三毛
帝國図書館の建っている辺りにはまだ野良猫も多く、それに近隣の住民が飼っている猫たちが出歩いていることもよくある。そういった猫たちが図書館の敷地内のあちこちを
中庭の池へ流れ込む用水路は、武者小路や徳冨らが精を出す畑仕事の水としても使われている。その用水路を
ある日中島がその集会所へ来たとき、先客の室生と二葉亭が二人して猫たちに
「やあ中島君、最近よく会うな」
と室生が気がついて声をかけてくれた。優しい笑顔で、
「以前は中島君が一人でここにいるのを見かける方が多かったのにな。俺は嬉しいよ。猫好き友の会だ」
と言う。中島は、はにかんでごまかしてしまった。
「塩抜きした煮干しを持って来たんですが――猫さんたちはお腹いっぱいみたいですね」
「デザアトが欲しい、って顔をしてるやつもいるぞ」
と二葉亭が言った。中島が抱えている煮干しの入った袋を、らんらんと光る目つきで狙う猫が少なくない。
「ところであそこにいる太宰君は、俺たちに何か用があるのか」
とさらに二葉亭が言った。指差している先に池端の
「――さあ、私は知りません」
と中島は嘘をついた。太宰の方を見ないようにしていた。
それよりも猫だ。中島の足元には、煮干しを手に持っていることを差し引いても猫たちが集まり始めている。黒に白、
「順番に大将にご挨拶してるんだ、きっと」
室生がからかった。中島がいつも身に着けている虎の毛皮の襟巻きを見て、小さき猫にしてみれば虎は大親分みたいなものじゃないのかと。
二葉亭は猫に好かれる中島が羨ましそうであった。
しかしむろんその一団に加わらない猫たちもいる。警戒心が強く、餌と見てもすぐには寄ってこない。彼らの小さな体の周りだけ、他よりも一、二度温度が低いような気がする。
そんな物寂しい猫たちの中でも、一匹
けれども三毛の方は中島に気のないふうであった。煮干しを差し出されても知らん顔で毛づくろいに精を出している。
そして気が済むまで毛を
「ちぇ――」
と中島の口から小さなため息が漏れる。
「難攻不落だな」
と二葉亭が苦笑した。
小一時間ばかりも猫の集会所で過ごしたが、やがて空模様が怪しくなってきた。日が陰って一雨きそうな風が吹き下ろす。猫たちの姿も初めに比べると半分くらいに減っている。
中島もそろそろ屋内へ入ろうかと思い、余った煮干しの袋の口を縛って小脇に抱えた。
ふと池端の
(太宰さん、まさかまだあそこにいるのかな)
まだ
(――
とも思う。
中島が歩きだすと、ちょうどそれに合わせたように小雨がパラパラと降ってきた。中島は駆け足になった。
「あっ三毛」
と中島が声を上げたのも無理はない。あの
「なんだ、この猫中島くんの知り合い? 助けてよ――全然どいてくれないんだよ、この通り」
と、太宰は中島におずおずと助けを求める。
「太宰さんが自分で抱えて下ろせばいいじゃないですか――」
「これ」
と太宰は右手の甲を見せた。三毛に引っぱたかれた痕が薄ら赤い川の字を書いている。「敵わないさ」とぼやく。
中島が試しに三毛の方へ両手を伸ばしてみると、彼女はじっと閉じていた
「どうやら、そこを動いてもらうのは無理みたいですよ」
中島は太宰の隣へ腰を下ろした。冷たい雨が幾分強くなっていたから。しかし天を見上げれば雨雲はさほど厚くない。
「まあ――すぐに
と言いながら、迷惑そうな顔をしている三毛の額を指先でちょんちょんと
「初めて触らせてくれましたね」
と顔を綻ばせる。「太宰さんのおかげですよ」とも言った。
(了)