城で働き詰めですし、外の空気を吸うことも必要ですね。気分が変われば話しやすくなるかもしれないし」
「うん」
「エスクさん連れて行ってあげてくださいよ、観劇」
「えっ俺?」
 エスクは慌てた。話の矛先が思わぬ方へ向いてきた。
「パルティア一人でというわけにもいかないでしょう――他に任せられる人がいないじゃないですか。エスクさんなら、パルティアも気心が知れてるし」
「いや、城内にはもっと適任そうな紳士連中がいるだろ」
「立派な紳士なんかと一緒に出かけさせたら、パルティアが他の侍女の嫉妬を買いそうじゃないですか?」
 どーいう意味だそりゃ。と、よほどエスクは言いたかったが、事実には違いない。
 エスクはどうも及び腰であった。
「お、俺はダメだ。その、ええと、他に気にかけてる女が」
「そんなのいないってさっき言ってましたよね? それとも、本当はやっぱりしてるんですか、恋患い」
「うぅっ」
 姑息な言い逃れをしようとすればするほどドツボにはまる。
「言い出した人が責任を取るべきなんです」
 と、カシスはぴしゃりと言い、空になったティーカップを優雅な仕草でソーサーに戻した。


 その日の晩、カイラスの繁華街にある大きな料理店にエスクはいた。
 中心地の辺りは水害も少なかったし、それにやはり市井の人々はたくましかった。少しでも儲けて浸水した損害分を取り戻そうというので、どこも活気がある。
 店のホールの隅の方に、楽団から離れていて静かで、薄暗い席が設えられていた。シェードのかかった明かりがゆらゆらとテーブルを照らす雰囲気がいい。
 そこでエスクは差し向かいになって酒を飲んでいた。向かいの相手は、カカと笑って、
「こんなところに連れ込んでどうする気だよ。俺とイイ雰囲気になりたいってか?」
 とからかった。ラデュスであった。
 ラデュスは、ガラスの杯から白葡萄酒を一口飲んで、目を見張った。
「お、いい酒だな。奮発してるねぇ主席参軍のダンナ」
「お前に酒の良し悪しなんかわかるのかよ」
 とエスクは首をひねる。ラデュスはとてもそんなしゃれた男には見えないのだが。
「わかる。いい酒ってだいたい不味いんだよ、普段飲みつけねえから」
 と、ラデュスはいけしゃあしゃあと言って、葡萄酒を一息に飲み干した。近衛兵の隊長なんて地位を持っているくせに不良育ちでお行儀が悪い。のだが、そういうところが却ってご婦人方の心を刺激するらしい。よくモテる。
 お行儀が悪いのはエスクも同じだが、一応は貴族の端くれ、家名を持って生まれた出自のせいか、どことなく坊ちゃん臭さが抜けない。
 ラデュスは杯を置き、テーブルの上の料理に手を伸ばした。皿にぐるりと並べた牡蠣と塩ゆでの海ザリガニが照明の下でてらてら光っていた。カイラスは内陸地だが、沿岸部から川を上る船で美味な海産物が運ばれてくる。
 ラデュスは、嬉しそうに牡蠣を一つ殻ごとつまみ上げた。
「うまそうだ」
「美味いぜ、ここのは」
 とエスクはうなずいた。
「それで?」
 とラデュスは牡蠣を口に入れる前に言った。
「話って?」
「別に話ってほどでもねえが、まあ、なんだ、お前とも久しく飲みに来てなかったなぁと思ってだな」
「女でもできたのか?」
 と、ラデュスにずばり言われて、エスクは――今日何度目になるか――喉へ流しかけていた酒にむせた。
 ラデュスは一瞬きょとんとしてから、にたにた笑い出した。
「なんだよ図星か。女の話すんのに貝食いに来たって? オッサンかよ」
 笑いながら牡蠣の殻の端を唇に押し当て、器用に身の部分だけを口の中へ滑り込ませる。ソースまできれいに吸い取って、満足そうに頬をゆるめた。
「あーうめ」
 続けて海ザリガニにも手を出した。縦に二つに割ってぶつ切りにしたのを一切れ取り、手で殻をむしって、頬張って、むしゃむしゃとうまそうに食っている。見ていて気持ちのいい食べっぷりだった。
 ぼーっとしていると皿の上の物全てラデュスに平らげられてしまいそうだ。とエスクも慌てて牡蠣を一つ取った。
 ラデュスが機嫌のいい調子で言った。
「で、どんな女なんだ? 早く惚気ろよ。まあその顔で惚気ってのも似っ合わねえけどな」
「うるせぇ」
「いいから早く」
「どんな女と言われても――お互いの身の上話なんかそんなにした仲でもねえしなぁ――
「あのなお前、相手の身の上だの細かいこたぁいいんだよ」
 ラデュスはせっかちに身を乗り出して言った。
「可愛い子か? 体つきはどうだ? 年下か? 年上か? 俺が聞きたいのはそーいう話でよ」
 とスケベ心丸出しである。
 エスクは、脳裏にパルティアの容姿を思い浮かべた。あまり具体的に喋るとバレてしまうだろうか。
「そうだな――歳は俺と同じくらいだったはずだ」
「お、いいねぇ、二十歳そこそこか。食べ頃って感じだ。俺もそのくらいが好みだな。顔は? 美人か?」
「きれいだぜ、歳の割りに少し大人びてて。顔の周りに長い金髪垂らしてるとまあまあ色っぽい」
「金髪か。いいな、俺も好きだ」
「背丈はほどほどで、出るところは出てる」
「俺もそういう女がタイプだな」
――お前、どうせ何でも好みのタイプなんだろうが」
 エスクはあきれた。真面目に話して損をしたと思った。一息ついて、葡萄酒で口を潤した。
 ラデュスも、にやにやしながら、ぐびと喉を鳴らして酒を流し込んだ。
 ラデュスはふと、店内から楽団の音が消えていることに気が付いた。楽団は背の方の、ホールの奥に陣取っていたはずだ。ラデュスがそちらをちらっと振り返ると、楽団は一曲演奏を終えて、歌姫の登場を待っているところである。
 やがて隅の方から、黒い胸元の開いたドレスを着た若い歌手が姿を現し、楽団の前へ進み出た。歌う前にホール全体を見渡した。ラデュスはその間ずっと彼女を見つめていたが、視線の一つも合いはしない。
 楽団の演奏が始まり、歌姫はそれに乗せて淡々と歌った。少しかすれた声が聴衆の肌に絡みつくような、聴いていて震えの走る歌声だった。
「たまんねえな」
 とエスクが言った。エスクもいつの間にかラデュスと同じように歌姫を眺めている。
 ラデュスはエスクの方に向き直り、からかった。
「気が多いな、お前も。決まった女がいるんなら――
「いや、べ、別にまだ決まったとかそういうわけじゃなくてだな」
「なんだよ、まだ寝てないのか?」
「いや寝たけどよ」
「やることはやってるんじゃねえの」
 とラデュスは肩をすくめ、
「あっ、お前まさか一発させてもらったきりで恋人気取ってんじゃねえだろうな? そんなのいちいち本気にしてたら馬鹿見るぜ」
「恋人じゃねえ“友人”だって言われた」
 へぇ? と、ラデュスが興味を引かれて前のめりになった。
「友人ね――お友だちと寝る女って、そりゃどうしてなかなか遊び人なんじゃねえの?」
「処女だった」
 とエスクは言った。言ってから、杯に残っていた酒をあおった。
「げえマジかよ。お前に処女捧げちまったって? 変わった女もいたもんだ」
 とラデュスにあまりにはっきり言われ、エスクはふてくされたくなった。だが次第に酔いも回ってきて、むしろ、
「俺もそー思う」
 と、素直にうなずいた。
「女は何考えてるかわかんねぇなぁ――
 エスクはしみじみつぶやいて、牡蠣を一粒舌の上へ滑らせた。
 ラデュスが、ふーん、と物のわかったような顔をしている。
「それでエスク、お前はどう思ってるんだ?」
「なにが」
「なにがって相手のことをだよ。惚れてんのか?」
―――
