雨降って

「ほら、蛇骨」
 そう言って煉骨は蛇骨にそれを手渡した。
「お、もうできたのかよ。やっぱすげぇな、兄貴は」
 蛇骨は嬉々としてそれを受け取る。
「おだてても何も出ねえぞ――それより確かめてみろ、それ」
「うん」
 素直に肯いて、蛇骨がそれに被せてあった皮袋を取り去る。
 きらりと光る、刃が覗いた。
「すげぇ……こんなに綺麗に磨いてくれたのか」
「というより、てめえの刀の使い方が荒いから曇りが酷かったんだよ」
――ごめん」
 蛇骨が苦笑する。
 そして手に抱えたそれを――愛刀の、蛇骨刀を見ながら呟く。
「でもほんと、綺麗になったな、おまえ――
「結構手間が掛かったぜ、それだけ刃が連なった刀だ」
「だろうなぁ――
「それから刃を二枚増やしたぞ。それであと二尺ぐらいは間合いが伸びる」
「ほんとか?」
 蛇骨が嬉しそうに、煉骨の方を見た。
「本当だ。なんなら振ってみろ」
「おう」
 蛇骨が煉骨に背を向け、蛇骨刀を振りかぶる。
 二人が今立っているのは建物も何も無い野っ原の真ん中だ。
 気兼ねはいらない。
 ひゅっ、と息を吐きざま、蛇骨が刀を振り抜いた。
 しゃっ
 小気味良い金属音とともに、白く光る連刃が一気に伸びる。
 伸びきって、
 ぐねり
 と、まさに蛇の身体のように一うねりすると、しゃらしゃらと刃は蛇骨の手元へと戻ってくる。
 はずで、あったのだが、
――っと」
 一瞬、蛇骨の身体が前に引っぱられた。
「あっ、ちくしょう――
 その瞬間に、蛇骨の元へ戻るはずであった刃たちは失速していた。
 戻りきることなく、地面へじゃらじゃらと音を立てて落ちる。
「ちぇっ」
「どうした、刃が重くなりすぎたか」
「ん、まあちょこっとな。けど平気だよ、すぐ慣れる」
 言いながら、蛇骨は手で一枚一枚、落ちた刃を刀の中へと戻していく。
 そしてすべての刃を仕込み終わると、もう一度愛刀を見つめ、嬉しそうに笑った。
「やっぱ俺の刀は煉骨の兄貴に手入れしてもらうのが一番だよ。早いし、仕事は丁寧だし、誰より信用できるしさ」
「そうかよ」
「うん。他の野郎なんかにゃそう簡単には触らせねえけど、兄貴は特別」
――まるでてめえの愛人だな、その刀」
 ふふ、と蛇骨が笑う。
「兄貴にゃ分かんねぇかな、火薬ばっか構ってるから」
 言って、ちゅ、と蛇骨は手に持った刀に口を付けた。
「愛しい相棒なんだぜ。知らねえ男に触らせちゃ、こいつが可哀想だろ」
「そういうもんか――
 ふふ、とまた蛇骨が笑った。

 わあわあと、敵味方が礫を投げ合っている。
 合戦が始まる徴であった。
 対峙した敵味方が、礫を投げ、それから矢合戦へと突入するのである。
 蛮骨は礫こそ持っていなかったが、それでも先鋒のやや後の方で足軽たちに混じって仁王立ちになり、敵軍の方をじっと睨みつけていた。
 その後ろに、蛇骨、睡骨もいる。残りはもっと後ろに、煉骨と銀骨はやや高い場所にいる石火矢衆とともに、凶骨と霧骨も後方で、前線の様子を見守っている。
 ひょうっ
 と矢が風を切る音が聞こえたかと思うと、
「始まったな」
 数え切れないほどの矢が空を切っていく。
 突然、
 ひいいい、
 と、一頭の馬がけたたましい鳴き声を上げた。
 その声につられて、前のめりに足を踏み出しかけた蛇骨を蛮骨が押さえる。
「まだだ」
 続いて蹄の音が、そして、
 わあああ、
 という喊声が見方の軍より沸き起こった。
「っしゃいくぞ! 蛇骨! 睡骨!」
 蛮骨が蛇骨を押さえていた腕をほどく。
 雪崩のように流れ出ていく足軽たちを上手くかわしつつ、蛮骨が駆けた。
 その途中、味方の内より一層大きな喊声が上がった。
