逢瀬

「パルティア、どこか具合でも悪いの?」
 と、ふいにカシスが言った。パルティアが器に注いでくれたホットワインを受け取って、そのすぐ後のことだった。
 カシスの寝室は暗く、最小限の明かりしかない。カシスは目を凝らして、長椅子のそばに控えている気心の知れた侍女を見つめた。一見、ぴんと背筋を伸ばして立っているのだが、カシスにはなんとなく、いつもと様子が違うように思えた。ほとんど勘に近い。
 パルティアは慎ましい所作でかぶりを振った。
「いいえカシス様、どこも」
「本当に? 無理しなくていいんだよ?」
「ありがとうございます。私は大丈夫ですから」
「パルティアがそう言うなら――
 とカシスは引き下がったが、他ならぬパルティアのことである。心配でその晩はあまりよく眠れなかった。


「悪いのは脚か?」
 と、パルティアは廊下で急に声をかけられて、つと足を止めた。振り返るとエスクが眠たげな顔で立っていた。
「エスクさん――
 エスクはつかつかと歩み寄って来て、パルティアの目の前で止まった。
「ケガでもしたのか?」
「いえ――
 パルティアはうつむきがちに小さく首を振り、
「大したことはありませんから」
「俺はカシスみたいに簡単に引き下がらねえぜ」
 へっ、とエスクは肩をすくめて見せた。
「ま、だからこそカシスも俺に頼んだわけだがな。あいつは、やっぱりどうもあんたには強く物を言いにくいらしい。頭が上がらないんだな」
―――
 パルティアは、ぷいときびすを返して歩きだした。
 エスクも後をついて来る。
「どこまでついていらっしゃるおつもりですか?」
「さて。学友の頼みごとが解決するまでかな」
「この先は身分の高い方がお入りになる場所じゃありません」
「高いのは背だけだよ。天井の低いところなら止めとくがね」
 のらりくらりとかわされ、エスクは始終パルティアにくっついて、あろうことかついには洗濯室の中にまで踏み込んで来た。
 パルティアが洗い場の脇に積まれた洗濯物の山を一つ一つ確かめ、衣類の枚数を数えているそばで、エスクはその仕事を眺めたり手伝ったりしていたが、あるときふと部屋の外へ目を遣った。戸口は開け放してあった。
 そして急に、にやっといやらしく笑い、パルティアの腕をつかんで、
「おい隠れろ」
 と、半ば無理やりに、道具棚の陰へ彼女を引っ張り込もうとする。
「きゃっ!! いやっ、離してください! 人を呼びますよ」
「静かにしろって。面白いもんが見れそうだ」
「何の話です?」
 エスクが、棚の隙間をそっと指差す。パルティアはうながされるままに、そこから洗い場の方をのぞいた。
 戸口の先、廊下の奥から、一組の男女が人目をはばかるようにしてこちらへやって来るのが見えた。女の方はパルティアと同じように侍女のお仕着せで、男の方は下級兵らしい。
 洗濯室の前まで来ると、侍女の方が中の様子をうかがい、誰もいないと見ると男を引っ張り込んだ。
「今なら誰もいないよ。さ、早く」
「こんなことが陛下付きの侍女にばれたら、また怒られるんじゃないのかい」
「いいのよ、あんなヤツ。新しい陛下のお気に入りだか何だか知らないけどさ、長年この城に仕えてるあたしたちを差し置いて偉そうにしちゃって――ほら、ぐずぐずしないで」
 侍女は部屋の戸を閉め、外から開けられないようにつっかえ棒までした。
 男の首根っこにしがみ付いてキスしたかと思ったら、早々にお仕着せのスカートとエプロンをまくり上げ、男に背を向けて、手近なテーブルにうずくまった。
「触ってよ――濡れてる?」
「うん、濡れてる」
「ああ、そこ――
 侍女は男の名前を呼んで身をよじる。しかし男の方は、どうも今ひとつ気が乗らないように見えた。
「なあ、やっぱりこんなところで――万一陛下の耳に入ったらと思うと俺――
「何言ってんのよ、こんな逢引よりよっぽどまずいことあんた山ほどしてるじゃないの。こないだも、軍から支給された新品の鎧や服、手袋に靴下まで博打のために質草にしちゃってさ」
 それに、と続けて言った
「もしパルティアにばれたとしても平気よ。あいつにはみんなでお灸を据えてやったもの。しばらくは大人しくしてるでしょうよ」
 棚の陰で、パルティアは、部屋の隅の一点をじっとにらんでいた。
 エスクが何か言いたげな流し目を寄越してきたが、取り合おうとしない。
 やがて洗い場の方から交歓の息づかいと物音が聞こえてきた。男の様子からして、さして長くはかからないであろうと思われた。
(さっさと済ませてちょうだい。仕事にならないじゃない)
 と、パルティアが内心考えていたちょうどそのときだった。
 いきなりエスクが手を伸ばしてきて、
「なあパルティア――
 声をうんとひそめてささやきながら、その手をパルティアの腰へなれなれしく回した。思わず悲鳴を上げそうになったパルティアの口を反対側の手でふさぎ、抱き寄せる。
「人様のをただ聞いてるだけってのもつまらねえだろ」
――!!