 不意に、エスクの胸に今となっては懐かしい思い出が蘇った。修士館時代、本気で愛した娘がいた。結局、片思いに終わったわけだが。十代の頃の話だ。
 母国を裏切ってクォーダにつき、先の戦争をクォーダ軍の参軍として支え過ごした今のエスクには、それがなんだかひどく遠い記憶に思えた。あのときは確かに心の底からその娘が好きだったはずだが、それがどういう気持ちだったかもう思い出せないのだ。
 ただ少なくとも、パルティアに対する気持ちが、その娘に対して抱いていた気持ちと同じであるとは到底思えなかった。
「惚れてる――と思うがなぁ」
 とエスクは自信なさそうな声で言った。
 ラデュスは肩透かしを食らったような顔をした。
「何なんだよはっきりしねえヤツだな」
「案外俺も“友人”でいたいのかもしれんよ。オトコとオンナの関係になって面倒事抱え込むような暇はない」
「口だけは一丁前に悪い男してやがる」
 へ、と苦笑いすると、ラデュスは小用だと言って席を立った。
 一人になったエスクは、昼間カシスに頼まれたことをつらつら考え始めた。
 同じ頃、楽団の方で短い歌を二、三曲歌い終えた歌姫が、客の拍手を背にさっさと通用口から奥へ引っ込もうとしていた。歌姫は、ドアの前まで来て、
「いい声だったよ」
 と脇から声をかけられ、ついそちらを振り返った。
 ちょっとぎょっとするような赤毛の大男が壁に背をもたれて立って、こちらを見下ろしている。ラデュスであった。
 歌姫はお礼を言い、ドアへ手を伸ばそうとした。
「俺が開けるよ」
 と、ラデュスが先にノブをつかんで押し開け、廊下へ出て、ドアが閉まらないように押さえた。
「どうぞ」
「ありがとう――
 歌姫も外へ出た。
 ラデュスは、ホールへ戻らず、廊下に立ったままで静かにドアを閉めた。
 歌姫は怪訝そうに眉をひそめた。その形が整った弓なりで美しい。
「ここはお店の人以外立ち入り禁止だと思うけど」
「ま、少しくらいいいだろ? あんな騒がしいところじゃ、落ち着いて君の歌声を褒めることもできやしない」
「お気持ちだけで十分よ」
 と、きびすを返して行こうとする。
「待った、俺のこと覚えてない?」
「? どこかでお会いしたかしら?」
「いや、さっき君が歌う前にさ、俺の方見てただろ?」
――それならあなたの気のせい」
 歌姫はあきれて、やはり行ってしまおうとする。ラデュスはめげずに続けた。
「俺も君のこと見てたんだぜ。ほら、覚えてるだろ? この赤毛に、この図体なんだから」
 確かにラデュスは遠目にも見失わないような派手な容姿をしている。周囲から頭二つ抜けた長身で、今いる廊下だってただでさえ狭いのに余計狭く、天井も低く見える。その頭は燃えるような赤毛。しかも獅子の鬣のように無造作に伸ばした髪だからなおさら目立つ。目に入れば多少なりとも印象に残る男ではある。
 それでも歌姫は、つん、とそっぽを向いた。
「さあ、覚えてないわね」
「ほんとに? 全然?」
「全っ然」
「少しでいいから思い出してくれないかな――俺もあんまり時間がなくてさ」
「さっさと連れの人のところに戻ったらどう?」
 と歌姫が冷ややかに言うと、ラデュスは急に嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「何がおかしいの」
「いや嬉しいんだよ。やっぱり覚えててくれたんじゃないか、俺のこと」
「何の話?」
「俺に連れがいるって、ちゃんと見てたんだろ?」
「あなたが、時間がないって言うから――
「俺は人を待たせてるなんて一言も言ってないけどな」
 ラデュスは、真正直な下心と全霊の称賛を隠さない目つきで歌姫の顔をのぞき込んでいる。歌姫が見つめ返してきて、値踏みするような視線を向けられてもたじろがない。堂々と胸を張っている。
 ふ、と歌姫が口元をほころばせた。
「満更馬鹿でもないのね」
「御眼鏡にかなったならなによりだ」
「ちょっとだけ興味が出てきたわ。あなた、何してる人?」
「何してそうに見える?」
 歌姫は、ラデュスの頭の先から足の先までじろじろ見て、
「兵隊さん?」
 と言った。
「おっ、アタリ。実は俺、国王陛下の近衛兵の隊長なんだ」
「まさか、それは嘘でしょ?」
 歌姫は一笑に付して本気にしなかったし、ラデュスも別に信じてもらえなくても構わないらしい。
「そんなことよりこれから予定あるかい? どこかでゆっくり君の声を褒めたいんだけど」
「いやだ、連れの人が待ってるんでしょう」
「いいって、見ただろ、俺の連れなんて冴えない宮仕え野郎なんだから」
「でも」
 と、歌姫はじらした。
「私この後、ここの店長と約束があるの」
「ふうん、二人だけで? 大事な約束?」
「いえ――今演奏してる楽団の皆が一緒だし、そんなに、まあ大事ってほどじゃないけど」
「じゃあ断っちゃいな」
「あなたも私たちと一緒に来れば? 紹介してあげるわよ。楽団には結構可愛い子もいるし」
「君がいいよ。君と二人きりになりたい――
 ラデュスは甘ったれた声を出した。歌姫も満更でなくなってきたらしい。
「そんなこと言われても、ね」
 と意味ありげに微笑を浮かべ、ラデュスに背を向けて歩きだした。ラデュスは当然のようについて行った。
 結局、その晩ラデュスは戻らなかった。明け方近くに登城して、門番に今まで何をしていたのか問われると、
「夕べ知り合った歌姫の可愛い声を褒めてたんだよ、一晩中」
「どちらで?」
「ベッドの中でに決まってんだろ、ばか」
 と、ラデュスは臆面もなく言い放ち、大あくびをしながら城へ入った。


 置いてけぼりをくらったエスクは、ラデュスがいつまで経っても小用から戻らないので不審に思い、店の者を呼んで尋ねたところ、
「お連れ様でしたら、先ほど歌手の娘を連れてお帰りになりました」
 そのように説明されて、おおかたの事情を察した。
「あンのやろぉっ!! あれだけ高い酒ガバガバ飲んで遠慮なく食っておきながら」
 明日城で会ったら覚えてろよ。と、毒づきながらも、ラデュスのそういう心が動くままに行動できるシンプルさをちょっとうらやましく思った。

   * * *

 悩むときは悩むが、一旦動き出してしまえばエスクの行動は早い。
 翌日さっそくパルティアへ手紙を書き、三日後の芝居へ誘った――というよりも、日時と場所とドレスコードを列挙したメモを一方的に押しつけたという方が正しいかもしれない。そしてパルティアの返事を待たずに観覧席の手配をし、他出の都合をつけた。
 エスクはパルティアへ手紙を渡すときも、諸事の手配をするときも、馬鹿馬鹿しいくらい人目に付くように﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅動いた。だから、皆エスクがパルティアを連れて外出するものと知っていた。
「まるで、さもパルティアが一緒なんだってみんなに思い込ませたいみたいだな?」
 と、顔を合わせた折に意地悪くくちばしを挟んできたのはラデュスである。
「それでエスク、陛下の侍女にまで手伝わせて本当はいったいどこの誰と逢い引きするつもりなんだ?」
 エスクは聞かれたことには答えず、
「こないだの飲み代」
 とだけ、ぼそりと言ってやると、ラデュスは今持ち合わせがとかなんとか言って退散した。
 パルティアはエスクのやりたいようにさせているのか一度も口出ししなかった。ただエスクの手紙に書いてあったとおりに、観劇に着て行く服の用意をした。
 そして三日過ぎた。
 その日の昼前頃、パルティアが執務室にいるカシスのところへ挨拶に来て、