 どうやら先陣はこちらが成功したようだった。
 一気に前線へと躍り出る。
 敵の足軽も騎馬侍も、突然現れたその異様な風体の少年に、眼を剥いた。
「ぅらあぁっ!」
 気合いもろとも、薙ぎ飛ばすという感じで、蛮骨が蛮竜を振り切った。
 勢いよく鮮血が散る。
「へへ……」
 大鉾から生温かい血を滴らせながら、不気味なほど楽しそうに笑った蛮骨の顔を見て、敵の足軽たちは一気に士気を失ったように、後ずさる。
「何をしておる! 怯むな!」
 馬上から侍が叱咤するが、足軽たちの腰はすでに引けてしまっている。
 蛮骨がにやりと笑った。
「足軽十人斬るのもいいが――兜首付きなら尚更だぜ!」
 蛮骨が騎馬兵へと踊りかかった。
しゃん、
 と、金属の擦れる小気味の良い音が鳴り響く。
 伸びきった蛇骨刀の切先が煌く。
 一緒に舞い上がった血とともに、勢いよく蛇骨の手元へと戻っていく。
 そして戻りきらないうちに、もう一度蛇骨は刀を振った。
 戻る勢いを殺さず、そのまま推進力に変えているように見える。
 こちらも、至極楽しそうな顔をしていた。
 さらにその横で、睡骨が両腕を振るう。
 唯一間合いが短い彼も、それを苦にすることなく鮮血を散らしていく。
 やはり楽しそうである。
 どん、どん、どん、
 と、三回太鼓の音が聞こえた。
 今にも蛮骨が斬りかかろうとしていた騎馬侍が、大声で叫ぶ。
「退けーっ!」
「!」
 退却? そんなはずはねぇ。
 蛮骨はすぐに辺りを見回した。
 はっとする。
「囲まれるぞ!」
 蛮骨が後を振り返り、叫ぶ。
 敵の前線の両側面は前進し、中央は後退。そして、味方の前線はやや中央が突出した形になっている。
 敵はこちらの前線を包囲しようというのだろう。
 だが、そうはいかなかった。
 軍の後方から、派手な爆発音と、大量の煙が上がった。
――煉骨の兄貴たちだ」
 蛇骨が呟く。
 後方の石火矢衆が、一斉に敵の左翼側に向けて鉛の球を降らせていた。
 勿論、その中には煉骨と銀骨も混じっている。
 さらに、敵右翼も後退を始めていた。
 地を踏み鳴らす音とともに、凶骨がまるで草木でも刈るように敵を薙ぎながら、前線へと進み出ている。その肩の上に霧骨が背を丸めて腰掛けている。
「ほらよ! これでも喰らってろ!」
 そう言って霧骨が投げ落とした竹筒から、薄紫色の煙幕が立ち上った。
 それを見て睡骨がやや呆れたような声を上げた。
「あの野郎――こんな前線で毒なんかばら撒きやがって」
「別に、大丈夫だろ、こっちが風上だし」
 睡骨の横で蛇骨が言う。
「それより、ひょっとして今攻め時じゃねえの? 敵皆後退しちまってるぜ――
 蛇骨が言うまでもなく、味方の侍大将が声を張り上げた。
「今だ! 攻めよ!」
 おう、と軍全体から声が上がった。
 再び雪崩のごとく、兵が動き始める。
 蛇骨と睡骨も揃って駆け出した。
 前線の、さらに一番前列へと。
 立ち止まる間も無く蛇骨は腰を落とし、姿勢を低くとると、勢いよく蛇骨刀を振りかぶった。
 しかし、
「おい蛇骨!」
 突然睡骨が蛇骨を呼んだ。
「なんだよ睡骨! 邪魔すんじゃね――
 振り向き言いかけて、蛇骨は絶句する。
 んな、莫迦な――
 目の前に、馬が一頭。
 鞍だけを背負い主を乗せていない大きな馬が、蛇骨の目の前で後ろ足だけで立ち上がり、持ち上げた前足を今にも蛇骨の頭の上に振り下ろそうとしているのである。
 あの健脚で頭など蹴られた日には、まず間違いなく無事では済まない。
 蛇骨が息を呑んだ。
 しかし次の瞬間、馬の身体が強く横向きに揺れた。
「!」
 睡骨が、馬の身体を横から蹴りつけたのである。
