仔羊の罪

 執務室のドアを丁寧にノックして神妙な様子で入ってきたその顔を見たところ、想像はついていたがやっぱりマールハルトである。
「なんだ、そんな改まったような顔をして。マールハルト」
 傭兵団長は常のとおりに執務机に着いて仕事をしていた。その側近くに侍るところまで来たマールハルトは、しかし何の用向きだとも言わない。
 傭兵団長は、机の上で書きかけていた書面に視線を落とした。小難しげな顔つきをして職務にあたっているように見せているが、その実、手の中でたかの羽根ペンをいじくり回しているばかりで何一つはかどってはいなかった。
 マールハルトは、室内のあちらこちらを無言でにらみつけていた。――が、やがてあきらめて、め息を漏らし、
ほどほど﹅﹅﹅﹅になさいませ」
 と、傭兵団長へは慇懃いんぎんながらも釘を刺すように言って聞かせ、そしてさらに、
「任務に差し支えのないようにせよ。くれぐれもご無理を強いることのないように――
 と、さもこの場にもう一人、目に見えない三人目の誰かがいるように言い置いてから部屋を出ていった。
――もう出てきてもいいぞ」
 傭兵団長はペンを置くと、目の前のに向かって言った。
 人差し指の先でコツコツと天板をたたく。それに促されて、机の真下、足元の隙間からアイギールがスルリと顔をのぞかせた。
「気配を殺してたつもりだったけど――マールハルトは気づいていたわね。さすがと言うべきかしら」
「ま、騎士たる者、意中の婦人の元へ冒険にせ参じる工夫くらいは勉強して心得ているものさ。亭主に見つかりそうなときに隠れる場所の十や二十はそらんじられなくては」
 傭兵団長は含み笑いをしながら、椅子を後ろに引いて、机の下で窮屈に体を曲げていたアイギールがい出てくるのを手伝った。彼女の手を引いて立たせようとしたが、しかしアイギールは軽く身をかわし、床にうずくまったままで傭兵団長の膝先へ寄りかかった。
 両手で膝を割って、その間に体を滑り込ませる。
「アイギール――
 傭兵団長はいささか面食らったように声を上ずらせた。膝に置かれていた彼女の手が、太腿ふとももを伝って脚の付け根近くまでさかのぼってくる。
「それで、あなたも――そんな冒険﹅﹅をたくさんしてるわけね?」
 とアイギールは、仮面の奥で上目遣いになって傭兵団長の顔を見上げた。言葉は冗談めかしていても目が笑っていないのだった。
「私は勉強熱心なだけで実技の方はさっぱりだから安心してくれ」
「あら、いいのよ別に」
「怖いなぁ」
「昔のことならいいの」
――たぶん、君が思っているよりもずいぶん長い間、私には君しかいないんだがな。君が私の人生に突然姿を現して以来――
 と、傭兵団長は言いかけたところで、つと息をんだ。アイギールの手が局部にまで到達したからであった。
 ショースの硬い布地の下に隠れている肉叢ししむらの在りを確かめるように、その手は細やかに動いていた。
「信じてくれ」
 と傭兵団長はうめいた。
――信じてしまいそう。――たぶんあなたが考えてるよりも――あなたは私の奥深くにまで入り込んでいて、ときどき、私は今自分を支配してるのが私とあなたのどちらなのかわからなくなるのよ」
「アイギール」
「あなたを失ったら、きっと自分の一部を失うのと同じようにつらいわ」
 アイギールは伸び上がってキスをせがんだ。傭兵団長がそれに応じて、少し強すぎるくらいに唇を押しつけてくると、仮面の奥の切れ長の目がうっとりと三日月を描く。
「君を不安にさせるようなことを言った私が軽率だった」
 と傭兵団長は謝った。
「いいのよ。――ふふ、あなたらしいわ」
 今度はアイギールの方からキスした。が――舌を差し込まれそうになると逃れて、熱い唇と吐息は傭兵団長の喉を滑り下りていく。喉仏の頂を越え、肌着シュミーズの襟に唇がかすめた。
 その身分に反して日頃軽装を好む傭兵団長は、肌着シュミーズの上に飾り気のない袖なしの鎧下よろいしたを着ただけ、というのがお決まりの普段着だった。市井の依頼人などに会うときはそろいの生地で仕立てた上着を羽織る。
 袖なしの鎧下よろいしたは立ち襟で、喉元から裾まで縦にいくつもボタンが付いている。上から二つは外してあった。
 アイギールが残りのボタンも外してしまう間、傭兵団長はされるがままになっていた。
「高貴な御方の着る物は面倒ね」
「君の着ている物ほどじゃない。脱がせてまた着させるだけで日が暮れそうだ」
「そっちは我慢することね。フフ。でも、その代わり――
 その代わり――と言いながら、アイギールはボタンを全て外し終え、鎧下よろいしたの前をくつろげた。鎧下よろいした肌着シュミーズの間には、ショースを肩からるすためのベルトが波打っていた。
 比翼に仕立てられているショースの前をアイギールは開いて、剥き出しになった陰茎にそっと手を添えた。半ばほど立ち上がっていたそれは容易に衣服の外へつかみ出され、
「もう少し――ってところかしら」
 とアイギールの指が絡みついてきてさらに勃起を促される。
「生殺与奪の権を握られてしまった」
 と傭兵団長は軽口をたたいたが、その後にはうめき声混じりのめ息が漏れる。アイギールは気をよくしたようだった。
 みっしりと膨張してきた陰茎の裏側に赤い唇が押しつけられた。
 ついばむような愛撫あいぶを繰り返しながら、次第に上へと向かう。やがて先端にたどり着くと淫らなキスに変わった。
「あっ、く」
 と頭上から低い声が降ってくると、アイギールはますます気をよくするらしく、いっそう官能的に鈴口を吸ったり、舌でそこをこじ開けようとしたりした。
冒涜ぼうとく的な行為だ――
 と、傭兵団長は聖教を信奉する貴人らしいことを言った。そんなことを言いつつも最愛の女の愛撫あいぶに感じないはずもなく、だらしなくうなっている。
 ふふ――とアイギールが忍び笑いを漏らす。その息が亀頭と肉茎の境目にかかった。
「堕落させてあげるわよ」
 先端からゆっくりとくわえていって、根元近くまで――それ以上進めなくなると、きつく吸いながら頂へ戻った。おまけのように、亀頭の裏側をひとめする。
「あぁ――。っ――
「後で神様に懺悔ざんげすることね――
 ――アイギールが背徳の愛撫あいぶに夢中になっていると、ふと傭兵団長の手が頭の後ろに置かれた。アイギールの仮面の留め金を探しているらしかった。
 片手では難しく、両手を使ってそれを外し、仮面をそっと取り上げた。陰茎をくわえながらこちらを見上げているアイギールと視線がぶつかった。
 アイギールは何か気恥ずかしいのか、すぐに目を伏せた。
―――
 傭兵団長は仮面を手近なところへよけておいた。
 嘆息して天を仰ぐ。
「あぁ――ああ、アイギール、だめだそれ以上は」
――出そう? ――
「うん」
――いいわよ。――このままちょうだい。私も一緒にちてあげる」
 と言われて、傭兵団長はそのとき初めて、アイギールがくわえてくれながら自らも陰阜に手をやってそこを慰めていたことに気がついた。
 ふいに起こった激しい興奮に突き上げられたように、せきを切って放出が始まっていた。
 断続的な射精を口で受け止めながら、アイギールも健気に後を追おうとしてお尻を揺すり立てた。傭兵団長はアイギールの顔を上向かせて官能に溺れる様を見たがった。
「んん――っ」
 アイギールはたまらなくなって目を閉じた。
 淫らにうねっていたお尻が、急にぴたりと動きを止める。陰阜の奥からこみ上げてきた快楽に、しばしの間身を委ねた――
――アイギール」
 と優しい声で呼ばれ、アイギールは目を開くと、ようやく傭兵団長の脚の間から離れた。
「証拠なら隠滅したわよ」
 と言い、空っぽの口を開けて見せる。
「ほら」
「えぇ――大丈夫なのか? 美味なものとはとても思えないんだが」
「別に平気よ。――思ったよりたいしたことなかったわよ」
「どれ」
 傭兵団長はアイギールを抱き寄せてキスし、
――不味いじゃないか」
 と言って、もう一度、今度は時間をかけてキスを貪った。