「それではカシス様、今日の午後は私エスクさんの公用にお供して教会へ参りますので――
 と言った。
 カシスはそれで思い出したらしく、
「ああ、エスクさんが観劇に連れて行ってくれるのは今日だったっけ?」
 と書面から顔を上げて首をかしげた。
「何を観るの?」
「さあ――カイラスで一番大きな劇場に行くおつもりのようですけれど」
 パルティアは芝居そのものには興味がないらしい。カシスは苦笑いした。
「まあ、たまには外の空気を吸ってゆっくりしておいで」
「ええ、カシス様がそう仰るのなら」
「他の侍女には何か言われた――?」
「参軍様のお守りなんて大変ね、とか、役者好きの子にはうらやましがられたりとか、そんな辺りです」
「自分から話したの?」
「我々の間では、こういうことについて黙っていると後々敵を作ることになるんです」
「ふうん――でも確かに、実際エスクさんのお守りというか、あの人がパルティアを一人にしてどこか行っちゃったりしないように、よく見張っててね」
「?」
「あの人、最近他に好きな女の人がいるらしいから。城を出て周りの目がないのをこれ幸いと、その人に会いに行っちゃったりしないようにさ」
―――
 あら、そうなんですか。と、パルティアは一拍遅れてうなずいた。
「では、お言いつけどおりにいたします」
「そんなにかしこまらないでよ」
 カシスは少し寂しげに笑って、パルティアを送り出した。
「気を付けて行っておいで」
「行ってまいります」
 パルティアは相変わらずだ。穏やかで、万事丁寧だが、それが却ってよそよそしい。パルティアが退室すると、カシスはため息をつきながら執務椅子に深く沈み込んだ。
 夕べは悪い夢を見てよく眠れなかった。夢の中でカシスは、あの日のようにパルティアに向かって激昂していた。
「君に僕の何がわかるって言うんだ!! シシスが死んでから今までずっと僕がどんな思いをして過ごしてきたか知りもしないで!!
 と、涙を流しながら、何度も同じようなことを怒鳴り続けた。一度堰を切ってしまうと簡単には止まらない。いきなり怒鳴りつけられて呆然としているパルティアが、次第におびえたように体を縮めていったのも面白くなかった。
 不思議と、涙がこぼれる度、大声を上げる度に、カシスの胸の奥にわだかまっていたものが少しずつ溶け出して消えていった。だから、やがてパルティアが耐え切れなくなって黙って部屋を出て行ってしまったとき、カシスはすでに自分の心のどこを探しても怒りが見つからないことに気付いていた。が、同時にパルティアを追いかける気力もなく、へたりと椅子に座り込むのが精一杯だった。
(パルティアに僕の気持ちをわかってくれという方が無理なんだ――だって僕も一度も話さなかったんだもの)
 と、今は思う。でも心のどこかで、肉親以上に親しく育ったパルティアにだけは何も話さなくても理解して受け入れてほしい、というわがままを捨てきれずにいるような気もする。
 カシスが執務椅子の上でぐったりと伸びていると、コッコッコッ、とせわしなくドアをノックする音が聞こえた。カシスは慌てて居住まいを正した。
「どうぞ」
「カシス、入るぞ」
 エスクであった。なぁんだ、と、カシスはまた椅子に沈んだ。
「なぁんだとはなんだ」
 エスクはカシスの机の前にやって来て、手に持っていた書類をそこに置くと、自分は正面のテーブルの椅子を引いて腰を下ろした。
「第四師団の救助活動の報告書だ。決裁頼むぜ」
「ああ、ありがとうございます。クレップスは今回の水害にも浮き足立つことなく、素晴らしい指揮をしてくれました。彼の指揮だったからこそ救われた命も多いでしょう。エスクさんからも彼にそう伝えてくれませんか」
「お前が直接言ってやる方がいいだろう」
「もちろんそれもするつもりですけど、でもあなたが伝えてくれれば、僕のような若輩者が直接褒めるのとはまた違った意味があると思います」
「へぇ」
 エスクは感心してカシスの顔をまじまじ見た。
「なかなか民草の心ってやつがわかってきたんじゃねえか?」
「受け売りみたいなものですよ、エディウス兄のね」
 エスクに褒められたカシスはくすぐったそうに微笑んだ。
「それにしても」
 と、エスクのいでたちに目を落とす。
 エスクは珍しく折り目の付いたトラウザーズを穿き、形の崩れていない上着を着ていた。靴も磨いてあるし、手首のカフスまでちゃんとそろっている。まるで紳士のような格好をしていた。
 カシスがそれをついそのまま口に出したので、エスクは口をとがらせた。
「まるでってどういう意味だ」
「いえその――今日パルティアと観劇に行くんでしょう? パルティアもさっき支度しに行きました」
「そう大っぴらに言うなよ。一応は公の用事でカイラスの教会を訪ねることになってるんだからな」
 エスクはパルティアを連れ、建前上は午後いっぱいを使って教会を訪問する予定になっている。建前上、というのは、決められた時間に戻りさえすれば、どういうやり方で予定を済ませても構わない、という意味である。
「だけどエスクさん、あなたこそ大っぴらに話を進めてきたじゃないですか。僕も意外でしたよ。何をたくらんでるんです?」
「さて。ときにお前とパルティアの方は、どんな様子だ? 相変わらずか」
「ええ――まあ、それは」
 カシスはうつむいて言った。
「エスクさん、今日はよろしく頼みます。パルティアを置いて一人で遊びに行ったりしちゃだめですよ」
「ん」
 と、エスクはごく短くうなずいた。


 正午過ぎには馬車が城を出発した。
 馬たちは磨き上げられ手入れが行き届いており、馭者が手綱を取ると静かに駆け出した。うらやましげな表情の門番たちに見送られ、エスクとパルティアを乗せた馬車はカイラスの市街地へ向かう。
 馬車の中で、エスクとパルティアは肩を並べて座っていたが、会話はなかった。お互い黙りこくっている。ただ、エスクの方は話の糸口を探しているようで、しきりと両手の指を絡ませたり、浅いため息をついたりしている。
 やがてエスクはこんなことを言った。
「あのときを思い出すな――
「あのとき、と言いますと?」
 と、パルティアが顔をわずかにこちらに向けて首をかしげた。
 パルティアは平時と同じく化粧気がなく、慎ましやかな身なりをしている。それでも今日はつばのない帽子をかぶり、シニョンに髪飾りを着けて、おめかししているらしい。ドレスも灰色がかった地味な色だがよそ行きと見える。
 そのドレスから石鹸か何かのいい匂いがした。エスクはそれをひそかにかぎながら言った。
「俺が故郷を去ったときのことさ」
「カシス様と私がクォーダへ帰ってきたときのことですね」
「あんたにとっちゃそうだな。あのときもこうして馬車に揺られてたっけ」
「ええ。兵士の目をごまかすためにエスクさんが私に無体を強いました」
 と、パルティアはどきりとするような物言いをする。
 エスクも負けずに言い返した。
「その分ちゃんとぶたれてやった」
「そうでしたね」
 パルティアは感慨深げに青い目を細めた。
「そんなに昔のことでもないのに、随分遠くへ来てしまったような気がします。あの戦争でカシス様もエスクさんも――殿方は皆さん一回り大きくなられたようですわ」
「あんたもそうだろう」
「戦争は女を育てはしません。育つとしたら、それは女の中の男の部分なんです」
「じゃあ、女はどうやって育つんだ?」
 とエスクは聞いたが、パルティアは答えてくれなかった。その代わり、ややあってから細い声で、
