憧憬

「ねえ、もう髪は伸ばさないの」
 と、アイギールは出し抜けにそんなことを尋ねてきた。
 彼女の前を歩いている傭兵団長は、前を向いたまま首をひねり、
「髪を伸ばしていた覚えはないんだが――
 と言う。
「あなた遺跡の野営地にいた頃は、後ろで結べるくらい髪が長かったわ」
「それは伸ばしていたんじゃなくて伸びていたと言うんだ」
「今は短いわ」
――――いつだったか、陛下の身代わりを務めたときに切ってしまって以来だな。王の鎧の下からこの髪が見えていたらすぐ敵方に露見すバレるだろうと思って。――
―――
 傭兵団長は足を止め、アイギールが追いついてくるのを待った。
「君は長い方が好きか」
 と、そばまで来たアイギールに尋ねた。
「え?」
「君が長い髪が好きなら伸ばそう。君の好みの男になる努力は惜しまないつもりだからな」
「からかわないで」
「ははは。――いやいや、怒らないでくれ。本当に君が望むとおりにするから」
「そんなこと言うと後悔するわよ」
「私にとっては望むところだ。後悔させておくれ」
――ばかね」
 とだけ言って、結局アイギールは何も要求しなかった。
「いいのか? 何でもいいんだぞ。君が軽口を慎めと言うなら慎むが?」
「いいわよ、今のままで――
(それであなたの気が軽くなるならいいのよ)
 と、アイギールは心の中で付け加えた。
(でもそんな冗談、相手は私だけにして。他の人に言わないで)
 ――そんなことまでは、口に出せるほど勇敢でもない。
 傭兵団長は元のように先を歩きだし、アイギールはその後を警護してついて行く。傭兵団長は短く切りそろえられている襟足をひとでして、
「たまには、そうだな――まあ――
 と、何なのだか、むにゃむにゃつぶやいていた。

(了)