「おお父なる聖エバンよ――仔羊たちの罪を許し給え」
 と、傭兵団長は椅子の上で眠たげに伸びながら、胸の前で両手を組んでなにやらもそもそつぶやいている。
「あら、私の分の懺悔ざんげはいいわよ」
 とアイギールが言った。執務机の端に寄りかかって立っている彼女は、どこからか椋鳥ムクドリの卵ほどの大きさの膏薬こうやく入れを取り出して開いた。
 薬入れの中には口紅が練り付けてある。薬指の先でそれを取って、唇に薄く塗り伸ばしていく。
 その光景を脇で眺めていた傭兵団長は、
「君が初めに着けていた紅は一体どこに消えたのか、が問題だな」
 と言い、手でしきりに顔をでている。
 アイギールは薬入れをしまって、ふふと仮面の奥で笑い、
「せいぜい用心することね」
 と言い残して、部屋を出ていった。
 一人になった傭兵団長はその忠告に従って手鏡に顔を映し、ためつすがめつしたが、これといって赤いものは残っていなかった。
 しばらく経って、外からドアがノックされた。
 その丁寧なノックはマールハルトに違いなく、入室を許可してみるとやはりそうであった。マールハルトは、先刻と同じように神妙な顔で入ってきた。
 が、今度は本当に室内に傭兵団長一人きりだったので安堵あんどしたようである。ほっ、と息をつく。
「このたびの騎士団との合同訓練についてですが――
 と、やっと職務の話ができるかと、用向きを切り出したが、どういうわけか途中で言いよどんでしまった。
「?」
 傭兵団長が書面から顔を上げると、マールハルトがこちらをまじまじ見つめているのと目が合った。しかしマールハルトはすぐに目をそらしてしまい、
――いや、失礼いたしました。合同訓練の件で」
 とせき払いを一つして、何か物言いたげな様子ながらも元の話に戻った。
 そして話が済むと、
「では、わたくしはこれで――
 と傭兵団長の元を辞した。――と思ったらやっぱり何か気になるのか、すぐに引き返して来た。
「ご無礼をお許しいただきますぞ」
 つかつかと傭兵団長の間近にまで迫り、鎧下よろいしたの襟元へ手を伸ばした。上から二つ開いていたボタンをきっちりと留め、それでようよう気が済んだという顔をして今度こそ出ていった。
 後には一人残された傭兵団長が、きょとんと目を丸くしているばかりである。

(了)