「私、待ってました。この間別れ際に、お話はまた今度にしましょうと言いましたから」
 と、言った。
 エスクは、ぼそりと謝った。
「すまん」
 会話はそこで途切れた。途切れたまま、馬車は予定より早く進んで、市街地へ入って行った。


 九時課の鐘より小一時間ばかり前に、エスクとパルティアは教会へ着いた。
 市街地の中に建つ立派な建物の前で二人は馬車を降り、敷地内に敷かれた石畳の道を伝って教会へ入って行った。
 大した用事があるわけではない。出迎えてくれた司教とエスクは寄付の話などをし、パルティアはじっと控えて待っていた。
 話が済むと、エスクは司教と別れ、パルティアと二人で裏手にある墓地へ向かった。裏の方に人気は全くと言っていいほどない。墓石の等間隔に並んだ墓地はひっそり静まりかえっている。
 その墓の多くが、先の戦争で戦死したクォーダの兵士のものであった。エスクはクォーダの参軍として、死地に送り出してしまった彼らの墓参りをした。
 エスクが先に立ち、パルティアはその後ろに従って墓地をぐるりと一周歩いた。入り口まで戻ってきたとき、初めてパルティアが口を開いた。
「それで、私はいつまで待てばよろしいんです?」
――すまん」
 と、エスクは前を向いたままで謝った。
「それは馬車の中でもお聞きしました」
 とパルティアは突っ込んできた。エスクは苦い顔になった。
「そっちこそ、俺に話しておきたいことはないのか?」
「これといってございません」
「カシスのこととか」
 とエスクが言うと、パルティアはつと足を止めた。足音が消えたのに気付いて、エスクも立ち止まり、パルティアを振り返った。
 パルティアは、いぶかしげに眉をひそめてエスクを見つめていた。
「カシス様からお聞きになったんですね?」
「軍師が主君の相談に乗っちゃいかんか? なあパルティア、あんたがその、なんだ、俺に体を許したのはそのせいなんだろ? カシスと上手くいかなくて――
「エスクさんはそうやって理由を作り上げるのがお上手ですね」
 というのがパルティアの返答であった。
 今度はエスクが怪訝そうな顔になった。
「どういう意味だ。俺の考えが違ってたか?」
「そうは申しません。確かにあの日の前日、私はカシス様に叱られて、ショックで、落ち込んでいました。誰かに、慰めてもらいたい気分になっていたかもしれません」
「その誰か﹅﹅がたまたま俺だったと」
「エスクさん、ああだからこう、と決められるようなものじゃありませんわ」
 パルティアは、ゆっくりとエスクのすぐそばまで歩み寄った。
「私はただ、私の心が動くのに従ったまでです。私の主は――カシス様を除いては――私の他にいないんです。理屈は私の主人じゃありません」
 エスクは、圧倒されたような気持ちでパルティアの言葉を聞いていた。
「わからんな――俺には」
「私はエスクさんのように難しいことを思案するのは不得手です。ただわかっていることは、カシス様に叱られて悲しかったことと、あなたが優しくしてくださって嬉しかったこと。抱いてもらった後は不思議と気持ちが落ち着いたこと。それくらいです」
「パルティア、俺のことが」
 エスクはパルティアに問わずにはいられなかった。
「俺のことが好きなのか」
 パルティアはしばし沈黙してから答えた。
「“友人”として、好きです」
「またそれか」
「だって本当にそう思ってるんです」
「普通、世間では友人同士ってのは体の関係を持たないもんだと思うが?」
「ええ、ですから」
 と、言いながら、パルティアはエスクの腕に触れてきた。捕まえておくように手首の辺りを両手でつかみ、指先にそっと力を込めた。
「私もまだ考えているんです。この奇妙な友情が一体何者なのか」
 一つわがままを言わせていただけませんか。とパルティアはエスクにねだった。
 エスクは、上着越しに感じるパルティアの柔らかい手の感触と、間近の息遣いに狼狽した。が、なんとか平静を取り繕った。
「言ってみろ」
「置いて行かないでください」
 そのパルティアの優しい声に、エスクはますますうろたえてしまう。まるで何も知らない若者のようにどきりと胸が高鳴り、それをパルティアに気取られまいとして余計妙な調子になる。
「な、なんだよその、置いて行くなってのは――
「だって、そのおつもりでしょう?」
「そのつもりと言われても」
 エスクには心当たりがない。
 パルティアは至極真面目な顔でエスクを見上げて、言った。
「この後、私を置いてどこかへ行ってしまうおつもりじゃありませんの?」
「ええ?」
「エスクさんが今日のことを城の皆にわざと触れ回るようにしていたのは、そういうことなんだと思っていました。皆エスクさんは私と一緒にいるものと思い込んでいるでしょう。エスクさんが本当は別の女の人と会っていても」
 それに、とささやきながら、パルティアはエスクの腕に身をすり寄せた。
「カシス様のお言いつけでもありますから――
 と言われて、エスクにもようやくピンときた。
(カシスのやつ、何か余計なことを吹き込みやがったな)
 そう苦々しく思った反面、パルティアが可愛くて可愛いくて仕方なくなった。
 エスクはその気持ちを言葉で説明したかったが、頭の中でどう語をつないでみても、上手く言い表せなかった。それで、代わりに身を屈めてパルティアにキスした。
「!」
 パルティアが驚いて体を離すと、エスクは引き寄せて、もう一度口で口をふさいだ。
「っ――い、いけません! 地位のある方がこんな場所で」
 と、パルティアはエスクを押し返し、叱るように言った。エスクは、へっと照れ隠しに笑い、
「育ちが悪いんでね」
「なんですか、急に」
「俺もあんたの流儀に倣って、俺の心に従ってみたまでだ」
 しかしなんだな、とぼやきながらしきりに手のひらで顔を撫でる。
「どうもむずがゆいな。行こうぜ、パルティア」
 とエスクは先に立って歩きだそうとする。
 パルティアはまごついて、その場に縫い付けられたようになっている。
「でも、エスクさん――
「俺はあんたを置いてどこへも行ったりしねえさ。カシスが何を言ったか、まあなんとなく予想はつくが、俺にだってあいつの知らない秘密の一つや二つはあんのよ」
―――
「俺の心にある女はあんただけだよ。今のところな」
 パルティアが白い頬にぱっと朱を散らした。それを隠すように右手を顔の前に持ってきて、しかしやり場に困ってうろうろさせている。
 そんなパルティアのうろたえた様が珍しくて、エスクは思わずにやけてしまった。パルティアがそれに気付いて口をとがらせた。
 エスクは意外なくらい優しい声で言った。
「今日のことを俺が城中で触れ回った理由は、あんたが考えてるよりもっとずっと単純だ」
「? といいますと?」
「誰にも俺たちの関係を知られたくない」
「だってあんなに公然と」
「あれだけ大っぴらにしておけば誰が本気にするもんか。まさか合意の上で寝た仲だとは思うまいよ。もしそれがバレたら、あんたはカシスの侍女じゃいられない。嫌だろ、俺の囲われ者になってカシスのそばを離れるなんて――
 パルティアは、おずおずと顎を引いて小さくうなずいた。
「俺も、こうしてせっかく一国の参軍に成り上がった我が身をそんな平凡な落としどころに収めたくねえんだ。ひどいこと言うようだが」
 万が一パルティアに責任を取れと迫られても承知しない、とエスクは宣言しているのであった。
 パルティアは心外そうに、
「私はそのようなことは申しません」
 と言った。
「“友人”に責任を迫るような不心得者に見えますか?」