 馬の足は蛇骨の頭を外れる。
 だが息をつく間もなく、
「っあ――っ!」
 蛇骨は強烈な痛みに顔を歪めた。
 蛇骨の頭を外れた馬の足は、しかし蛇骨の右腕を強く蹴りつけていた。
 蛇骨の身体が地面に叩きつけられる。
「痛ぅっ――
 低く、蛇骨は呻いた。
「おい、蛇骨生きてるか」
「生きてるよっ! くそっ……」
「折れたか?」
――いや、折れてはねえ、と思う……けど、駄目だ、痺れちまって動かねぇ」
 畜生、と蛇骨が吐き捨てる。
――おめえが右腕使えねえんじゃ、足引っぱるだけだな」
 ――じろり、と、蛇骨が睡骨を睨んだ。
 だがすぐに目を伏せ、溜め息をつく。
「分かったよ、下がってりゃいいんだろ」
「おう、珍しく素直だな」
「うるせっ!」
 蛇骨は左手で蛇骨刀を握り直し、立ち上がった。
 そして姿勢を低くして、ゆっくりと、名残惜しそうに後退を始める。
 そのとき、ふと蛇骨は、ちらりと視界の端で灰色に曇っている空を見た。
 ――雲が厚いな。
 一雨来るかもしれねえ。
 そんなことを考えながら、ずるずると足を引きずっていった。

 半刻ほど後、雨は降り出した。
 どちらの軍にとっても有利な状況とはいえるはずが無かったが、両軍とも一歩も引こうとしない。
 無論、煉骨と銀骨のいる石火矢衆も、雨天だからといって引くわけにはいかなかった。
 皆、雨で火縄と火薬を濡らさないように気を払っていた。
 煉骨も火縄筒を懐に抱え、濡らさないようにしながら、
「銀、おまえも火縄だけは濡らすなよ」
 と、銀骨に声を掛ける。
「ぎし」
 もっとも、銀骨の身体は煉骨が手がけていろいろと改造されているので、ちょっとやそっとの雨では石火矢の部分が濡れて使えなくなったりはしないのであろうが。
「嫌な天気だぜ――
 煉骨が、忌々しげに呟いた。

 まさか本当に降ってくるとは――
 蛇骨は小さく息をついた。
 何とか本陣の近くまで下がっていたが、この雨は敵わない。
 とりあえず近くの木陰で雨をしのぎながら、一人立っていた。
 まだ右腕の感覚は戻らない。
 まさかこのまま一生麻痺したまま、ということもないだろうが、万一でもそんなことになったら、困る。
 刀が振れなくなるじゃねえか――
 相棒が振れないということは、戦に出られないということだ。
 戦に出ることができなければ、金が稼げない。
 金が稼げないということは、飯が食えない。
 飯が食えないということは、飢える。
 飢えるのは嫌だ。
 餓鬼のころじゃあるめえし――
 だいいち。
 刀が振れないということは、七人隊にいる意味がなくなるということだ。
 それはもっと困る。
 昔からふらふらしている性分だったが、七人隊に入って――蛮骨や煉骨たちと一緒に働くようになってようやく、腰が据わってきたというのに。
 またあっちへこっちへふらふらするのは嫌だ。
 だいたい刀が振れないのでは、他の雇い先も見つかるのかどうか。
 それすら怪しい。
――とりあえず、身売りだけは御免だしなぁ)
 なんで二十歳過ぎてまでそんなことをしなければならないのか。
 あれは餓鬼の仕事だ。
 はーぁ、と蛇骨は溜め息をついた。
 どーしてよりによって右腕をやられちまったんだか。
 考えてみりゃ俺の右腕は今じゃ商売道具――動かねえんじゃ、こいつを持つことすらできねえじゃねえか。
 左手に握った蛇骨刀を眺め、蛇骨はもう一度溜め息をついた。
 すまねえな、相棒。
 俺が不甲斐ねえばっかりに……
「?」
 不意に、蛇骨は顔を上げた。
――
 今、何か音が聞こえたような気がする。
 蹄の音ではなかったか。
 こんな、合戦場の端っこで?