 エスクの手が、遠慮のかけらもなく腰からお尻の上を越え、太ももまで降りてくる。スカートをたくし上げられる感触があって、パルティアは口をふさがれたまま「嫌だ」と首を横に振ったが、エスクが手を止める気配はない。
 パルティアの膝の辺りまでスカートの裾を持ち上げ、エスクはまじまじとその白い脚に見入った。
(あぁっ! いやっ)
 エスクの手がスカートの中まで忍び込む。
 長い指のごつごつした関節が肌をかすめ、膝の内側に指先が触れた。何かを探してでもいるようにゆっくりとその辺りを這い回り、次第に足の付け根の方へせり上がってくる。
(やめて、それ以上は――!)
 エスクの手は焦らすように太ももの上を行ったり来たりする。
 膝より少し手前の、内もものある部分に触れたとき、
!!
 パルティアの体が急に跳ね上がり、エスクの胸板に押しつけられた。
――この辺か」
 と、エスクはほとんど息の音だけでささやいた。指が優しく慰めるような動きになった。
 パルティアはきつく目をつぶり、歯を食いしばってこらえた。
 洗い場から聞こえる女の声が、いつの間にか随分あられもないものに変わっていた。男の方も息が上がって、それから十数えるほどももたずに事を終えたようであった。
 二人は睦言もそこそこに衣服を直して出て行った。
 仲良くくっついた後ろ姿は、廊下の奥の丁字路で名残惜しそうにそれぞれに別れて消えた。そこまでをエスクは棚の隙間から見届けて、それから、けけと品のない笑い声を上げた。
「あの女、絶っ対イッてなんかなかったのにな、男があれだけ早いんじゃ。でもまあ、サービスしてやりたいほど惚れてるってやつかね――痛っ!!
 パンッ!!
 と小気味のいい音を立てて、パルティアの右の平手がエスクの左頬に力いっぱい叩き付けられた。
「おお痛え、相変わらずいい右ストレート持ってるなぁ、あんた」
 とエスクはあきれるほどのん気な調子で、殴られた頬を撫でた。体が自由になったパルティアがそそくさと離れ、身を硬くしてにらんできても、別に気にしている様子はない。
 パルティアは、怒りのせいか、それともショックだったからか、言葉が出てこないらしく、口を固く結んでしきりにお仕着せのスカートの裾を押さえている。といって人を呼びに行くようなそぶりも見せないので、エスクは、
「へへ」
 とだらしなく笑い、言った。
「パルティア、その太もものケガ――膝まで見えてた痕からすると火傷かな。侍女仲間に火かき棒でも押しつけられたか? 痕でも残ったら大事だぜ。ちゃんと医者に見せるって約束するなら、カシスには黙っておいてやるよ」
―――
 パルティアは目を大きく見張ってエスクの顔を見上げた。そして、はっと何か悟ったように、淡い色の唇を薄く開き、
「さっきのことはその、そういうことでしたの?」
「悪かったな。痛かっただろ、傷に触ったから」
「い、いえ――
「あんたに『脚に私刑されたケガがあるんだろう見せろ』なんて言ったら余計かたくなに拒まれると思ったんでね」
 それにしてもひでえことしやがる、とエスクはぼやいた。
「女は怖いな。大丈夫なのか、これから。何か助けがいるようなら、俺からカシスにでも――
「それには及びません」
 パルティアはエスクが思っていたよりずっと落ち着いており、凛として言った。
「これは私たち侍女の戦いなんです。ここでは新参者同然である以上、避けられないことですから。たとえカシス様であっても口出しは無用です」
――ま、あんたなら大丈夫だろうと俺は思ってるがな。案外、したたかだもんなぁ? パルティア」
