嵐の前

「嵐が来そうだわ――夜には」
 と、窓辺に立っていたアイギールが、ぽつりとつぶやいた。
 傭兵団長は、彼女のいる窓際からは少し離れたところの執務机でまった書類を片付けていた。目の端でちらりと窓の外を見やったが、雲一つなく晴れている。
「ま――君の予報は当たるからな。こと天気が荒れることに関しては」
 不思議なものだ――と仕事の手は止めないままで言う。
「天候を読むコツがあるのか? それとも直感? 君の鋭敏な感覚は雷がやって来る気配まで感じ取れると?」
―――
 しかしアイギールはさも何も聞こえなかったというような顔をして、空模様を見上げているばかりである。
 傭兵団長は小さく肩をすくめ、
「君のような女性でもねたりするわけだ」
 と言った。
「? 何の話?」
「近頃仕事にかまけて、君と過ごす時間が取れないでいるのは実にすまないんだが――
――馬鹿ね。そんなこと気にしてないわよ」
「そうか?」
 傭兵団長はきりのいいところまで書類仕事を終えると、ペンと印璽いんじを片付け、自分も窓辺に寄って外の様子を眺めた。昼下がりの日の高い空はやはりよく晴れている。
 そばに立っているアイギールの腰へ手をやって、優しく抱き寄せる。その手をもっと下の方へと滑らせていく。
「私は結構心配していたんだが――この頃は寝間を留守にしていて、君の独り寝の寂しさを埋めて﹅﹅﹅やれないでいるなと思って」
―――
 アイギールは、はっと右手で口を押さえた。傭兵団長の手がお尻の上を滑り下りて、指先は脚の間にまで忍び込んできたからであった。「埋めて﹅﹅﹅」と言いながら男根の入るべきところをくすぐっている。
「っ――そんなことじゃないのよ、本当に――
 アイギールはどうにか愛撫あいぶから逃れた。
「独りでいるのは慣れてるし、別に自分の面倒は自分で見られるわ」
「いや、それはそれで聞き捨てならないというか、つまり、あー、その、君は自分で――
「あなたが何か変なことを考えてるのはわかるけど、そういう意味で言ったんじゃないわよ」
 なんだ――と、傭兵団長はなぜか少しがっかりしたような様子だった。
「ではなぜ君は憂鬱そうな顔をしているのか、教えてくれないか?」
「嵐の気配がするからよ――
「ふむ」
 傭兵団長はうなずいて、しばし黙っていたが、あるときふと、
――そういえば、帝国との戦争が終戦したのはひどい嵐の日だったような気がするな」
 と、アイギールに語りかけるとも、独り言ともつかないような言葉をもらした。
「うら寂しい気分になるだけよ」
「私は――できれば、君が寂しい思いをしているときには慰めたいんだが、その努力をしてもいいのかな? それとも君は、自分で自分の面倒を見る方がいいのか?」
 アイギールは――そっと、今度は自分から傭兵団長の方へ身を寄せ、その問いかけに答えた。
「昔のことは忘れろとでも言ってくれるの?」
「いやまあ、別に覚えていればいいんじゃないか。君の心がどうであれ――溺れさせてあげよう」
「悪趣味」
「ふふん――
 傭兵団長はアイギールの背中へ両手を回しながら、それをゆっくりと窓ガラスへ押しつけた。
 キスを貪り合う。その合間に、
「外から見られなければいいがな――――
 と、傭兵団長はアイギールをどきりとさせるようなことをささやくのだが、アイギールもそのはらは読めている。
「ん――あなたさっき――外を見てちゃんと安全なことを確かめてたわ。――っ、んん!」
 ふいに傭兵団長の手がアイギールの脚の間へ入り込んで、突起の付いている辺りへ淫らな手つきで触れてきた。
「ぁ――。ぁ、ぁ――っ! んんー――っ!」
 そして頂に押し上げるような愛撫あいぶでアイギールがたちまち昇りつめると、まだ震えている彼女を抱きしめ、
「今夜私の寝室へおいで。嵐になるんだろう?」
 と、言うのだった。
「外が嵐なら、君が泣いても叫んでも雷鳴がき消してくれるだろう」
――泣きはしないわよ」
 確かに君のことだから、そうか。と傭兵団長は笑う。
「じゃ叫ぶ方だけ楽しみにしておくよ」
「馬鹿」

(了)