――
 蛇骨が耳を澄ませてみると、しかしそれは空耳ではなかったようだ。
 確かに、雨の音に混じって馬の蹄の音が聞こえる。
――なんだよ、今日はやけに馬に縁がある日だな……」
 そんなことを呟きながらも、蛇骨は左手でしっかりと蛇骨刀を握り締めて身構える。
 こんなときに――
 馬の主が味方ならいいが、もし、敵なら――
 蛇骨は静かに息を整える。
 この雨の中で、左腕で、どこまでやれるだろう。
 正直なところ、あまり自身はなかった。
 だが、そんなことを言っている場合ではない。
 やらねばなるまい。
 もしや、という期待を持って、蛇骨は右腕に力を入れてみた。
――
 動かない。
 ざざ、と音を立てて、蹄の音の主が姿を現した。
 合印ですぐに知れた。味方ではない。
 蛇骨が、
「なんだ、てめえ」
 と、その馬の主に低い声でドスを効かせながら、睨みつける。
「七人隊の蛇骨殿とお見受けしたが」
「だったら何なんだよ」
「首を頂きたい」
――はいそーですかってやれるもんだと思ってんのかよ」
「思わぬ」
「なら帰ぇんな! 逆にてめえの首取られたくなかったらな!」
 蛇骨が左腕で刀を振りぬいた。
 くそっ!
 やはり、右手ほど上手く振れない。
 刃先が、細かくぶれる――
「物騒だな」
 馬に乗った男は、器用にその馬を操って蛇骨刀の刃から逃れた。
「しかしこちとらそう簡単に退くわけにもゆかぬ。主人の命で動いているのでな」
 そう言って笑ったその男を、蛇骨がじろりと舐め回すように見た。
 雑兵ではない、かといって鎧兜も身に付けていない。
 しかし着ている物は武家の服装に見える。黒っぽい着物で身を包んでいる。
「てめえ――乱波かなんかだな?」
――ご名答」
「名前ぇは」
「名無しの権兵衛とでも呼んでもらって構わぬが」
――てめえ」
「細人は名を明かさぬものだ」
 と、男はにやりと笑った。
 この男――下っ端の忍者じゃねえな。
 首が取れれば、案外兜首と同じくらいの扱いはされるかもしれねえ。
「っ!」
 もう一度蛇骨は蛇骨刀を振った。
 しかし今度は、刀に肩ごと前に持っていかれそうになった。
 そんな不安定な振りで、敵の首を狙うことなどできるはずがない。
 またも刃先を男に避けられ、蛇骨は歯噛みをした。
 ぎり、と奥歯が音を立てる。
 ――ああ、この感じ。
 身に覚えがある。
 この刀と出会って間もない頃。
 ちっとも自分の思い通りに振ることができなくて、何度こうして歯を喰いしばったことか。
「畜生!」
 さらに刀を振る。
 刃の流れに勢いがつかない。
 ――何百回か振って、ようやく刃が手元に戻ってくるようになった。
 男は三度、避けた。
 刃の動きを操れるようになるまでには、さらにその後何度刀を振り抜いたのか、もう今では思い出せない。
 手の皮が剥けて血豆が潰れて、そんな傷、今ではとうに消えてしまっているけれど、
「畜生……」
 長い長い時間を掛けて、己が右腕に馴染んだ相棒がこの蛇骨刀であった。
(やっぱり利き腕じゃねえと駄目だ――
「さて、こちらもいつまでも逃げ回っているわけにはゆかぬ」
――