「からかわないでください」
「別にからかってるつもりはないが。口出しは無用だと言ったな、献策もダメかね?」
「献策?」
「戦いだってんなら、策は不可欠だぜ」
 エスクは棚の陰から洗い場の方へ出てくると、さっきまで侍女と下級兵が絡み合っていた辺りを調べ始めた。
「何か逢引の証拠でも落としてくれてりゃ楽だが、そこまでマヌケでもないか」
 にやり、と底意地の悪い笑みを浮かべる。
「まあいい、やりようはいくらでもある。パルティア、任せてくれるな?」
 エスクから少し離れて様子を見ていたパルティアは、しばし思案したのち、
「お任せします」
 とうなずいた。
「お礼が必要でしょうね?」
「そうさな、俺の質問に一つ正直に答えてくれればそれでいい」
「? 質問というのは?」
「いやなに、大したことじゃない――あんたも、さっき俺に触られて少しは感じて濡れたかい?」
 パルティアは、つかつかとエスクの眼前まで歩み寄ると、抜群のキレの平手打ちを再びエスクの左頬に食らわせた。そして、二回目にはさすがに悶絶しているエスクを一人残して、さっさと仕事に戻っていった。


 後日、侍女が一人城を去ったとの知らせがエスクの耳に入った。
 些事ではあったが、城の主であるカシスにまで話は伝わっているらしかった。
「例の侍女の一件、エスクさんが一枚噛んでるんですって?」
 と、カシスは執務室でエスクと二人きりになった隙を見計らって問いかけてきた。エスクは行儀悪く机に足を投げ出して本を読んでいた。カシスはエスクの背後に身を寄せて言った。
「パルティアから聞きましたよ」
――カマかけてるんじゃねえだろうな?」
「そんなことしませんてば」
「どうだか。お前も近頃は随分知恵が付いてきたからな」
 へっ、とエスクは笑い、読んでいた本を膝の上へ下ろした。
「パルティアから聞いたってんなら、もう話してもいいってことかね」
 エスクはカシスに事の一部始終を話して聞かせた。
「僕の知らないうちにそんなことが――でもエスクさん、証拠もないのにどうしてその侍女の逢瀬を告発できたんです?」
「戦略において証拠は作る﹅﹅ものだぜ、陛下。相手の兵士が相当な博打打ちでな、軍の支給品まで質に入れてやがった。それを請け出してきて、手頃な小物を証拠品に仕立てさせてもらったわけよ」
「逢瀬の現場に落ちていたことにしたんですか? でも、兵士だってさすがに仕掛けに気付くでしょう」
「気付いていてヤツは情婦を売ったのさ。売らざるを得なかった、というべきか。兵士の立場からすりゃ、侍女の一人や二人手を付けたところでせいぜいきつく叱られるだけだが、軍の支給品を質に入れたなんて表沙汰になりゃもっと厳重な処罰を受けるからな」
「ひどい話ですね」
「悪いことをする方が悪い」
 いけしゃあしゃあとエスクは言って、眠たげに大あくびをした。が、直後カシスの言葉で急に目が覚めたらしかった。
「エスクさんも、パルティアを万が一にでも解雇することになるような行為は慎んでくださいよ。まったく、いやらしいことばっかりするんですから」
「パルティアはそんなことまでお前に話したのか!?
――やっぱりパルティアに何かしたんですね? もう、信じられない」
 カシスはあきれた顔でため息をつき、汚いものから目をそらすようにしてエスクのそばを離れた。
 カマをかけられたのだ、とエスクがようやく気付いて、
「くそっ」
 と、口をとがらせる。カシスはいささか貫禄の出てきた身ごなしで、自分の執務椅子に深く身を沈めたところであった。

(了)