――なるほど、確かに俺たちは、あんたの言う“友人”の間柄でいる方がいいのかもしれんな」
 エスクは少しずつ腑に落ちてきたらしい。
「ま、話はこれくらいにしようぜ。劇場に向かわねえと開演に遅れちまう」
 紳士のように自ら肘を差し出してパルティアに腕を組ませ、並んで歩きだした。馬車のそばで馭者が待っているから、それに見つからない短い間だけではあったが、触れている腕と腕のわずかな部分で、いくらかは心のやり取りがあったようにエスクは感じた。


 演劇は、いつの時代も人々の心を慰める最たる娯楽であった。こと先の戦争で疲弊しきったカイラスの市井の人々は、生活の充足とともにそういった娯楽を熱狂的に求めているらしかった。
 カイラス最大の劇場は三階建ての荘厳な建物で、観客席は一階の手頃なものと、二階三階のバルコニー席に別れていた。一階の方が満席で、バルコニーはむしろ空いていた。エスクは三階の端の方のバルコニーに席を手配していた。
 大きなホールの中央にせり出した舞台で幕が上がっていくのを、パルティアが物珍しげに見下ろしている。エスクはといえば、舞台よりもむしろパルティアを見ていた。
「私の顔をご覧になっても仕方ないじゃありませんか」
 と、パルティアは気が付いて言った。エスクは笑って、
「話の筋を知ってる芝居を観るよりよほど面白い」
「面白いと言われましても」
「あんた他の侍女と違って、仕事サボって芝居見物なんてしそうにねえもんなぁ」
「いたしません、そんなこと。堅いとお思いでしょうけど」
「いや、俺は好きだぜ」
 そのとき、舞台で最初の場面転換のために一旦全ての照明が落とされた。
 ふっ、と劇場内が闇に覆われる。
「きゃ――
 とパルティアがかすかな悲鳴を上げたのは、急に暗くなったせいばかりではなく、その暗闇に乗じてエスクが手を伸ばしてきたからであった。
「エ、エスクさん!」
「静かに。どこの席もこんなもんだ」
 照明が戻ってから、エスクは他のバルコニー席を指差して見せた。それらは貴族や資産家らしい身なりのよい男女客に占領されていて、確かに彼らも今のエスクたち同様、必要以上に身を寄せ合って座っている。
「金持ちってのはやーらしいよな」
 とエスクは底意地の悪い顔で言った。
 パルティアは、腰に回されたエスクの手が気になるらしく、何度も身じろぎした。
「今さら恥ずかしがることもないだろ、パルティア。こないだはもっとすごいことしたってのに」
「そういう問題じゃございません」
「そういう問題だよ。驚くほど大胆だと思ったら、やたらと恥じらったりしてよ、女ってやつは不思議だね。それとも、あんたが特別なだけかな?」
 パルティアの腰に置いた手の指がゆっくりとうごめいて、丈の長いスカートをたくし上げようとする。
「い、いけません」
 とパルティアがその手を押さえると、エスクは案外素直に引き下がった。腰から手を離し、その代わりパルティアの手に指を絡めて、広い掌でもてあそび始めた。

   * * *

「ずっと聞こうと思ってたことがあるんだ」
 と言って、エスクは手のひらにパルティアの手を握り込む。その手は小さくて柔らかくて、自分とは全く別の生き物のようだった。
「なんですか?」
 と、パルティアは小首をかしげてエスクの顔を見上げた。ホールの薄暗い明かりでエスクの目元や頬骨の辺りに落ちる影が深い。岩肌のような陰影ができ上がっていた。
 岩の中に埋もれた石英のように鈍く輝く双眸で、エスクはパルティアを見つめ返し、尋ねた。
「俺でよかったのか?」
「何がです?」
「何がってそりゃ――つまり」
「私がエスクさんに貞節な侍女の殻を破っていただいたことですか?」
 とパルティアは随分もってまわった言い方をした。エスクはうなずいた。
「知らなかったとはいえ突き破っちまったからなぁ」
「私にもどう破れたのかわかりませんでした。意外と、そんなようなものです」
「そんなもんかね」
「ええでも――どなたでもよかったわけじゃありません」
 パルティアは、エスクに握られている手の手のひらをエスクのそれと向かい合わせ、骨ばった指と指の間に自分の細い指を差し込んだ。
 エスクは手もなくどきりとさせられながら、それを悟られないようにできるだけのんびりと間延びした言い方をした。
「俺が言うのもなんだが、変わってるな、パルティア」
「そうですか? 初めて会ったあのときから先の戦争を過ごして今日までを思い起こせば――惹かれるなという方が無理な相談だと思いますけど」
「あんまり喜ばせるな。調子に乗るから」
 と口では言いつつも、エスクはパルティアの手を強く握り返して応えていた。
「エスクさんこそ――
 と、パルティアが、熱に浮かされたような、ぼうっとした声を出した。
「エスクさんこそ、よろしかったの?」
「俺?」
「はい」
「俺はまあ、男だから――
「殿方だから、誰でもお相手できると?」
――いや、違うな、言い直そう」
 エスクは、どこか気恥ずかしげな、しんみりとしたいい笑顔をパルティアに見せた。
「男ってやつはさ、たぶんみんな心のどっかでラデュスみたいになりたいと思ってんのよ。知ってるだろ? あいつがどういう男かさ」
「ええ――あんなふうにおなりになりたいんですか?」
「なりたくてもなれんよ。あれだけ単純に自由奔放でいられるってのはある意味才能だ。そう真似できない。並の男はたいていもっと複雑だからさ」
「ではエスクさんも複雑でいらっしゃるんですね」
「そ。誰とでも寝たいってわけじゃない程度には複雑なんだぜ」
―――
「あんたがよかったんだ」
 ただな、と語を継いだ。
「初めてなら初めてとそう言ってほしかった。教えてくれてりゃ、俺だって」
「我慢なさったかもしれない?」
 と問われて、エスクはにやりと口の端をつり上げた。
「いや、そりゃ無理だ。俺のこらえ性のなさは知ってるだろう。ただ、あんたが生娘だと知ってりゃ、もっと他にやりようがあったと思ってな」
「やりよう、と言われましても」
「パルティア」
 と、呼びながらエスクは、再び手のひらをパルティアの体に這わせ始めた。スカートの下で固く閉じ合わされている太ももを布越しに執拗に撫で、ささやく。
「痛かったか?」
――少しだけ、痛かったです」
「悪かったと思ってる。あのときは、あんたに優しくしてやろうって気持ちになれなくてよ」
「私の何がお気に召さなかったんです?」
「てっきり他の男に可愛がられてるもんだとばかり思ったからな」
「それで、ひどくなさったの?」
「うん」
 そのとき、眼下の舞台で二度目の場面転換があり、初めと同じように全ての照明が消された。
 パルティアが肩を強く抱き寄せられ、唇をエスクのそれでふさがれたのは、ちょうど劇場内が真っ暗になった直後のことだった。
 エスクは性急にパルティアの口を開かせようとしてきた。
「ん――!」
 無理やり舌をねじ込んだりはしない。パルティアの下唇に吸い付いて、その縁を舌先でそっとなぞる。
 パルティアがあえぐために薄く開いた唇の間へ、エスクが舌を忍び込ませたのと同時に照明が戻った。すぐにエスクは身を引いた。
「っ――
 むしろパルティアの方が未練ありげなため息をもらす。
 エスクが言った。
「やり直したい」
 パルティアの太ももに置いた手を、脚の間へ押し込もうとする。
 今度はパルティアが言った。
「や、やり直すというのは、つまり、あの、もう一度私を」
「抱きたい」
 パルティアのスカートの下で、左右の膝と膝がもじもじとすり合わされた。