 蛇骨は男から目を逸らさなかった。
 どう出てくる? 得物は何で、どう仕掛けてくる――
――
 しかし男は、仕掛けてくる様子は無い。
――何だよ、かかってくるんじゃねーの?」
 蛇骨は、決して男から目を逸らそうとしなかった。
「こねえんならこっちからいくぞ!」
 蛇骨がまた、刀を振った。
 そしてその刀の刃が一枚残らず伸び切った、そのときであった。
 ぱぁんっ。
 と、刀から、嫌な音がした。
 正確に言うと刀の刃と刃の留め金から、弾けるような音が聞こえ、そして、
 じゃら、
 と、その留め金から先が、地面へと音を立ててこぼれ落ちた。
 半分ほどの長さになった相棒の姿を見て、蛇骨は呆然とする。
 しかしすぐにはっとして、身体の横へと視線を向けた。
 やや離れた木の陰から、煙を上げる銃口が、蛇骨の方へ向けられていた。
(火縄――銃、か……)
「顔に似合って姑息な真似してくれるじゃねえか――
 蛇骨は男の方を睨みつける。
 その額の脇を冷や汗が一筋、垂れた。
 男が嫌な笑い方をした。
 蛇骨が追い詰められていくのを見て快感でも覚えているかのような、そんな笑い方である。
 突然、男は大きな声を上げた。
「おい! 右腕を狙え! この男今でこそ左腕を使っているが利き腕は右だ!」
――!」
 先程の銃口とは逆の方向であった。
 もう一つ、同じ型の火縄銃の銃口が、蛇骨を捉えている。
 蛇骨の、右腕を狙っている。
 ――やめろ!
 声にはならなかった。
 右腕は――
 どん、
 と、銃口が煙を噴いた。
――っ、くぁ……っ!」
 身体を走った鮮烈な痛みに、蛇骨が息を詰まらせる。
 蛇骨の左腕に、焼けるような痛みとともに鉛玉が埋まっていた。
 あまりの痛みに蛇骨は地に膝をついた。
 蛇骨刀を取り落とした。
 馬上の男が、驚いたように言った。
「なんと、左腕で右腕を庇ったか」
 しかし次には、にい、と笑う。
「まあよいわ」
 身軽な動作で、男は馬上から地面の上へと降り立った。
「首から下は、別にどこに傷がついても構わん。見たところ、どのみち利き腕も動かぬようだしな」
 男が一歩一歩、蛇骨の方へと近づいてくる。
 膝をついて俯いた蛇骨の前で立ち止まり、男は腰の脇差を抜きかけて、ふと、蛇骨が取り落とした蛇骨刀に目を向けた。
「くせの強そうな刀よな」
――
「このような刀を軽々と振るうような腕を持つ男、殺すにはやはり惜しいやも知れぬ」
 男が蛇骨刀を拾い上げる。
――な」
「何?」
「汚え手で俺の刀に触んじゃねえよ!」
「ほぉ――この後に及んで威勢のいい男だな」
 ふん、と、男が鼻を鳴らした。
「それならば己が手で取り返すがよいわ。その動かぬ両腕の、どちらを使うかは知らんがな!」
 きっ、と蛇骨は顔を上げ、目の前の男を睨みつけた。
 そして、右手で、男の手から蛇骨刀を奪い取る。
「な、貴様――
 蛇骨の視線が、すっと冷たいものを帯びる。
 蛇骨は静かに、しかし一瞬で男の身体に刀を突き入れた。
 まだ感覚の戻りきらない右手が、小刻みに震えた。
――っぁ!」
 男が、身を折る。
 蛇骨はすぐさま辺りへ気を配った。