「エスクさん、私、たぶんエスクさんが思っているほど痛かったりつらかったりしたわけじゃありません。あのときのことはあのときのことで、私にとっては思い出です。今更書き換えられるようなことじゃございません」
 でも、と声を震わせる。
「エスクさんがもう一度と仰るのなら――
「なら?」
――どうぞ」
 パルティアがスカートの下でわずかに脚を開いたのがエスクにはわかった。その証拠に、エスクの手はパルティアの脚の間までするりと進入を許されて、付け根の方へせり上がっていく。
 指先が頂に届くと、パルティアは身を震わせて快楽を享受した。ドレスの厚い生地越しの愛撫が優しく女の部分を責め立てた。雌蕊の辺りをさすられていると、身動きができないほど感じて、声を出さずにあえぐので精一杯だった。
「パルティア、舞台でもうすぐ三度目の場面転換があって、その後楽団の演奏が入る」
 と、エスクはパルティアに耳打ちした。エスクも興奮を隠せずに声をかすれさせていた。
 エスクの言うとおり、じきに三度目の場面転換があった。暗闇の中で、パルティアはこらえきれず前のめりに身を折って快感に溺れた。
 薄暗い照明が戻ると、舞台袖で楽団による歌曲の伴奏が始まる。劇場内が管弦楽器の華やかな音に包まれた。パルティアは、それにまぎれて初めて甘い声を上げた。
 人差し指で雌蕊の先をくすぐられて、新しい快感にわななきながら、
「あぁだめ、これ以上は――!」
 と、パルティアは、脚の間で不埒な動きを繰り返すエスクの手を両手で押さえた。
 エスクが低い声で言った。
「イきそうか?」
「し、知りません!」
「知らないなら止めなくてもいいだろ?」
 なおも愛撫を続けようとするエスクの手を、パルティアは両脚で挟み込んだ。脚を閉じている方が余計気持ちよかった。
「エスクさん――意地悪しないでください」
「したくなるんだよ、あんたが可愛いから」
 ビクン、とパルティアの体が大きく震えたのがエスクにはわかる。そろそろ潮時かな、と思った。
 エスクはパルティアから離れた。
 拍子抜けしたような顔をしているパルティアの手を取り、
「行くぞ」
 と言った。
「ど、どちらへ?」
「いいとこ」
 エスクは下心を隠さずに笑った。自信ありげな、鷹揚に構えた小憎らしい顔になっている。パルティアは圧倒されてしまって、手を引かれるままに椅子から腰を上げた。
「で、でも、エスクさん」
「なんだよ」
「お芝居は――
「最後まで観たかったか?」
「そうじゃありませんけど――その、帰城してから、カシス様や侍女仲間にお芝居がどうだったか聞かれたときになんて答えたらいいか」
「それなら俺が後で筋を教えてやるから」
「あの、エスクさんはご覧になったことがあったんですか? このお芝居」
「いや?」
「だってお話をご存知だったり、さっき場面が変わるときも」
「デキる参軍は何事もちゃんと予習しておくんだよ、こういう不測の事態に備えてな」
 とエスクは言って、いい顔で笑った。


 エスクはパルティアを連れて劇場を出ると、すぐに小さな辻馬車を捕まえて、繁華街の方へ向かうよう頼んだ。馭者の青年は、慣れた調子で、
「そちらのご婦人のご趣味に合うような品のいい宿を紹介いたしましょうか?」
 と申し出、言外に口止め料としてチップの上乗せを要求してきた。エスクは馭者の望むとおりに払ってやった。その金離れのよさを見てか、馭者が二人を連れて行った先は、比較的閑静な場所に建つ、その手の宿にしては上等なところだった。
 二人用のベッドと、小さなテーブルがあるばかりの部屋であった。
 テーブルの上に、パルティアのドレスと、エスクの上着やトラウザーズが脱いだ形のまま折り重なっている。帽子や、髪飾りやカフスもその上に放り出してあった。
 ベッドの上でパルティアの下着を脱がせ、脚を開かせて、その間をエスクは遠慮なくのぞき込んだ。
「きゃ――いやっ!」
 パルティアがばたつかせた足の踵が危うくエスクの顎に直撃するところだった。
「っとと、危ね」
「もう、見ないでくださいそんなところ!」
「見たいんだよ――すっげぇ濡れてんな。劇場で、誰に見られてるかもわからない場所でイタズラされてそんなに気持ちよかったのか?」
 エスクは、返事は期待せずに、パルティアのお腹の上に乗りかかった。
 身を屈めてパルティアにキスした。パルティアも素直に応じて、深いところまでエスクの舌が入ってくるのを許した。
 手と手が触れると、当然のように指が絡み合う。エスクはパルティアの唇の他にも耳たぶや首筋や鎖骨の辺りまでキスした。
「エスクさん――
「ん」
「だ、誰かに見られてるかもしれないから、その、気持ちよかったわけじゃありません――
 と、パルティアがか細い声で言った。
 エスクは急ににやけて締りのない顔つきになり、
「じゃ、どうしてこんなにグショグショに濡らしてんのかね」
 とからかい、愛情のこもったキスでパルティアの口をふさいだ。パルティアがあえぐ度にゆるやかに上下する胸元へ右手を滑らせ、乳房を掌へ収めた。人差し指と中指の間で硬くとがってきた乳首を転がしてやると、体の下でパルティアが身をくねらせたのがわかる。
 パルティアはエスクの首の後ろに両腕を回そうとした。しかしエスクはそれから逃れるように、喉、胸元、お腹の上とキスしながら下がっていく。
「あ――
 エスクの息が脚の間にまでかかり、パルティアは羞恥心がこみ上げて、血の上った顔を寝床にうずめてしまいたくなった。
「パルティア、隠すなよ」
 と、エスクがパルティアの太ももに頬をすり寄せながら言った。
「だって恥ずかしいんですから」
「その恥ずかしがってるところが見たいんだって」
――やっぱり意地がお悪いですね」
「なんとでも言え」
 と笑い飛ばし、パルティアの手を取ってなだめるように優しく握った。
「俺のせいでここがこんないやらしいことになってるんだと思うと、こう、たまんねえよなぁ」
「もう、エスクさん」
「うん」
 濡れそぼった女の部分にエスクは唇と舌を押しつけて、左右のひだをゆっくり割り開くように舐め上げてくる。
「あぁだめ――だめですってば――!」
「ダメじゃないだろ」
 舌先が一番上の突起に届く。ちゅっと軽く吸い付いて、それを何度か繰り返す。
「っあ、あぁっ! ああぁっ! あっ――!」
 パルティアはとろけるような声を上げた。そんなふうにあられもない媚態をエスクに見せることができるのは今が初めてであった。
 エスクの舌の上で敏感な突起を転がされ、パルティアは身悶えして甘い刺激に翻弄された。
 エスクは指も使って硬くふくらんだ突起をもてあそんだ。ごく優しく突起の頭を撫で、その指を下の方へも滑らせて、おびただしい愛液に濡れたところをかき回す。
 パルティアが精一杯愛撫に応えようとしているのがいじらしい。
「あっあっ! あ! あっ! エスクさん――エスクさん」
「そんなに呼ばれると俺も穏やかじゃいられねえんだが」
「だ、だって、あっ――お上手なんですもの。我慢できません」
「お褒めに預かって――
 エスクはにやけながらパルティアの乳房へも手を伸ばした。同時に口での愛撫も再開して、上下の突起を一緒に転がした。それがパルティアにはひどく淫らなことをされているように思えた。
「あぁもう、もう、あぁっ――!」
 やがて腰を浮かせるほど感じて快楽に溺れたパルティアを、エスクは押さえつけて、下の突起に愛情を込めてしゃぶり付いた。
「ああぁっだめ! あん、だめ――んんんんっ!!
 エスクが離れても、パルティアは絶頂の余韻だけで艶かしくお尻を揺らしていた。
 一応エスクはパルティアに、
「いったよな?」
 と聞いてみた。パルティアは気恥ずかしそうにうなずいた。
「たぶん」
「そうか」
 と、エスクは単純に喜んでいるらしい。自惚れた笑みを浮かべ、パルティアを抱き寄せた。パルティアもエスクの背に両手を回して言った。
「話に聞いて想像していたより素敵でした」
「どんな話だよそれは」
「侍女仲間にそういう話を聞かされることもあるんです」
「へえ。あんたも仲間に話すのかい?」
「話しません。どこから何が伝わるかわかりませんもの――でも、話したくなる気持ちは多少理解できました」
 パルティアは、自分からエスクの唇を奪い、思い切って体の方にもキスを降らせた。
「初めてですから上手にはできないと思いますけど」
 と、パルティアは言いながらエスクの下半身の方まで下りていく。
「私もエスクさんにして差し上げても構いません?」
――構う男がいたら見てみたい」
 という言い方をエスクがしたのは、照れ隠しのようである。
「いやその、別に無理しなくていいんだぜ、パルティア」
「無理をしているつもりはありませんわよ」
 パルティアは、エスクの腹の上にうずくまって、そり返ったぺニスにおもむろに指を絡めた。いかにもそうしやすそうな形なので、上下に撫でてみると、エスクがたまらなそうに息をつく。ついでにぺニスもひくついた。
「エスクさんも感じていらっしゃる?」
「ああすごく」
 パルティアは嬉しそうに目元を細め、指の動きに熱を込めた。
「っく、パ、パルティア、ちょっと待てそれは」
 とエスクはたちまち暴発しそうになって、慌ててパルティアの手を押し止めた。パルティアは小首をかしげ、
「いけませんでした?」
「いきそうだったんだよ、俺のはそんなに引き金が固くないもんで」
「じゃあ、もっと優しくしますから――
 と、パルティアはエスクがぞくりとするような艶っぽい声でささやき、ぺニスに唇を近付けてくる。ちろりと舌先を出して、裏側を丁寧に舐め始めた。根元の辺りから次第に先の方へ上っていく。
「そういうやり方も侍女仲間から聞いたのか?」
 とエスクはパルティアを見下ろしながら尋ねてみた。パルティアが、こくんと小さくうなずいた頭の動きだけが見えた。
「ええ、少し」
 侍女というのは何でも知っているものらしい。エスクは感心してしまった。
 手を伸ばし、パルティアの前に垂れた髪をかき上げる。
「顔見せてくれ」
「やっぱりご覧になりたいんですか?」
「ああ」
 パルティアはエスクの見ている前でペニスへ舌を這わせ、唇を押しつけてくれた。
「っあ、いい――上手いな」
 と褒めると、パルティアが娘のようにはにかむのが可愛い。
 パルティアは気をよくして口にくわえてもくれた。自分の限界まで屹立したものがパルティアの小さな口を出たり入ったりする光景に、エスクはうめき声をあげた。
「すっげぇいい眺めだな」
「もっと上手なら楽しませて差し上げられたんでしょうけど」
「いやすぐそうなりそうだ」
 エスクはパルティアの耳の後ろの髪を撫で、自らゆるゆると腰を上下させた。そういう動きに感じるのだと、パルティアは察して懸命に愛撫してくれる。
「っ、あ――あーいい――
 とエスクが満足げに反応するとパルティアも嬉しそうだった。
 エスクのうめき声がだんだんと差し迫った調子になり、不意に体を起こしてパルティアをいささか強引に抱き寄せた。体の上下を入れ替えて、パルティアの脚の間にペニスを押しつけてくる。パルティアがわずかに緊張したあえぎ声をもらす。
「あっ――
 まだ入ってはこない。が、割れ目に触れたペニスはいかにも物欲しそうにそこへこすり付けられた。
「パルティア――
 と、エスクは愛おしそうにパルティアの名前を呼んで、キスして、体中に両手を滑らせた。脚の間にも触れて、指が中まで入り込む。きゅ、とエスクの指を締め付けてきたそこは十二分に濡れていた。
「痛くないか」
 と聞いてみると、パルティアはかぶりを振り、
「平気です」
 エスクの肩へ両腕を回してしがみつく。もっと、とキスをせがんだ。
 エスクはパルティアの望むとおりにした。キスしながらパルティアもエスクの愛撫に精一杯応えてくれた。
「んっ! んんっ! んーっ!!
 何度もお尻を突き上げるようにしてエスクの指を締め付ける。身も心もお互いに投げ出し合った交わりに二人とも溺れた。
「いいよな?」
 とエスクはパルティアの耳元で優しく聞いた。
「エスクさん、私――
 と、パルティアは何か言いかけた。
「うん」
「私、あの、他の人じゃいやだって――この間も」
「知ってる」
 と、エスクは小憎らしい返事をして、パルティアの脚の間に体を沈めた。ペニスに絡み付いてくるような愛液と肉襞の感触にたまらずあえぐ。パルティアはそれをなだめるように、エスクの背中を抱き締めた。
「まだ痛いだろパルティア」
「大丈夫」
 でも、と言い添えた。
「できれば優しくしてください――
「努力はする」
 エスクはゆっくり動き出した。
 ベッドの脚が船の魯のような音を立てた。波間の漂着物のように、エスクは寄せては引いて動いた。
「あっ、あっ――
 とパルティアもそれに応えた。少しでもエスクが喜ぶならと健気に腰を揺すり立てた。
 寝床に広がったパルティアの金髪と、それに豊かな胸元がゆったりと波打つ。エスクはその乳房へ手を伸ばした。
 エスクの手の中で柔らかい乳房がこねられ、揺さぶられて形を変える。人差し指と中指の間にとがった乳首が触れる度、パルティアは甘い声をもらした。
「あ、あぁっ! あっ! あんんっ!」
 エスクも息が上がっていた。
 パルティアの媚態を見下ろして、ふと、
(俺は本気なのか?)
 と考えた。本気だと思った。遊びでこんなふうに抱ける相手じゃない。ただ、昔惚れた娘とはあまりにタイプが違うから戸惑うのだ。
(俺も歳食ってきたってことかね――
 エスクはパルティアの左右の手を握って、それぞれしっかり指と指を絡め、寝床へ押しつけた。
 パルティアもエスクの手を痛いほど握り返しながらあえいだ。
「エスクさん」
「うん?」
「もっと、あっ、お好きなようになさって構いませんのよ――あのときみたいに」
「あのときみたいに、後ろから突かれるのが好きか?」
「ちっ、違います私はそんなこと!」
「パルティア」
 エスクはかすれた声で最愛の友人の名前を呼んだ。
「この先俺がどう転んだとしてもあんただけは――
 エスクの言葉はそこで途切れてしまい、あとは互いに快楽を貪り合った。優しくする余裕も次第になくなり、エスクは激しくパルティアを求めた。後ろからも突いた。
 パルティアはそれを余さず受け止めてくれた。
「はあぁっ、ああぁっ! あああぁっ!!