 先程まであった、銃を持った二人の気配はすでに無い。
 男の最期を見切り、すでにこの場を去ったらしかった。
 それを確認すると、蛇骨は大きく息をついた。
 そして、左腕の強烈な痛みに、
「ぅ――
 と、小さく呻き声を上げると、糸が切れた人形の様にどさりとその場に崩れ落ちる。
 背中に冷たい雨粒が叩きつけられていたが、それすら分からない。
 意識が遠のくに任せていた。

 背中に柔らかいものを感じた。
 雨に濡れた地面の感触ではない。
 これは――
「蛇骨」
 ようやく目を開いた蛇骨を、蛮骨が呼んだ。
「あ? 蛮骨の兄貴――
 蛇骨はきょろきょろと辺りを見回す。
 いつの間にか、きちんとした夜具の中に仰向けに寝かされていた。
「あれ……俺、雨の中でぶっ倒れたんじゃなかったっけ」
「その通り。よく覚えてるじゃねえか」
 と、そう答えたのは蛮骨ではなく、その横に控えていた煉骨である。
「煉骨の兄貴もいたの」
「いちゃ悪かったか」
――誰もそんなこと言ってねえよ」
 言って、蛇骨はごろりと寝返りを打った。
 蛮骨がその様子を見て小さく笑う。
「三日三晩目ぇ覚まさなかった割にゃ元気だな」
「えっ、そんなに寝てた、俺」
「おう、熱が引かなくて少し死にかけてたんだぞ、おまえ」
「うへぇ……」
 蛇骨は呟きながら身体を起こす。
 下ろされた黒髪が寝乱れてところどころ絡まっている。
「でもどうりで、なんか頭がぐらぐらすると思った」
「驚いたぜ、本陣に戻ろうとしたら木の陰でおめえと敵の野郎が倒れてたんだからな」
――悪い、ちょっと、いろいろと……」
「おめえが倒したあの野郎、敵の細人衆の上忍の一人だったみてえだ。首は高くついたぜ」
「へぇ――
「ま、その分おめえも酷い目にあったみてえだけど」
「まーね」
 蛇骨が溜め息をつく
「なあ、兄貴腹減った」
「ははは、さすがに三日も食ってねえと腹が減るか。煉骨、さっきの粥の残りでも持ってきてやれよ」
 蛮骨が煉骨の方を振り返ると、煉骨は肯いてその場を離れた。
 それを見送りながら、蛇骨が呟いた。
「なあ、蛮骨の兄貴」
「何だよ」
「兄貴はさぁ、腕、大事にしてるだろ」
――そうだな」
「俺も、これからはもうちっと気を付けねえとなぁ……」
「特に、右腕は、な」
「うん」
「俺や、おまえや睡骨もそうだけど、利き腕が使えねえようになったら困るだろ」
「うん……三日前――になるんだっけ? 右腕が動かねえようになったとき、すげぇ困ったよ。そのまま動かないままになったらどうしようかとも思ったしさ」
「どうするつもりだったんだ?」
「分かんね。とりあえず七人隊にはいられねえよ」
「そうか――
「そうだろ――
 小さな足音が聞こえて、煉骨が粥の入った器を手に、二人の元へと戻ってきた。
 しかし、その器を蛮骨に手渡して、
「ああ、そうだ忘れていたな」
 と、煉骨は何事か思い出したように再び立ち上がる。
「忘れもんか?」
「ああ。大兄貴、それは蛇骨の粥だからな。あんたが食わないでくださいよ」
「わーってるよ、けち」
 煉骨は再び出て行った。
「ほら、蛇骨」
 蛮骨が粥の器を差し出す。