 寝床へ全身を預けてビクビク震え、ひときわ強く締め付けてくるパルティアの中を夢中で突き上げてエスクは達した。気の遠くなるような絶頂が過ぎ去って呆けたようになっていたところを抱き寄せられ、パルティアが満ち足りた表情で身をすり寄せて来た。それが可愛かったから、エスクはなすがままになっていた。
 夕刻まではまだ少しばかり時間がある。部屋の窓に日が掛かるまで、と決めて、二人は細々と寝物語をした。


 パルティアはベッドの縁へちょこんと腰掛けて、髪を直した。
 エスクはシャツとトラウザーズだけは身に着けていたが、まだ寝床で伸びている。パルティアを見上げて、劇場で上演されていた芝居のあらすじを話して聞かせているところだった。
――というわけで、騎士は醜い化け物をめとったんだ。婚礼の場面の歌唱は素晴らしいぜ。声量があって声の伸びも抜群で、稀代の女優にして歌姫の――
 とエスクはまるで自分の目で見てきたように語る。
「騎士の方の俳優はどんなお方です?」
 とパルティアは口を挟んだ。
「侍女仲間に俳優好みの者がおりますから、必ず聞かれます」
「新進気鋭の若手の二枚目で――名前は何だったかな」
「女優のことはあんなに詳しくご存じでしたのに」
 エスクもまだまだ詰めが甘い。
 エスクは肩をすくめて苦笑いした。パルティアは続きをうながした。
「それで、お芝居の筋はその後どう進むんです?」
「騎士と化け物は初夜を迎えるわけだが、騎士としちゃまあ気乗りはしないわな。それで床に入る前さめざめと泣いていたところ、ふいに花嫁が声をかけてきた」
「化け物は実は美しいご婦人で、呪いによって醜い姿に変えられていた、とか、そんなようなお話ですか?」
「まあそういうこと」
「それで?」
「で、花嫁の呪いは夫を得ることで半分はとけたんだが、もう半分が残ってる」
「半分?」
「半分というのはつまり、昼か夜のどちらかだけ元の美しい姿に戻り、もう半分はやっぱり醜いままでいなきゃならないってことだ。これを夫が選ばなくちゃならん。昼間美人なら花嫁は人前で恥をかかずに済むが、夜の生活は夫にとっちゃきつい」
「逆なら、昼間花嫁はつらい思いをして、夜に夫だけが妻の美しさを楽しめるというわけですね」
「それを夫にどちらか選べというわけだ」
「どちらを選びます?」
「俺が選ぶみたいな聞き方するなよ」
 エスクは、ふんと笑い、
「結論から言えば騎士はどちらも選ばなかった――正解は用意された選択肢にはなかったってことさ」
「つまり?」
「つまり、騎士はこう言うのよ『貴女が選びなさい。私は貴女の意志を尊重します』ってな。そしてそれが、花嫁の呪いを完全にとくための言葉だった。呪いがとけた花嫁はすっかり元の美しい姿に戻り、夫と幸せに暮らしました、と。いやこの花嫁役の女優がな、舞台で化け物姿から花嫁姿に早変わりをするんだが、それがまた見事で――
 と、蘊蓄を垂れ出そうとするエスクを遮って、パルティアは念を押した。
「それで終幕ですのね?」
「ああ」
「わかりました。城へ戻ってからカシス様や仲間に話すことを考えておきます」
「ま、上手くやってくれ」
 にやけながらエスクはベッドの上に体を起こした。いささかしわの寄ったシャツを伸ばし、パルティアの横ににじり寄って来る。
「手伝おうか?」
 と、パルティアの髪へ手を伸ばす。金髪をまとめた柔らかいシニョンの根元を押さえてやった。パルティアはお礼を言って、髪へ器用にピンを挿した。
 パルティアは鏡の前で髪の形を確かめ、シニョンへ髪飾りを着けた。着けながら言った。
「エスクさんこそ、カシス様に何と申し開きなさるおつもりです?」
「俺か? 俺は正直に話すまでさ」
 パルティアがとがめるような目でこちらを振り向いたが、エスクはにやにやしているばかりである。
「城を出てから帰るまでずっとパルティアと一緒だった。パルティアを一人置いて遊びに行ったりなんか誓ってしてない。それが真実だろ? ただまあ――カシスは信じねえかな。ラデュス辺りも」
「そのときは?」
「そのときは、イイ女とイイことして来たとでも言うかね、正直に」
「エスクさん、面白がっていらっしゃるでしょう」
「へへ――亜麻色の髪に碧眼のとびきりイイ女だって話してやるか。可愛くて、聡明で、ベッドでは情熱的で――
「話せば話すほど、まさかその金髪碧眼が私のことだとは思われないでしょうね」
「そうかな? それなら俺としちゃ好都合なんだが」
 エスクは、さっきの芝居の話を引き合いに出して、こう続けた。
「芝居の騎士はよくできた男だから妻に選ばせたわけだが、俺なら絶対に、夜だけ妻がきれいな姿でいるのを選ぶぜ。好きな女の本当の姿なんて自分だけが知ってりゃいいのよ」
「またそんな身勝手な」
「性格に難があるからな」
 エスクはようやくベッドから腰を上げた。
「さぁて、そろそろ劇場に戻って馭者を呼ばねえと」
 エスクが上着に腕を通そうとしたところへ、パルティアはさっと手を貸してくれた。いやらしい感じはせず、侍女の習慣としてそうしたらしい。
 エスクは上着のボタンを留めてから、ふと思い出したように、
「そうそうパルティア、帰ったらカシスに優しくしてやってくれよ。あいつ相当気に病んでるようだぜ。どうもあんたがよそよそしいって」
「私はそんなつもりはなかったのですけど――そうですか、カシス様が」
「あんたの気持ちもわからんではないがな。だいぶつらかったかい、カシスに叱られて」
―――
 パルティアは少し口ごもったが、それでも気丈に答えた。
「エスクさん、さっきおっしゃいましたね、お好きな女性の本当の姿は、ご自分だけご存知ならいいと」
「言った」
「お芝居では美しい姿が本当でしたけど、現実の世の中では逆かもしれません。人前では外見を飾っていても、中身は醜かったり、情けなかったり」
「それでも俺の考えは変わらんさ。醜かろうが情けなかろうが、本当のところは俺だけが知りたいね」
 何が言いたい? とエスクはパルティアの顔をのぞき込んだ。
 パルティアは、エスクが拒まないのを確かめた上で言った。
――私は、たぶん、カシス様や――誰かに必要とされたくてされたくてたまらないんです。だからつい、人を子供扱いして、自分は大人ぶってしまうんです。そのくせ、そういう自分の気持ちを情けなく思っていて、拒まれないとわかった上でないと話すこともできないんです」
「ふうん、意外と臆病なんだな? パルティア」
「はい――
 パルティアは不思議と落ち着いた気持ちで、しゃんとして立っていた。エスクが、内心はわからないが、鷹揚に構えて見せてくれているからかもしれなかった。
「俺から言わせてもらえば」
 と、エスクは切り出し、
「少なくともカシスがあんたが必要としなくなることはないと思う。心配いらんよ」
 とパルティアを慰めた。根拠はないが自信ありげである。それに、と続けた。
「別に子供ばっかりがあんたに甘えてるわけでもない。大人にだってあんたが必要な人間はいるさ。一番つらくて苦しかったときに、あんたがそばにいてくれて首がつながったってヤツを俺は知ってる」
「どなたですか?」
 パルティアはきょとんと首をかしげた。
 エスクもきょとんとした。てっきり、パルティアは皆まで言わずとも察してくれるものと思っていたらしい。それで、仕方なく、
「クォーダって小さな国の軍隊で参軍をやってるエスク・ガノブレードって男だよ」
 と照れくさそうに、間の悪い調子で言った。
「あんたの奇妙な友人のさ」

(了)