 それを受け取りかけて、蛇骨は、何か思いついたように急に手を引っ込め、にこ、と笑った。
「なあなあ兄貴、俺さ、敵の上忍斬ったわけだし」
「ん?」
「ご褒美の一つくらいさぁ、出してくれてもいいんじゃねぇ?」
――何が欲しいんだよ。言っとくけどなぁ」
 ずい、と蛮骨は蛇骨の方へ身を乗り出した。
「俺の貞操に関わりそうなことは駄目だぜ。ぜってぇ御免だからな」
「あはは、俺まだ命が惜しいから」
――よし、それなら言ってみろ」
「これ、食わせてよ」
 そう言って、蛇骨は蛮骨が持っている器を指差した。
 蛮骨が虚を突かれたような顔をした。
「なんだ、そんなことでいいのか?」
「うん」
「珍しいな、おめえがこんな簡単なことねだるなんて」
「そう?」
「そうだよ――ほら」
 蛮骨がさじで粥をすくって、蛇骨の口元に運んでやった。
 蛇骨はそれを口に含んで、ゆっくりと噛んだ。
「旨いか?」
「旨い」
 だが何度も粥を蛇骨の口に運んでやりながら、
「しっかし、こんなの嬉しいのか、おめえ。なんか燕の親鳥とひなみてえだぞ」
 と、蛮骨は首をひねっている。
――そういうこと色気のねえこと言ってんじゃ、兄貴にゃ一生分かんねぇよ」
 蛇骨が苦笑した。
 蛮骨はやはり、首をひねっている。
 そこへ、先程再び出て行った煉骨が足音とともに戻ってきた。
――何やってるんだ」
「おう、煉骨。燕の親子の真似事だよ。こいつがひなで」
「だから兄貴、違うって……」
 煉骨には今ひとつ事情が飲み込めないようである。
「何だかよく分からんが……蛇骨、おめえの得物だ」
「へっ」
「おまえの刀、壊れてただろう」
 皮袋に入った蛇骨刀を受け取り、蛇骨が驚いたように煉骨の方を見る。
「兄貴、直したのかこれ」
「おまえが言ってたんじゃねえか。俺にその刀の手入れは任せるんだろ?」
――
 蛇骨の表情が、みるみるうちに明るくなっていく。
「ああもうっ、だから煉骨の兄貴は好きなんだよ! あ、もちろん蛮骨の兄貴もだけど」
 言いながら、ぎゅう、と蛇骨は蛇骨刀を抱きしめた。
「良かったぁ、五体満足で俺の手元に戻ってきた――
 おいおい、と、煉骨が呆れた声を上げる。
 蛮骨は笑いながら、その嬉しそうに刀を抱えている蛇骨の様子を見ていた。
「ははは、俺は分かるぜその気持ち」
「だろ? だろ? 蛮骨の兄貴なら分かってくれると思ってたんだよ。煉骨の兄貴はちっとも分かっちゃくれねえんだもんよ」
「そりゃ悪かったな。それにしても、この前より随分お熱いじゃねえか、おまえら」
 蛮骨が、それを聞いてまた笑う。
「雨が降ったから、地面が固まったってことじゃねえのか?」
「は? そりゃ確かに合戦の最中は雨が降ってたが……」
 わけが分からないという顔をした煉骨に、蛮骨はさらに言った。
「あの二人にも、雨が降ったってことだよ」
 ――しかしそれでも、やはり煉骨には分からないようである。
 首をひねりつつ、蛇骨と、その腕の中の蛇骨刀を見ていた。
 まるで恋人でも抱くようにして刀を抱きしめている蛇骨の姿を、兄貴分二人、いつまでも飽くことなく眺めていた。

(了)